憲法記念日と国際連合
今日は憲法記念日です。1947年の今日、現在の日本国憲法が施行された日を記念するための国民の祝日で、その後、今日を中心に国民の宿術が集まり、奇しくも春のゴールデンウィークの中心の日となりました。
今年は昨年に続いて折悪しく、新型コロナによる緊急事態宣言の真っ最中で、不要不急の外出は控え、家で巣篭りという事ですから、花を愛でて過ごすことにしています。
そこで何か憲法にちなんだ花はないかと探しましたが、これは発見できませんでした。テレビで見る憲法の入っている箱の菊は、天皇家の紋章で、特に日本国憲法と関係があるわけではありません。
それでは人類全体の憲法というべき国際連合のシンボルマークはといいますと、これは北極上から見た図案化した世界地図を交差するオリーブの葉で囲んでいます。
オリーブの葉ですから花ではありませんが、オリーブは平和の象徴という事です。
という事で、国連は世界の平和を望んでいるという意思表示をしているわけですが、世界ではいまだに戦争が絶えません。だから国連は平和を望んでいるという事なんでしょう。
日本は、そうした中で、憲法の中で、
「、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
と謳い戦争放棄を明確にしている数少ない国の1つです。
ところが今、改憲論議の中で、日本を再び戦争のできる国にしようという意見が出て来ているのは皆様ご承知の通りです。
に象徴的にあらわされているように思われます。
戦争というのは人間の行う破壊活動の極致です。特に今の戦争は人命も含めて、営々と築いてきた成果を一朝にして破壊し尽すことが容易に行われるものでしょう。
更に歴史的にみても、当事者たちがもう少し賢明だったなら避けられた戦争というのがほとんどではないでしょうか。
そして後から考えれば、たとえ勝ち戦であっても、出来ればやらない方が良かったという戦争がほとんど全てでしょう。
なのに、なぜ人間は戦争をするのでしょうか。それは人間の愚かさの故という意外に説明はつかないことでしょう。
るようになれば戦争はなくなるのでしょう。
そしてそれは不可能ではありません。現に、日本の国内では紛争の解決に争いをもってすることは常識ではありません。しかし国際関係になった途端に思考方法が変わるのです。
理由として言われるのは、国連に国際社会、人類社会のガバナンス能力がないからです。
ではなぜないかというと、その理由も明らかというのです。それは、国連組織自体が民主主義的な組織になっていないからというわけです。常任理事国が、選挙で選ばれずに、第二次世界大戦の戦勝5か国で、今なお固定していることによるというのです。確かにその通りでしょう。
国連組織が民主主義的でなくては、国連が国際社会、人類社会に民主主義を説いても効果はないという事になるのではではないでしょうか。
この問題は、人類社会が今後真剣に検討しなければならない大きな問題なのでしょう。
日本の憲法論議も、実は国連の組織そのものの在り方に繋がっているということではないでしょうか。