車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 高知県四万十町&旧窪川町

2020年08月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・高知県

高岡郡四万十町(しまんとちょう)は高知県の西南部に位置する町です。2006年3月20日、幡多郡大正町、十和村、高岡郡窪川町が合併して発足しました。四万十市、幡多郡黒潮町、高岡郡中土佐町・津野町・檮原町に。さらに県を跨いで愛媛県北宇和郡鬼北町・松野町に隣接。町域は東から西に流れる四万十川の中流域にあり、東南部は土佐湾に面しています。林野が87.1%を占め、田畑は6.0%、集落の多くは四万十川とその支流の河川沿いや台地上にあり、一部は土佐湾に面する海岸部にあります。町域には、四万十川に現存する沈下橋の中で最も国指定有名文化財の「一斗俵沈下橋」や、JRのフルムーンポスターに利用された「芽吹沈下橋」等々があり、人気のスポットとなっています。

キャッチフレーズは「日本最後の清流のまち 山・川・海 自然が 人が元気です 四万十町」

2006年3月20日制定の町章は「四万十町の「四」の文字に合併数を配して、四万十の川をイメージして図案化し、豊かな自然に育まれて共生する人々の、活力に満ちた安らぎの郷を表したものです。」公式HPより

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旧高岡郡窪川町(くぼかわちょう)は高知県の西南部、四万十川の中流に位置した町です。高岡郡中土佐町・津野町・檮原町、幡多郡大正町・佐賀町に隣接。中央部を南流する四万十流域の標高230mの高南台地に町域が開け、約2,000haの農地が広がっており、合併後はここに庁舎が置かれました。四国八十八箇所・三十七番札所「藤井山岩本寺」を擁し、日本の白砂青松100選の「小室の浜」は東西約2kmに及ぶ白砂青松の渚で、夏場には海水浴客でにぎわいます。「町の木:窪川ヒノキ」「町の花:エンコウツツジ」「町の鳥:キセキレイ」を制定。

旧キャッチフレーズは「世界に開かれた四万十緑林文化都市・くぼかわ」

明治22年(1889)、町村制の施行により、高岡郡窪川村・東又村・興津村・松葉川村・仁井田村が発足。

1926年、窪川村が町制を施行、高岡郡窪川町(第1次)が発足。

1948年、幡多郡大正町大字折合を編入。

1955年、東又村、興津村、松葉川村、仁井田村と合併、高岡郡窪川町(第2次)が発足。

2006年、幡多郡大正町、十和村と合併、高岡郡四万十町となりました。

昭和44年10月11日制定の町章は「窪川のクボを図案化したもので、両翼は 町の発展飛躍を表わし、円形は町の平和を 意味する。」合併協議資料より

この地域に限ったことではなく、私たちは何度もお遍路さんに遭遇し、追い越してきました。それは例えば雨の日であったり、冷たい風に身を切られそうなときであったり・・

茂串地区には、四国八十八箇所札所「岩本寺」があり、お遍路さんへの心配りの施設が幾つも見られました。「お遍路さん お疲れ様です」と書かれた、茅葺の小さな水車小屋。通りすがりでありながら、思わず手を合わせてしまいます🙏。

立ち寄った「道の駅・あぐり窪川」には黄金の店長像があるのですが、これが信じられないくらいご亭主殿の体形とソックリ!! いつの間にこんな所まで出張していたのかと考えていたら、何故か後ろから蹴りが!!

(※)旧高岡郡窪川町では、ご当地マンホールの類は見つけられませんでした。

撮影日:2013年3月23日


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