21世紀中年

昭和オヤジのときめき、ひらめき、感激、嘆きを思いのままに書き連ねます

人材難沼に喘ぐ総裁選、代表選

2024-08-23 07:43:37 | 政治にモノ申す
 そもそも興味などないわけだか、無性に腹が立ってしょうがない。自民党の総裁選だ。
 やばい、もう名前すら浮かんでこない、誰だっけ・・・・・・やばい、まじ出てこん、そう、そう、岸田首相、総裁だった。何もしない、できないおかげで、行動面での失点が少ないことで生きさらばえた、まさに今の政治の申し子みたいな存在だった。
 自己保身丸出しの与党議員の出るなコールを受けて、総裁選不出馬を決めたわけだが、その後の総裁選に名乗りを上げるメンツがこれまたひどい。人材難を絵に描いたごとく、新鮮味のない顔ぶれと何であんたが?と疑いたくなる小物ばかり。これじゃあ、誰がなっても自民党政治は変わらん。てことは政治は変わらんということになる。
 小泉旋風が吹き荒れた後遺症はいまだに続いているのか。政権を民主に奪えわれたものの、すぐに敵失で返り咲いた自民政権なわけだが、福田、安倍、麻生という帯襷の出がらしが岸田だっただけに、今の期待感ゼロの総裁選は大体予想がついたわけだが、それでも一人くらい以外にいいじゃんといえそうな奴が出てきてもいいじゃん。しかし、残念ながら、今の時点では期待できそうもない。
 石破、上川、高市、河野、小泉、あとだれだっけか、まあどうでもいい、バラバラ名乗りを上げているが、これも派閥衰退の影響だろう。三角大福の時代とは違うのはわかるが、それでも自民党総裁選っていうものは、派閥の争いであり、それはこの国の政治の縮図だったわけだ。つまるとこところ、日本の政治は、政党政治とはいっても、実際は自民党内の派閥という政党がしのぎを削ってきたわけだ。ところが、派閥が政党的な存在感を失した今、派閥の存在意義など皆無に等しい。今の総裁選がそれを物語っている。
 小泉以降、自民党に期待したことも正直少しあった。河野、小野寺、後藤田に私は少し期待していた。今や河野だけがなんとなく生き残ったが、当時の面影はない。視野狭窄に陥った先が見えない政治家に成り下がっていた。
 何人名乗りを上げるか知らんが、最後は3、4人に絞られ、マスメディアのから騒ぎによる茶番劇で、誰かが総裁になるが、もうどうでもいい。
 もっとひどいのは立憲民主の代表選だ。和泉、枝野、野田???人材不足の極みである。政権交代など画餅どころか、語るのさえ恥ずかしい貧困政党に成り下がった。
 ああ、いつまで人材難沼は続くのか。いつになったら政治に光明は差すのか。生きている間は難しいかも。
 

コメント
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