只見川に影を写す蒲生岳のシルエットに心を残しつつ、続いて訪ねたのはJR只見線「会津蒲生駅」。
駅舎の後方に見えるのは標高828mの蒲生岳。そのとがった山容から『田部井淳子さん』が「会津のマッターホルン」と名付けたそうですが、どうだろう? 蒲生岳のなだらかな三角錐と、マッターホルンの鋭く尖った三角錐。私のような山の素人には「そうなのかな?」・・・・😓
それはさて置き、北国の夏は遅いと言いますが、それでも7月ともなれば、人の手が入らないあぜ道は、あっという間に夏草の繁殖を許してしまいます。本来であればこの場所には、摩擦に磨かれた線路が鈍い光を放っている筈なのに、見渡す限りの夏草・・また夏草。
2011年3月の東日本大震災、これに追い打ちをかけた7月の新潟・福島豪雨。只見線は鉄橋の流出や土砂崩れによる線路の崩壊などで、甚大な被害を受けました。
特に会津川口・只見駅間は被害が大きく、只見川に架かる第5、第6、第7の橋りょうが流出したほか、第8只見川橋りょう付近では盛土の崩壊が起きました。豪雨被害から4年後・・・・線路は夏草の侵略を許し続け、手を触れても鉄の感触は伝わってきません。
乗降客の少ない路線、採算の取れない路線の復旧に多額の税金を投じるのは間違っている・・そうなのかもしれません。それでもこんな幟を見てしまうと田舎育ちで世間知らずの私は、やっぱり胸が痛むのです。「つながれ つながれ 只見線」「つながれ つながれ 只見線」
会津蒲生駅を後にして只見駅に向かう国道252号線の途中に見かけた、JR只見線の高架橋。
昭和38年(1963)に完成した会津蒲生駅~ 只見駅間の叶津川に架かる全長372mの「叶津川橋梁」。7月の豪雨災害で叶津川は増水・氾濫しましたが、本橋梁には影響はありませんでした。
見慣れた鈍い色の線路がよこたわる「只見駅」近くの踏切。
駅舎の向こうに小さく見えた「キハ18」
あのホームは現役なのだろうか?只見駅から小出駅までの線路は生きていると聞いたから、ではきっとあの電車は小出駅に向かうのだろう。
見慣れた駅社内の風景。時刻表に路線図。近在のお店の看板・・ああ、間違いなくここは電車の駅なんだと再認識する。
自然首都・只見へようこそ JR只見駅の記念スタンプは山深いトンネルを抜けてくる「キハ18」
福島県の会津若松駅と新潟県の小出駅を結ぶ全長約135kmの「JR只見線」。豪雨災害の後、JR東日本の懸命な復旧作業により、只見線の大部分で運行が再開されましたが、被害が特に大きかった会津川口~只見駅間は2022年9月30日まで、バスによる代行輸送が続きました。只見線を復旧したい・・地元の強い思いはついに実を結び、2017年6月に只見線の復旧が決定。被災から11年2か月となった2022年10月1日、地元の人々の願いを受けて、JR只見線はつながりました。
訪問日:2015年7月1日
やっぱり貴方は詩人です。
14枚の写真だけでなく、写真に付けられた説明文も、一編の詩でした。
「つながれ つながれ 只見線」「つながれ つながれ 只見線」
地元の人々の願いと、貴方の願いが重なった1行に切ない思いがこもっています。
無技巧の技巧・・・感動しました。
おはようございます。
今朝も寒いけど雪が降らないのが
いいです。
こうした素朴な場所は
なにげに歩いて探検したくなります!
今日も一日頑張って乗り切りましょう!
私たちは実際に草に埋もれた線路の上を歩きました
足底に伝わるのは鉄の触感ではなく
絡みつく夏草の煩わしさと
・・・言葉にできない切なさでした
そこまでして・・という人もいたかもしれません
それでも「生活の中に根付いていた路」が途切れる辛さは
経験したものでなければ分からないだろうと思います
だからこそ
同じ言葉の繰り返しになりますが
叶うならもう一度この場所に立って
今度は車中の人なって、只見川を渡りたい・・