額田郡幸田町(こうたちょう)は愛知県の中南部に位置し、西三河地方唯一の額田郡を構成する自治体です。町域には 中部工業団地をはじめとした多くの工業団地があり、特に自動車関連産業を中心とした製造業が盛んです。また1本の木から甘柿と渋柿が成る不完全甘柿「筆柿」が有名で、全国の生産量の95%を幸田町が占めています。
キャッチフレーズは「夢のある 心かよう 活力ある町」
明治22年(1889)、町村制の施行により額田郡坂崎村・相見村・深溝村が発足。幡豆郡松坂村・豊国村が発足。
1906年、額田郡坂崎村、相見村、深溝村が合併、額田郡広田村が発足。幡豆郡松坂村、豊国村が合併、幡豆郡豊坂村が発足。
1908年、東海道本線幸田駅に合わせ、広田村を幸田村(こうだむら)に改称。
1952年、幸田村が町制を施行、額田郡幸田町となる。
1954年、幡豆郡豊坂村と合併、額田郡幸田町(こうたちょう)となりました。
マンホールには、町章を中心に「町の花:ツバキ」が描かれています。
昭和34年7月14日制定の町章は「幸田町の頭文字「Kota」をイメージしたもので、 町の人々の円満融合と団結を表しています。」公式HPより
幸田町:旅の御意見帳キャラクター『大久保彦左衛門』。実はここ幸田町は三河の戦国武将で、家康・秀忠・家光の三代に仕えた天下の御意見番「大久保彦左衛門」ゆかりの地なのです。
撮影日:2011年9月22日
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