車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

大井川・川越遺跡の文学散歩 in 静岡県島田市

2019年01月31日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

川越遺跡の最寄の駐車場となる「島田市博物館」では、市の歴史や民俗資料が展示されていますが、2011年は入館時間に間に合わず、2016年は月曜で休館・・・結局、一度も入館出来ず。多分、相性が悪いんです。

折角なので散策できる範囲の敷地内を歩いていると、なんと、大好きな芭蕉さんの句碑を発見! 元禄7年の夏、島田で船止めに遭った芭蕉一行が俳諧仲間の元にいた折に詠んだ句。

【 ちさはまだ 青ばながらに なすび汁 】

大意(ちさ(苣)は春野菜の一種なのだが、もう夏も半ばなのに、まだ若い青葉のままでだしてくれた。 そのうえ、秋野菜でまだ初物の「茄子(なすび)汁」も振る舞ってくれた。)

さらにもう一種、これも上記と同じ時、同じ場所で詠まれた自画賛の句。

【 たはみては 雪まつ竹の けしきかな 】

大意(うなだれしなった竹をみていると、まるで間もなくやってくる雪の重みを予期しているようだ)

川越遺跡に繰り出し、まずは川会所を訪問。そこで三基目の芭蕉さんの句碑。 元禄4年(1691)10月下旬、初めて俳諧仲間である『塚本如舟』を訪れた時に詠んだ句。

【 馬方は しらじ時雨の 大井川 】

大意(私を金谷まで運んで戻って行ったあの馬方は、時雨の大井川を越えた私の難儀を知らないだろう)

芭蕉さんの句碑はこれだけですが、他にもいくつかの句碑を見つけたので、まとめて紹介。博物館を出てすぐに「朝顔の松公園」と名づけられた、綺麗な芝生の公園があります。 そこには一本の松の木が植えられ、その傍らに「朝顔堂」とその由来、「朝顔の句碑」があります。

【 爪音は 松に聞けとや 春の風 】厳谷小波

大意(瞽女(ごぜ)の『深雪』が爪弾く三味の調べはもう誰も知らない、この老松に聞いてみようか)

【浄瑠璃でおなじみの「朝顔日記」には、恋する人を慕って流浪する盲目の娘『深雪(朝顔)』が、大井川のほとりで川留の悲運に泣くが、その時、奇跡的に目が治るくだりがあります。その時はじめて目に映ったのが大きな一本の松でした。このことから地元では、大井川畔の巨松を「朝顔の松」と名づけました。昭和十年代に枯れてしまい、その樹幹は博物館南側の朝顔の松公園内朝顔堂に木碑として保存しています。】島田市観光案内より

朝顔の松公園内にもう一つ、「口語俳句」で有名な『田中波月』の句碑。

【 稗(ひえ)しごくと こぼれ太陽の ふところに 】

大意(実った稗を手ににぎりしめて強くしごくと、熟した実が太陽の光に輝きながらこぼれていく)

次は句碑ではありませんが、遺跡の中のとある辻の入り口で「関川庵・八百屋お七の恋人吉三郎の墓」と書かれた標柱を見つけました。
『八百屋お七』を知らない方は、そのものずばりのキーワードでググって頂くと一杯出てきますが、折角なので大筋だけ紹介。
「自宅が火事で焼け落ち避難した先の寺で、超美形の『寺小姓・吉三郎』に一目ぼれしたお七さん。 でも自宅が再建されてつかの間の恋は終わり・・火事になればまた会えるかも・・もう一度会いたい一心で、後先も事の善悪も考えず、あろう事か!自宅に放火してしまったのです!!
当時火付けは重罪中の重罪。死罪、それも火あぶりの刑です。たった一人の大事な跡取り娘。我が子可愛さゆえに親たちは手を尽くすのですが、叶わぬ恋なら死んだほうがまし! という事で、火あぶりの刑にされてしまいます。恋は盲目と言いますが・・・・一途な恋心は哀れではあるけれど、全財産もたった一人の可愛い娘も失って残された二親の気持ちを想うと・・言葉が見つかりません。
あまりにも衝撃的な事件ゆえ、浄瑠璃や演劇界などでは悲劇のヒロインとして一躍有名になったお七さん。
その後、恋人とされた吉三郎は寺にも居られなくなり、お七を弔う旅に出てここ島田の地で病死したと伝えられています。結局関係者全員を不幸にしたんですよ、お七さん!
標柱には【 火と燃ゆる 恋に心も 身も焼きて あわれお七が 灼熱の恋 】

最後は、これも句碑とは関係ないのですが「島田市博物館」に設置された『勝海舟』の銅像。 なぜ島田市で『勝海舟』なのか、これも「牧之原開墾・勝海舟」でググると詳細が出てきます。私などは思わず感動してしまいましたが・・

記事に出来るほどの画像が無いのでその経緯は紹介は出来ませんが、「牧之原開墾」で心に残った一文があります。
「一望千里の荒れ野、磽确(ぎょうかく)不毛、水路に乏しく、民捨てて省みざること数百年」(磽确(ぎょうかく)=石が多く、土地がやせていること。また、そのさま。荒れ地。やせ地)

そこに住まう者にさえ見捨てられた見渡す限りの荒れ地・・・生きる糧を得る為に刀に変えて鋤鍬を握った侍たち。標高40~200mの山肌に沿って幾重にも連なる緑の大地は、今「日本一の製茶地帯」として名を馳せています。

訪問日:2011年11月14日&2016年12月12日

 


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