渋野が5番でピンチ脱出!ラッキーなことに火曜が仕事休みで、心おきなく全米女子OPを見ていられる。そういえば、全英のときも、翌日仕事休みで最後まで見ることができた。これは、まさしく吉兆としかいいようがない。もう優勝しかない。がんばれ!
「何でだよ、やっぱ蔭山君だろう」
「危険なビーナス」のラストで思わず呟いてしまった。吉高はむしろ好きな女優ではあったが、「スーツ」あたりからすっかり中村アンが気に入ってしまった。
もちろん、彼女が演じる役柄のせいだ。俗に言われるツンデレともどこか違う。しいて言うならば、弱さを武器に男に媚びない女。でも生意気ではなく、色気がある。
はまり役だ。昭和おやじはそんな中村アンから今後も目が離せない。
ゆうべは、数少ない私の馬券逆転劇をつらつら書きなぞっていたのだが、はじけるように記憶がよみがえってきた。ついでに、少し披露してみる。
あれは社会人2年目の夏ではなかったか。もちろん、独身である。給料はすぐに飲み代と馬券代に消え、一週間もすると100円が1万円の価値に変動する。その日も、給料日までまだ1週間以上あるにもかかわらず、所持金は1000円足らずの惨憺たるありさまだった。日曜、近所に住んでいた同僚と朝からアパートでぐだぐだしていたのだが、二人して競馬好きとあって、やはり思いは競馬に向くわけで、有り金で勝負しょうという話になった。とはいっても、二人合わせても軍資金は2000円足らず。「定期があれば、仕事にいける、こんな金ないのと一緒だ行こうぜ」てな具合だった。
向かった先は地下鉄で15分足らずのすすきのウィンズ。新聞代ももったいないので、競馬会発行の出馬表を見て、買い目を決めた。選んだのは札幌4レース、軸はエバンズシチーだった。なぜそうなったのは記憶が定かではないが、たぶんジャズ好きだったから、ビルエバンスにひっかけただけかもしれない。ともかく、それが当たり枠連で1700円ついた。500円かっていたので、所持金が8500円に膨らんだ。
すっかり気をよくして、そのままタクシーで札幌競馬場に乗り込んだ。新聞も買ってやる気満々だったが、結局ずるずると負け続け、最終レースを前に所持金は1500円、配給原点を割り込む始末だった。
もともと一度は「こんな金ないのと一緒」と始めたわけで、躊躇なく最終有り金勝負に出た。負ければ北区のアパートまでオケラ街道をとぼとぼ歩くことになるわけだが、勢いはとまるわけがない。
そして、ここでも私の土壇場のひらめきが降ってきた。「やっぱ、ノーザンテーストでしょう。イブキカザンで勝負だ」と宣言すると、すでに同僚はあきらめの境地だったらしく、「まかせた」のひとこと。結局、イブキカザンから各500円の枠連3点流しで勝負に出た。終わってみれば、カザンが勝って4-5の2千ン百円。してやったりで、万札ゲットとあいなった。タクシーは混んでいると予想し、意気揚々とオケラ街道を徒歩で帰ることにした。気分上々で疲れはない、それでも夏である。のどは乾くわけで、生が飲みたい、ジンカン(ジンギスカン)食いてえと叫び、北24条のとある石焼ジンギスカンが名物の店に駆け込んだが、満席。それなら寿司だと同じフロアの寿司屋に入り、カンパイと洒落込んだ。飲んで食ったら、残ったのは配給原点。とんだ逆転劇ではあったが、いい時代だった。
長いことウマをやっていると、大逆転という醍醐味を何度か体験することがある。逆転というからには、負けが前提にあるわけで、しかも圧倒的に負けているのが実情だ。負けっぱなしでは救いようがないわけで、数少ない負けを晴らす出来事が、長い馬券人生を支えているわけだ。
私の逆転劇は、何故か暮れの中山が舞台になる。初めての逆転劇も暮れの中山だった。
時代は昭和、TTG時代が競馬を盛り上げ、馬券の売り上げも右肩上がり。大学生だった私は、学生は馬券を買えないという競馬法も知らず、堂々と馬券を買っていた。当時は有馬記念が最終日ではなく、翌週がファイナルだった。バイト先の先輩二人と中山最終日に競馬場に乗り込んだ。昼からのレースに参戦し、目当てはメインのクリスマスハンデだったかクリスマスステークスだったか忘れたが、シルバーペガサスが出ていたレースだった。まったく当たらず、軍資金も底をつき始め、メインを外せば帰りの電車賃しかなくなる状態だった。メインはたぶん人気だったと思うが、シルバーペガサスから勝負した。結果は当たりだが、配当が800円くらいで、4千円くらいにしかならなかった。それでも、最終レースまで首がつながったことは吉兆なりと、最後は有り金勝負に出た。狙いは2枠のアサヒサクラ(記憶があいまい)、穴馬だった。そこから、人気どころに3点ほど流した。一目千円の特券勝負である。当時は200円券と1000円券、500円券もあったかもしれない。とにかく、特券勝負など学生の分際では滅多にしないのだが、その時は躊躇なく勝負した。根拠は記憶にないが、ひらめきだったと思う。結果は枠連2-3が3400円の中穴だった。それが、初めての逆転体験だった。すっかり暮れた場内を見渡すと、パドックのオッズ掲示板にありがとう19ン十年と電飾文字が輝いていたっけ。
暮れの中山逆転劇パートⅡも暮れの中山最終日だった。正直、何年頃だったかは記憶が怪しい。社会人になってからで、札幌は狸小路のウィンズが舞台だ。前の日、友人と飲みに出て散財し、馬券資金がなかった。友人と約束があると正直に話し、カミさんに馬券代5000円を借り、昼から参戦した。借りた金で勝負すれば負けるといわれるが、その日はそこそこ調子よく、小当たりが続いて、最終レースのころには借りた5000円が1万5000円になっていた。5000円はカミさんに返すつもりで、1万円投資することにした。一緒にいた友人二人はそろってオケラで、何とも複雑な心境ではあったが、勝負はやめられない。目を付けたのはサンスポの佐藤洋一郎の予想だった。ここは穴の洋一郎にのっかろうときめ、師が二重丸を売った1番の馬から勝負した。もちろん、印をつけたのは洋一郎氏だけで、完全な大穴だった。フジノなんちゃらだった気がする。結果は馬連だったか枠連だったか記憶はあいまいだが、とにかく1と大外8枠の組み合わせで9800円の大穴となった。終わってみれば、10万越えの大勝利。友人にご祝儀をはずみ、堂々と我が家に凱旋したのはいうまでもない。
暮れの中山逆転劇パートⅢは、以前、紹介した競馬人生最初にして最後の帯封ゲットだ。そういえば、大逆転はそれが最後かもしれない。マックイーンの時代だから、大昔といってもいい。
今年の暮れは久々に大逆転を味わいたいものだ。
明日は景気づけに、迷わずソダシから勝負する。
札幌2歳を勝った時から、ジュベはソダシで行くと決めていた。レコードもさることながら、2歳馬らしからぬ王道を行く強い勝ち方が印象的だった。そして、前走アルテミスの快勝で期待が確信に変わった。
もしソダシを負かす馬がいるとすれば、ディープやハープスターのような異次元の差し足を使う追い込み馬しかいない。もちろん、そんな馬は見当たらない。それくらいソダシの完成度は高く、現時点では2歳牝馬ナンバーワンといっていい。
相手は唯一のディープ産駒で無敗のサトノレイナス、良馬場の走りが見たいモーリス産駒のインフィナイト、ハマればいい脚が期待できそうなゴールドシップ産駒のユーバーレーベンの3頭。
距離未経験のメイケイエールはぶっ飛ばす。