厳しい、市民としての責務を果たしてこそ、個人の善意、奉仕の心が生きてくる
過日読んだ岩波ブックレット『取り返しのつかないものを、取り返すために 大震災と井上ひさし』」に収録されている講演について書かせていただくだ。今朝は大江健三郎の講演について書いたが、今回は同じくブックレットに収録されている内橋克人の講演について書く。内橋講演は、「興奮を禁じ得ない」という言葉がぴったりするほどに、わくわくしながら読んだ。
内橋克人講演は、大震災後の人間のあり方を問うていて、とても迫力があり深く感動し、かつ考えさせられた。その内橋の言葉を少し長いが引用させていただく。お読みいただければ嬉しい。
「被災地で身を削って献身するボランティア、社会連帯の大切なこと、繰り返すまでもありません。被災者に真に寄り添う心が、被災者を救う。けれども、これからの時間、国は、政府は、被災者に対して真に公的支援の名にふさわしい救援の手を差しのべていくのか、そう厳しく問い、凝視し、監視し、促す。政府の意思と行動の実質をこそ、問い、迫り、促していかなければならい、と考えます。そうした厳しい、市民としての責務を果たしてこそ、個人の善意、奉仕の心が生きてくる、と。せっぱ詰まった思いで、そう私は訴え続けたいと思います」。
国・政府の東日本大震災や東京電力の原発事故への対応は、まさに「怒り心頭に発す」状態だが、「そんなことを言ったって」とまずはできる支援をという方向に、私自身も無縁ではないが、国民全てが走っている傾向がある。
そんな中での、先の内橋克人の発言には驚きもし、深く頷いた。その通りだと。私も「厳しい、市民としての責務を果た」さなければと、反省とともに思いを強くした。「人間として生きる」ことを教えてもらった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます