政治とは一体何でしょうか。解りやすく言えば、国や地方自治体が、その国民や住民にとってより良いものになるように考え、計画し、実行して、国民や住民の生活や文化の向上を実現する事でしょう。
政治は、企業経営とよく似ています。企業経営はより大きい利益を上げるための活動といった考え方もありましたが、今はCSR=「企業の社会的責任」という意識が一般的になり、利益を追求するだけのものではないと考えられています。
日本ではもともと、多くの企業の「社是・社訓」にあるように社会に、企業は貢献するという意識が明確で、近江商人は、売手、買手、世間の三方の満足、渋沢栄一は『論語と算盤』など、社会全体の為という考え方が一般的でした。
こうなると、政治も、企業経営も基本的には共通の考え方に立つという事になります。
現実の場でもそれが実証されているようで、会社の業績は経営者の資質・能力に大きく依存するというのは世の常識でしょう。
これを日本の政治に当てはめてみれば、前回指摘しましたように、1970年代までの日本国の経営は良かったが、その後の経営は失敗続きといった実態が見えてきます。
そうした中で、近年になって、常識のように言われるのが「政治にはカネがかかる」という言葉です。しかし、これは本当に常識でしょうか。
確かに、日本国の経営、地方自治体の経営にはカネが掛かります。しかし、そのカネはすべて税金やと社会保険料という形で法的に国民の負担として確保されているのです。
そしてその負担は,国民に迷惑を掛けないようにと、国家予算にしても、地方自治体の予算にしても、なるべく抑制し節約すべしというのが「常識」なのです。
では「政治にはカネがかかる」という常識は、何なのでしょうか。ここでいう「政治」は政治本来の活動ではありません。政治家のグループである政党の運営費なのです。
勿論、政党にもその運営のための経費は必要です。国も国民もそれは認め、国家予算の中から政党交付金を支出しています。
本来であれば、サラリーマンが給与の範囲で暮らすように、その範囲でやりくりすべきでしょう。しかし、それでは足りないとい所から「政治にはカネがかかる」という言葉が作られたようです。
確かに、選挙民に「わが党の方針や活動を知ってほしい」と 思えば経費は必要でしょう。ですから、それに対しては、個人献金が認められているのです。
但し、個人献金は、選挙の一票と同じように、個人が、その政党の活動を評価してのことでしょう。
ですから当然、政党は自分たちの働き、その成果の周知に努め、議会における活動などを選挙民に知らせ、それが選挙民と政治家の活動との相互理解の促進に役立つというメリットもあるのです。
政治献金は、政党や政治家の国民・住民への貢献を周知し、その評価が、個人献金に繋がるという所に意味があるのです。
草の根民主主義という民主主義の本来の形から、民主主義のあるべき姿を考えれば「政治にはカネがかかる」などと言う言葉は生まれてこないはずです。
この意味不明の言葉は、民主主義を金の力で汚そうという邪な欲望が「言葉」として現れた結果と理解すべきでしょう。