総門を抜けた先の池の中に建つのは、元禄年間(1688~1703)建立の「弁財天堂」。 有名な七福神の中では唯一の女神であり、その為かお堂も美しく化粧されています。
明治21年再建の「大師堂」。堂内には『弘法大師』をはじめ、当山代々の先師方が安置されています。
総門の先の参道左右には、我が子を千尋の谷に突き落とす様を現した「獅子山」。『石工・紅葉丑五郎』、『獅子山・山田政五郎』の共作で、明治37年(1904)5月の建立。
溶岩で作られた大きな獅子山の上に立つ親獅子、眼下には、這い上がる子獅子の姿。弱肉強食の世界では弱いものは強いものの餌食になるだけ・・弱いものを庇っていては自らの命も守れない。親はあえてわが子を谷底に突き落としその力量を見定めるのです。
子獅子は命を賭けて親獅子のもとへ辿り着こうと、とがった岩にか細い爪を立てて見上げます。 そんな小さな仔狛を見る度に、思わず「負けるな!這い上がれ!」と声をかけてしまうのです。
仏教伝説にある「獅子は子供が生まれて三日たつと、千尋の谷に突き落とし、勇気を試す」。 江戸時代中期以降に作られるようになった「獅子山」、ご亭主殿は特にこのタイプが好みです。
石段の先には天保2年(1832)に再建された、総欅造りの「仁王門」が見えてきました。国指定重要文化財の堂々たる姿は、これだけ離れていても圧倒的な迫力。
「仁王門」前の石段上で守護をされるのは、天明8年(1788)戊申9月初日建立の、江戸尾立狛犬。 真っ赤に塗られた阿形さんの口は何か意味があるものなのか、それともこれが普通なのでしょうか?
吽形さんは妙に取り澄ました顔で、目の前を行きかう参拝者たちを黙って見つめています。 そういえば阿吽とも、まるで腕まくりをしているような足なのが、ちょっとユーモラス。
三間一戸の入母屋造、八脚門の「仁王門」、細部に施された彫刻は『後藤亀之介』の手になります。 そそられるフレーズですが、それでなくても高い位置にあるのに加えて、厳重に金網で保護されていては😓
と言いつつ、私の大好きな木鼻の獅子は、2014年の参拝時にしっかりと画像に収めていました。 満開の牡丹を咥えて得意げに振り返る阿形さん、流れるような鬣(たてがみ)はとても麗しく優雅。
かたや吽形さんは美しい透かし鞠に結ばれた紐を咥えて、これもまた得意げな顔で振り返ります。
反対側の木鼻の獅子は、牡丹も透かし駕籠の鞠も持っていませんが、顔立ちはこの上なく優雅。振り返ろうとする首の角度まで優雅😍
まるで楽しくて仕方がないと言いたげな阿形さんを見つめる吽形さんは、ちょっと不機嫌。 機嫌の悪い理由は、阿形さんのご機嫌の理由が分からないから?それとも別の何かかな😊
「仁王門」の内には、阿形像の『那羅延金剛 (ならえんこんごう)』。 反対側には、吽形像の『密迹金剛 (みっしゃくこんごう)』が安置されています。
仁王門の裏に安置される仏は北の守護神『多聞天』、両足で踏みつけているのは、邪鬼(じゃき)。 反対側に安置されているのは西の守護神『広目天』。左手に「鉾」を持ち、右手には衆生救済の象徴とされる「羂索(けんさく)」を手にしています。
仁王門のシンボルともいえる中央の大提灯は、大本堂建立時に東京築地の魚河岸の旦那衆が奉納したものです。 直径2.4m 高さ2.8mで重さは何と800キロ。青銅の一種である「砲金(ほうきん)」で出来ています。
意外と気がつかない人が多いのですが、実は提灯の底には、金色の龍が鋭い目を光らせています。 知らなかったという人も、もしかしたら気がつかないままに龍に触れていたかもしれませんね。
成田山新勝寺~其の三に続きます
参拝日:2014年5月20日&2019年3月18日
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