先日の党首討論でも岸田総理は「政治には金がかかる」といっていました。マスコミにもネットにも政治資金規正法の議論の中でこの言葉は常につかわれ、それに疑問を差し挟むコメントはありませんでした。
それでもこのブログでは、その言葉は使い方が間違っているのではないかとしてきしました。
政治というのは、日本という国の安定と発展を目指し国民がより豊かで幸せな国になるように運営していくことですから、それには膨大な金がかかるのは当然です。
くりかえしますが、しかしそのお金は国民が税金や社会保険料として全額負担しているのです。
その上に政府は国民から借金をしてまで政治に使っています。国民はそれも一応認めていますから、赤字財政の問題はここでは置くとして、そのほかに何に金がかかるのですかということです。
政治資金規正法の関係で議論していることは、「いや。まだほかに金がたくさんかかるのだが、その中身はできるだけブラックボックスにして、国民にも解らないようにしたい」という事の賛否なのです。
隠蔽に公然と賛成したのが自民党と公明党で、かつてのっ選挙で絶対多数を擁していますから、強行採決で分からなくてもいいでしょうということが決まったのです。
野党のほうも、ブラックボックスというのは、あまりにも無責任だから、国民に見せても何とか納得くしてもらえるようなものにしようではないかという意見から、そんな闇ガネ、裏ガネは認めるべきではないという意見までいろいろあるようです。
そこで政治資金規正法でいう「国民に隠しておきたい政治の資金とはなにか、という事になるわけですが、それは公式には解らないのです」 それは政治資金規正法で決めてきたように、使途についてきちんと説明しなくてもいい」 という事になっているからです。
しかしそれでも、いろいろな状況証拠は沢山あって、それは、政党が、自分の政党のシンパを多くするため、つまり党勢の拡大強化を図るための金が殆んどだという事だと多くの国民は知ってしまっているのでしょう。
それは政治なのでしょうか。民主主義の政治体制では、より多くの国民(有権者)から信任された者が国民の代表になり、政治を行うというのが本来の趣旨ですから、市町村議会の選挙から国会議員の選挙まで、選挙に立候補する人は有権者に自分の考え方などをよく知ってもらわなければなりません。
もちろんそのために選挙活動の期間があるわけですが、出来れば普段からこの人が政治家になればいい政治をしてくれるだろうと思うような発言や活動をすることが大事でしょう。
そこで分かれるのがそのための方法論でしょう、まともなのは積極的な情報発信で有権者の心を掴むことです。そしてもう一つは、金にものを言わせて支持者や信者を獲得することです。
前者の場合は本人の地道な努力が必要です。後者の場合はカネが必要で、カネは多々ますます弁ずです。
前者の場合は健全な民主主義が発展し、後者の場合は、民主主義の金権政治へ堕落が起きます。
日本の場合には金権政治に情が絡んで、政治が歪められて来るというプロセスの途上というところでしょうか。
そして今、そのプロセスの進行を止めようという反省が起きているのですが、過去の選挙での絶対多数がその反省の動きに全力で阻止しようと抵抗しているというところでしょう。
以上、改めて「政治には金がかかる」という言葉の意味を、市井の一老人の目で論じてみた次第です。