かつての美作国に当たる場所に、『少彦名命』によって発見されたと伝えられる温泉があります。湯郷温泉、湯原温泉と共に「美作三湯」と呼ばれ、江戸時代は津山藩の湯治場として栄えてきた「奥津温泉」。
吉井川に架かる奥津橋を中心に温泉街が形成されおり、昭和41年(1966)8月1日に国民保養温泉地に指定。1991年には国民保健温泉地に指定されました。
唐破風屋根の玄関が、いかにも温泉街の宿の趣を感じさせる「奥津荘」。わずかな時間の散策ですが、スタートはここから。と言っても表玄関を見ただけ。お泊りでもない私たちには、素敵な佇まいに見惚れるのが関の山😅
奥津荘にある「鍵湯」の名は、藩主:森忠政が一般の利用を禁じ、番人を置いて鍵をかけたことに由来します。鍵湯では浴槽の底から温泉水が自然湧出していると言う事で、もしも機会があれば是非とも入湯してみたいお湯です。
奥津橋の袂には「衣洗う奥津の親子」像が建立されています。幼い子供と一緒に足踏みしながら洗濯をする母。幼いながらも母の仕草をまねて足踏み洗濯をする子供。昔はこういった情景が普通に見られたのでしょう。
3月上旬~12月中旬の日曜、祝日、奥津橋のたもとで行われている足踏み洗濯は、かつて熊や狼を見張りながら川に湧き出る湯で洗濯していた名残とか。姉さんかぶりに赤い腰巻もかわいらしく、器用に足先で洗うしぐさはダンスをしているようにも見え、別名「洗濯ダンス」とも呼ばれています。
俳人:与謝野鉄幹はその様子を【 衣洗う 奥津のおとめ 河床の 清きに立ちて 踊るごと践む 】と詠んでいます。
河原には露天風呂が2つ有り、この露天風呂の片方が「洗濯湯」と呼ばれているもの。
気の早い鯉のぼりは、風を受ける事が出来ず、だらんと尾を下げたまま。
耳を済ませば、聞こえてくるのは吉井川の流れの音。音に誘われてじっと見ていると急に怖くなり、慌てて回れ右をしてしまうのは泳ぎが出来ない所為ばかりとも言い難い😅
白く泡立つ水の色は、深みと岩場が作り出す危険のサイン。まぁ・・基本的に自然の水は怖いと体が拒否反応を起こしています。
改めて橋の上まで戻って見下ろすと円形と楕円形の露天風呂に、川の流れがすぐ側まで迫っていて、やっぱり怖いという印象が否めません。
時間に急かされるようにもと来た道を引き返した私の目に留まった史跡の標柱「馬乗石」。傍らには「津山藩主・森・・・元禄七年・・二回にわたり・・」と記された駒札があるのですが、石に隠れてしまって、読めたのはごく断片。史跡とあるので、調べればわかると思ったのが間違いだったようです😓
温泉街と違ってずいぶんと賑やかな道の駅。もしかして足湯とか有るかもと期待していたのですが、空振りでした😅
訪問日:2012年4月23日
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