伝統的建造物群保存地区に指定された「美濃:うだつの町並み」。でもそれ以外にも名所・旧跡や「おっ!」と足を止めさせる見所が沢山あります。
美濃市前野の長良川にかかる、人・自転車専用の吊り橋「美濃橋(国重要文化財)」。
「美濃市街地の北部、小倉山の西方を長良川が湾曲して流れる地点に架かる真っ赤な橋で、現存する日本最古の近代吊橋です。大正5年8月に竣工しました。橋長113メートル、支間116メートル、幅員3.1メートル。建設当時、日本最大級の支間を実現した吊り橋として、歴史的価値の高い近代建造物です。」美濃市公式HPより
吊橋を支える主塔は鉄筋コンクリート製で床板は木製。鋼材でできた補剛トラスが特徴で、右岸:前野と左岸:上有知とを結び、昭和40年頃までは小型乗合バスも通行していたそうです。
基本的に地面から離れた場所と言うのは、それが1メートルの高さでも怖くてたまらないと言う底なしの根性無し(笑) この美しい橋をどこまで歩けるか・・後で聞いた話ですが、御亭主殿と友人Jさんとの間で、秘かに賭けが行われていたそうです(ー"ー;)
で・・・・頑張って橋の上からGetしたのが川岸近くの奇岩と
ゆったりと流れる「長良川」!!
おまけ・・・友人Jさんが隠し撮りしてくれた証拠写真・・・(-"-;)
寿命を削りながらの貴重な経験(笑)、それでも楽しい思い出として笑えるのは「旅先」という魔法ゆえ。
小倉山城址の山裾は鮮やかな紅葉に彩られ、このまま立ち去ってしまうのが勿体ないような・・・
とは言っても、旅先の持ち時間は制限付き(笑) どこかで切り上げなければ先に進めません。
鮮やかな紅葉に心を奪われつつ、長良川沿いの道を暫く進むと木製の美しい建造物「川湊灯台」が見えてきました。ここはかって美濃国四大川湊のひとつ「上有知湊(こうづちみなと)」として栄えた地。
「金森長近によって物資運送の玄関口として湊が築かれました。当時は番船40艘をおき、長良川下流への舟運の拠点となり、江戸時代から明治時代末年まで、この地方の物資の流通、交通の中心として繁昌。明治44年、電車が開通するまで活躍しました。高さ9メートルの灯台と舟着場への石段、舟運の安全を祈るために奉祀された住吉神社、文化年中、郡上連中が奉献した石灯籠などが昔を物語る姿をとどめています。」美濃市公式HPより
秋を満喫できる美しい眺め。
「神社参拝」に「うだつの町並み」散策と予定をクリアしつつ、次の目的地へ。美濃市駅の近くの小さな川に架かる「廣田橋」に「川湊灯台」を発見!手すりは「卯建」の屋根です。
その近くの民家の窓辺に、鯛を小脇に抱えて満面の笑みの「恵比寿様」の飾り瓦を発見!!
にこやかなお顔で打出の小槌を振る大黒様。
こっちには大きな袋を肩にかけた「大黒様」、何故か足元に招き猫が(笑)
ワイワイ言っているうちに、ワクワクする光景が見えてきました (⌒∇⌒)
まずは道路側の柵越しからズームで。画像左から「モ870型876号」「モ600形601号」「モ510形512号」「モ590形593号」
美濃市広岡町に残る木造建築「旧名鉄・美濃駅」
「大正12年10月1日に現在地にて開設。1999年4月に名鉄美濃町線新関~美濃間が廃止されましたが、当時の駅舎・プラットホーム・線路は登録有形文化財としてそのまま保存されています。」美濃市公式HPより
ホームに展示されているのは、「モ512号」「モ601号」「モ593号」と、カットボディされた「モ870型」の路面電車4両。いずれも美濃町線にゆかりの電車で、モ870型以外は車内を自由に見学する事が出来ました。(2010年当時の事で、現在も可能か否かは不明)
白と赤のツートンカラーの車体は「モ510形512号」
赤い車体に白の白線、回送の札付きは「モ600形601号」
緑とベージュのツートンカラーは「モ590形593号」。
「ちんちんビール電車」の看板(笑) 車内はマニアに喜ばれそうな古い写真や、素人には使途不明の諸々が展示されており、分からないなりに面白く拝見させて頂きました。
【 長良川 鮎は落ちても また来ておくれ も山紅葉の燃えるころ 】
市の中心となる「美濃市駅」。人懐こい猫さんと看板に見送られて、美濃の町歩きは終了。これから最後の立ち寄り地「大矢田神社」に向かいます。
訪問日:2010年11月28日
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