東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

一緒に

2024年12月31日 21時58分40秒 | ラストイヤーにかける想い

お世話になっております。ディンギーマネージャーの吉田あかりです。

あっという間に最上級生になり、気づけば2024年度も終わろうとしています。私は北海道にいる酔っぱらいくんとは反対の沖縄で2025年を迎えます。

あっという間と言いつつも、先輩と一緒にホッパーで出艇していた同期が、今では自分と船に乗っている後輩にアドバイスをしながら、他の船にも目を配って出艇している姿を見ると、成長と頼もしさを感じるとともに自分達が最上級生なんだなと実感します。

思えば3年間色々ありました。八景島で夜遅くまでおかしみをみていたり、葉山の海のきれいさに一緒に感動したり、旧合宿所で色々なものと戦ったり…。プレーヤーとマネージャーで立場は違うけれども、同じ時を刻んで一緒に成長してきたなと、肌が白かった同期の写真を見返すたびに感じます。

そして引退まであと1年をきりました。

引退する時には自分・マネージャーチームもスナイプチームや470チームと肩を並べるヨット部の柱の一つだと胸を張って言えるようになりたいと思っています。そのために連携と協力を大切にし、お互いに刺激し合える関係を築いていきたいです。

また、マネージャーだからできない、ではなくて、マネージャーだからこそできること、みえること、伝えられることなど、マネージャーならではの視点を大切にして、この代のヨット部に貢献していきたいです。

さらに、楽しみながらも部全体に貢献・紡ぐことができるチーム作りをしていきたいです。

 

自分やみんなを見ていると、時間の問題や自分の成長、チームのために、楽しいことややりたいことだけをやるのは難しいなと感じます。

部員全員が東大ヨット部に賭けてきた分、何倍もの喜びが結果として返ってきますように、ちゃんと紡がれますように。

つらい時に私やマネージャーがみんなの気持ちをプラスに変えるきっかけを与えられるように。

誰かの力に、みんなの力になれるように全力投球していきます。



賞状受け取ってる同期見たいなあ

笑顔で陸に帰ってきてほしいなあ、ハイタッチとかしたいなあ

みんなが思い描いてる引退になりますように。

一緒に追い求めていこうね。

91代 ディンギーマネージャー 吉田あかり


『室蘭於説湯自論』

2024年12月30日 23時59分59秒 | ラストイヤーにかける想い

↑ こちらは先日一緒に「ミス/ミスター東大コンテスト2024 ファイナル」を見に行った、ミスター・ムンバイ州立大学のタイゾー=ナマステ=シモムラくん。

 

世間は聖夜だ聖夜だなんて浮かれておりますけど、そんなもんとは一切縁が「ネェヤ」の我々でございますが、皆様いかがお過ごしでしょう。

自分はと言いますと先週から私のアナザァスカイ(第二の故郷)ともいえる、室蘭の祖父母の家に滞在しております。さすが天下の東大生様をお迎えするというだけあって、毎食出てくる豪華な海産物や地酒に舌鼓を打っているところでございます。高学歴っちゅうのはいいもんですなァ。

 

さて、「ラストイヤーにかける想い」というテーマで新四年が毎日リレー形式で書いております。みんな真剣です。どれくらい真剣かというと、Lineの学年グルで市毛くんがブチギレをかますくらいには皆真剣です。真剣と書いてマジです。

正直言って、僕はいつもと変わらぬことをするまでであるという昨日の悠汰くんのブログに大賛成でありまして、ラストイヤーといって特段なにかを頑張るモチベーションはそんなにありんせん。なので特に何か大したことを書くつもりはありんせん。考えてみると千田さんも当時、中高の恋愛を振り返ったりするようなこと書いてましたしね…。

なので今回は温泉について書こうかなと思っております。

 

今回はお風呂について。親戚一同が風呂好きなのに加えて、家の近くが温泉街ということもありまして、私は小さい頃からよく温泉に連れて行かれました。

昔は大層不思議でした。湯船のじいさんがなぜあんなにも演歌だとか詩吟だとかを気持ちよさそうに詠じているか。こぶしをきかせながら。ステータスの一種だとも感じました。じじステータス。周りは距離置きますしね。「あれ、このじいさんなにやら詠じてるぞ」って。「念仏か?」って。

まあしかし気がつけば月日は流れ、22歳の私もいい気分になりながら鼻歌なんか歌っています。雪見の露天なんかに入って今年のあれやこれやを思い出してると、あのじーさんではないですが、思わず口が動いてしまいますね...。あーぱつあぱつ..あーぱつあぱつ♪…だなんて…。

 

そう考えると、年寄りのイメージというものは年寄りになってみるまでわかりませんな。どうやら私は小さな構成主義者を飼っているようです。

 

いま私は「小さな構成主義者を飼っている」と言いましたが、これは特に意味はありません。そもそも構成主義はなんなのか数分前に検索しました。なんとなくブログを締めくくるのにちょうど良いフレーズかなと思った次第でございます。なのでその道の専門家(西間とかかな?)に指摘されたら、甘んじて指摘を受け入れます。

 

というわけで一旦ブログを締めます。明日余力があったら編集します。

 

今年は総合入賞してみんなで涙をなーがすながす♪ マン

 

明日はロゼです。


僕は毎日この窓の下で寝ているのですが、朝目覚めると同時に目標が目に入ってくるって素晴らしいと思いませんか?

2024年12月29日 00時53分48秒 | ラストイヤーにかける想い

代替わりしてから3階で寝る人が増えて寂しく感じております。特に、今まで僕は三上くんと北村くんにサンドイッチされて寝ていたのですが、北村くんが窓下界隈を脱退して3階の住民になってしまいました。僕は北村くんの横だから安心して眠りにつくことができており、彼も同じように感じていると思っていたのですが、どうやらそれは僕だけだったようです。ということで、僕の今年の目標は北村くんを2階に呼び戻し、オアシスを取り戻すことです。

 

お世話になっております。4年470スキッパーの松本悠汰です。

 

ラストイヤーにかける想いという題目で4年生のリレーブログが展開されておりますが、僕は"4年生だから"とか"最後の一年だから"などの理由で何かを頑張りたいというモチベーションはあまり無く、あくまで今までの延長線として今年一年を見据えたいと思っております。

僕個人としてのヨットに乗る目的も目標も一年前に見出したものと変わっていません。コーチやlb、保護者の皆様の期待に応えたい、そのために全日本で前を走りたいといったものです。

この思いは変わっていないのですが、最近は同期や後輩達と一緒に良い景色を見たいという思いが強くなっています。これまで一緒に乗ってくれたクルーにあまり良い思いをさせてあげられなかったこと、レスキューボートで、陸で応援してくれる後輩をワクワクさせてあげられなかったこと、先輩を悔し涙で引退させてしまったこと。これまでのことを思い返すとそんなことばかりで、今は一番近くにいる存在である同期や後輩達と共に最高の景色を見たい、そう思っています。

470、スナイプ、マネージャー全員の最高の笑顔で91代最後の日を迎えらるように。

 

以上、「ラストイヤーにかける想い」でした。


地に足をつけて上を見据える

2024年12月28日 00時53分17秒 | ラストイヤーにかける想い

お世話になっております。 新4年470チームリーダーの槇枝です。

 

 

西間クン、欲求不満は悪いことではありません。現状と理想の乖離に真摯に向き合っているからです。「上(空)しか見てねえからな」と言っておきました。

 

 

最近はというと、基本的に毎日課題に追われております。夏に勉学をサボりすぎたツケが回ってきています。レポートと一緒にクリスマスを迎えました。

 

しかし、今までは座学というか知識のインプットが主でしたが、最近はアウトプットでようやく飛行機設計のそれっぽいことができて楽しくなってきたところです。

 

最近までの製図室の様子。まさにこんな感じ。形だけにならないようにします。

(宮崎駿「風たちぬ」より)

 

 

そういえば、航空宇宙の知識ってヨットに活かせね?的なノリで勉強してきましたが、そんなに単純な分野でない故に、今のところ共通点を見出す程度にしかできていません。いや、理解が足りてないだけですね。「ヨット知識の体系化」に少しでも繋げられればいいな。

 

 

 

気づけば2024年の終盤を迎え、ラストイヤーブログを書くことになり、時間の経過の早さに驚きを隠せずにいます。入部するか迷っていた頃がつい昨日のことのようです。いよいよ個人主義で自分が上手くなることだけを考えればいい学年は終わってしまいました。

 

 

今年度の個人の目標は「バランス」です。

 

 

個人として昨年度を一言で振り返ると、心技体が備わっていなかったです。

 

心技体全て足りないといえばそれまでですが、よくなかったのはそのバランスの取り方でした。

 

春。乗せてもらっているクルーから、自立したクルーになるための技。

夏まで。レースを重ね、少なくとも体力とパワーで負けたくないという体。

夏以降。うまくいく時といかない時の差をなくすための再現性とそのメンタルケアを考えた心。

に重きを置いていました。

 

しかし、各時期その課題を克服するために必死でした。このあと自分がどういう環境に置かれるかどうかなんで考える余裕もなく、その結果一つのことを克服しようとしている間に他は蔑ろにしていました。視野を狭く、未来予測ができていない。周りからどう見られていたかわかりませんが、簡単にいうとこれにつきます。このことから「バランス」という目標立に至りました。

 

 

「バランス」をとるためには先見の明が必要で、起こりうることに敏感に反応してそれに対応する準備をしておく。ブローのインパクトが予想より強いのであれば、次からは前のブローとその境目を見る。ヒールトリムと一緒ですね。ヒールしてからでは遅いです。

 

 

「紡ぐ」のスローガンの中には「継続」が含まれています。現状と理想の乖離を認識し続けて、微修正を加え続ける努力を怠らないという信念です。

 

総合入賞というのは今年度の理想の集大成です。ここでいう理想は、現段階でこういう練習ができたらいいな。こうなってないといけないなという、一般の意味よりも現状に寄り添ったものです。

 

数回しか行っていない通常練習からすでに多くの課題と問題点が見つかり、それをどのように修正を加えていくかどうかが問われています。頭がパニックにならないように、目の前のことを嫌なことでも一つずつ向き合っていきます。

 

現象認識と自己分析。それを踏まえた未来予測と微修正。

「地に足をつけて上を見据える」ということです。

それが「バランス」につながるのではないでしょうか。

 

その先に全日本総合入賞があると考えています。

 

 

個人のつもりでしたが、チームのことを言っている気がしてきました。

しかし、チームの目標においても共通していることばかりです。

 

ディンギー班の目標「全日本総合入賞」。

それに貢献するための470の目標は 「再現性」 を掲げさせていただきました。

 

その具体的な数値と経緯は省かせていただきますが、本番で練習通りの安定したレースをし、地に足をつけて上を見据えるという意味です。「バランス」の取れた選手がインカレでの「再現性」を実現できるはずです。

 

今年度一年この「再現性」に根をなすチームを作っていきます。

 

個人とチームの区別さえ曖昧な未熟者ですが、背中で語り、チームにパッションと向上心をもたらせ続けられるモチベーションリーダーになれるように一年間精進します。よろしくお願いします。

 

 

笑顔で心躍る江ノ島インカレを目指して頑張りましょう。

 

 

眉間に皺を寄せずに、

 

91代 470リーダー 槇枝大祐


それゆけ日々に彩りを紡ぐもの

2024年12月28日 00時49分57秒 | ラストイヤーにかける想い

上の写真は、1年生、閖上での七大学戦の時のものです。旗を振ってるのが僕です。懐かしい。

ヨット部に入ってから初めての公式戦でした。戦う姿勢になった先輩たちを見て、カッコいいなぁ、いつか自分も、と思ったのを覚えています。

平素よりお世話になっております。新4年、470スキッパーの北村湧です。

 

 

先々週から代替り後の正規練習が始まりました。久しぶりにヨットに乗ったところメインが重くて筋力の衰えに唖然としました。オフ期間のトレーニング頑張ります。

全日本インカレから1ヶ月が過ぎ、2ヶ月が経過しようとしています。長いようにも思える最後の代も残り10ヶ月とちょっとといったところです。

 

さて、ラストイヤーブログということで今年の僕の目標は、

「心踊る景色を求める。同じ景色を深掘る。」

です。

 

同じ海でも、一年生のときに見た海と四年生の時に見る海は違う。LBになって見る海もまた違うんだろう。

誰かは忘れてしまいましたが、ホッパーに乗り始た頃、八景島のレスキューの上で先輩がそのようなことを言っていました。

一年生の時は自分がどの方向に走っているのか、どこで練習しているのかも曖昧だったし、海面を見ることも少なかった。それに比べたら今では、海を見て考えれる事は増えました。空間的にも、時間的にも。

しかし、満足していたら成長はありません。上手い人は同じ海を見て、ブローの形・スピードが分かるだろうし、経験した似たような海面での練習を思い出しているだろし、これからの天気も予測しているでしょう。

小松さんは同じ海を見て、何十年も前の、世界の何処かの海を思い出しているのかもしれないし、今まで見てきたトップセーラーや学生達を頭の中で走らせているのかもしれません。

ミーティングして、色んな人の話を聞きながら、同じ景色の中に探究心をもって思考を止めないようにしたいです。

 

心踊る景色を求めることについて。僕たちは全日本総合入賞を目標にしました。目標を決めるにあたって色々議論はありましたが、最終的にこの順位に決まったのは、皆んながワクワクする、心踊る気持ちを大事にしたからです。

寒さ厳しい春合宿が始まりますが、その中にも心踊る景色はあります。去年琵琶湖で体験できたような雪の中でのセーリング。かなり寒い北風が、相対的に暖かい海面を吹いた時に起きることがある海からの湯気。先週の西風ド強風の時に見れるような富士山にかかる不気味で壮大な吊るし雲。

辛い日もあるかと思いますが、経験した事のない景色を求めて海に出たいと思います。

 

皆さん、来年もどうぞよろしくお願いします。

 

 

4年 北村湧


東京の地価ってやっぱり圧倒的ですね。今は東京都市圏におけるCBDになる一点を探しています。大手町or丸の内に設定したいのですが、銀座と新宿が邪魔してきます。

2024年12月27日 23時21分40秒 | ラストイヤーにかける想い

お世話になっております。4年主将の西間です。

 

私の研究の軸がざっくり決まってきました。東京都市圏の都市モデル再考です。見出しの図は各地域の地価にその建物の総階数をかけたものを、対数スケールで色分けしたものです。丸の内、大手町、新宿、新宿、大手町、銀座、、、と続きます。これを都市経済の理論に当てはめて、東京特有の性質を見出したいと考えています。

 

 

 


今日はラストイヤーにかける思いということで。先日ブログを書いたばかりなので、このスパンでの更新に少々戸惑いを隠せませんが、、、

 


このブログでは主将としてよりも、僕個人の思いを書こうかなと思います。


去年一年を振り返ると、色々な経験をさせていただいた一年と言えます。


最初の大きなイベントは京大留学でした。他大がどういう練習をしているのか、どういった点を東大に持ち帰ることができるのか、琵琶湖は寒すぎてしんどくなかったと言うと嘘になりますが、大変いい刺激になりました。

ちなみに今年は九大と京大にお世話になることになります。特に2,3年生を中心に小戸や琵琶湖に行くことになるので、いろんな刺激を受けて帰ってきて欲しいです。

その後は春インでした。当時はレギュラーになれるとは一ミリも思わず、正直言ってたなぼた的ポジションでした。ただもうそのメンタルで行くことが間違いでした。目立った活躍も全くできず、ずーまーさんとのペアも解消。ただここでインカレメンバーとしてのプレッシャーとか期待されている雰囲気を感じることができたのはいい経験だったはずです。

澤田さんと組んだもののその春インの雰囲気を引きずったまま個戦へ入っていきました。今振り返れば全日本で入賞するための中間テストだったのだと思いますが、もっと追い込む必要がありました。一年で一番後悔が大きいのはこのタイミングだったかもしれません。

ちなみにこの近辺のオリンピックウィークで、上レグ終盤に吉田夫妻ペアにリーバウを打ったのはいい思い出です。結局DNFでしたが。

七大の総合優勝はレスキューの上から見届けました。心の底から嬉しかったし、マストに旗を上げた瞬間の喜びたるや、それまでもそれからも経験したことがありません。でも、出れなかったことは純粋に悔しかった。チャンスはあったけど自信を持てなかった。勿論自分個人がレースに出ることが目標ではありませんが、来年は勿論総合完全優勝を成し遂げると共に、後悔のないレガッタにしたいです。

全日本470。とてつもなくレベルの高い大会で連日オーバーコンディション。死ぬほど疲れた思い出と死ぬほど楽しかった思い出です。ワールドレベルの大会の雰囲気というか、きちんとしたレガッタの雰囲気というか、フォーマルな大会のいろはを知れた機会でした。

秋インシーズンは振り返ればあっという間でした。直前でレギュラーから落ち複雑な思いでレースシーズンを迎え、自分の弱さと向き合わざるを得ない期間でした。でもその期間で成長できたことも多く、特に全日本期間ではいい景色を焼き付けることもできました。ただチームとしては目指していた入賞には全く届かない形に、、、4年生に恩返しできなかたという大きな後悔を残してしまいました。



さて、ラストイヤーにかける思いと言いつつ、一年の振り返りになってしまいました。

 



僕個人の今年一年のスローガンは「やったもん勝ち」です。

海上練習での動作一つ一つのこだわり、コース引き、フィジカルの強化、チームマネジメントなどなど。

ヨットというスポーツ自体マルチタスクなスポーツで、各要素の強化は勿論のこと、それを同時にこなす技術・体力・精神力が必要です。

また大学の部活動として活動する以上、部として最大のパフォーマンスを発揮するために、いろいろな人たちとの関係づくりが必要不可欠です。

海上での自分も、陸上での自分も、1東大ヨット部メンバーとして、1 470メンバーとして、主将として、いろんな自分がいてそれに葛藤することもあると思いますが、「二兎を追って二兎を得る」ような、そんな姿勢で1年間「東大ヨット部」と向き合っていきたいです。

 


同期たちのような上手いブログは書けませんが、それだけ愚直にやるしか僕にはないんだろうなと感じます。感謝の気持ちと愚直さを追い求め、全てやり尽くします。



それではこのあたりで。明日は最近欲求不満を原因に奇行に走りがちな、470リーダーの槇枝くんの担当です。


最後まで読んでいただきありがとうございました。


東京大学運動会ヨット部ディンギー班
3年 主将 西間 立


フローラル・ペコ

2024年12月26日 11時04分00秒 | ラストイヤーにかける想い

お世話になっております。新4年の遠藤です。


先週末インフルになってしまい、毎日布団でゴロゴロ生活を送っておりました。M-1グランプリも部屋で1人寂しく見ていましたが、真空ジェシカが最終決戦まで残ってくれて嬉しかったです。来年こそは優勝してほしいです。


何かしらのウイルスにかかるたびに「今回のおうち時間ではこれをやるぞー」と決意するのですが、結局寝て起きてを繰り返し、アマプラで相席食堂などを見てたら5日間が終わってしまいました。儚いものですね。


さて、今回のブログはラストイヤーにかける思いについてですが、僕の今年の目標は「丁寧さを継続すること」です。


東大ヨット部はこれまで代の初めに毎度「合宿所を綺麗に」「バースを綺麗に」「船を綺麗に」と高貴な目標を掲げてきました。しかし、今までそれが継続された年はありませんでした。


自分は元々船を綺麗にしたり、合宿所内の工具などを整理整頓したりすることは好きなので、これらを継続するのは比較的容易だと思っています。


その一方で、今までは海上でその丁寧さが失われていたように反省しています。船に乗っている時にメイントリムとクローズをしっかり走ることだけに集中し過ぎてしまい、その他の要素に頭を使えていませんでした。


今年は練習中にも丁寧さを心がけていきたいです。もっと風を見てその後の振れを考えたり、他艇との位置関係の変化を見たりと、コース練でなくても色々と考えながら乗ることで多くの学びを得ることができると思います。


自分の課題を考え、それに向けた目標を立ててヨットに乗って練習し、脳死でこなすようなことがないようにしたいです。


レースも同じく丁寧に取り組む。


これらを継続することはとても難しいですが、引退する時にやり切ったと思えるよう、1年間継続していきたいです。


また今年は部の目標の一つに、「やると決めたことを継続すること」を掲げています。最上級生として、他の部員について合宿所の使い方など丁寧さが欠けていると気づいた所に関しては注意していこうとは思っています。しかし、部全体でその丁寧さを維持することはとても難しく、ほぼ不可能だと思っています。


合宿所内で私物を散らかしたまま放置する人間や、解装が雑な人間、工具を使って元にあった場所と違う場所にしまう人間など。


それは後輩に限らず、幹部代である同期にも存在します。


これはもはや価値観の違いであり、僕が「こうしろ」と言うのはもはやエゴの押し付けなのではないかと思っています。


だからこそ、自分は丁寧さを貫いた先の成績を求めたい。


それによって、後輩やこれからのヨット部のみんなが丁寧さの大事さに気づき、部全体としての水準を上げられたら良いなと思っています。


1年間頑張ります。


遠藤功大


シルヴェスター・スタロン

2024年12月25日 19時40分20秒 | 通常練習

世間はクリスマスムード一色ですね。

もうすぐ大晦日ということでジルベスターコンサートを聴きに行く人もいるかとは思いますが、僕は今、映画ロッキーの翻訳をするというイタリア語の課題をやってます。シルヴェスター・スタロン。はい。

 

お世話になっております、新2年470クルーの大です。12/22.23の活動報告をします。

470チームは2日とも、余裕プラス1のことをする、を目標に通常練習を行いました。

1日目は南西からの風が吹き上がる予報があり、出れないことを視野にいれつつ整備をしていましたが、風が弱かったので出艇し、すぐ戻れるようにハーバーの近くで11時ごろまで練習しました。その後風が上がってきたのでハーバーバックして、整備をしました。スナイプチームと合流して合宿所の大掃除も行いました。夜ご飯には愛子の差し入れのきしめんが出て、とても美味しかったです。

 

この日自分はかなり危険な目に遭ってしまいました。突然大西が入ってきたとき、一艇だけ速やかにメインダウンできず、なんとかできたもののジブ帆走中にバランスを崩して沈2回。必死に起こして少し行ったところで定置網に入ってしまいました。不幸中の幸いで、センターもラダーも上がっていたので網に引っかかることはありませんでしたが、かなり岸壁に近づいてしまっていました。結局小松さんに早稲田のレスキューで曳航していただきました。

 

出艇したときには空にレンズ雲がぽつぽつとできていて、また、大きめのうねりがありました。これらは大西の兆候で、予報でも西の爆風が入ると分かっていたし、チームミーティングでも小松さんにも注意されていたことなのに、周りに注意して風が入る前にメインを下ろすということができていませんでした。今後は気をつけます。

 

二回目の沈のとき淡青からダイブして助けに来てくれたまきえださんありがとうございました、心強かったです。

 

二日目は1日を通して5mから8mくらいの風が吹き、マークラウンディングを中心にしっかり練習ができました。今年最後のマネ飯はビビンバ丼でした。ナムルも入ってて美味しかったです。

 

さて、代替わりして2回目の練習でしたが、2.3年生が3.4年生になったのに、1年生だけはまだ1年生という感があります。自分たちがまだ2年生になる準備ができてないんだと思います。新入生が入るまでに各方面十分力をつけたいです。

ところで、トラピーズしてる470クルーって、キングダムの王騎の矛に似てませんか?まっすぐ伸びてて頭だけ立ててるところとか特に。決してクルーが道具といいたいわけじゃないですが、絶対折れない強い矛になる、これが来年の抱負です。

 

今年の冬は厳冬らしいですが、その分春の到来が早いそうです。先輩方にまけずパッションで乗り切ります。

 

 

 

 

 

以下それぞれのスタイルでクリスマスを楽しむ人たち。

←なぜか彼女がいるスミス

↓青の洞窟営業時間に間に合わなかった浅田↓新中学2年生、井出

 

p.s.僕はというと実家で美味しくご飯を食べました。やっぱり僕たちの春は遠そうです。


虹の果て

2024年12月24日 23時53分26秒 | ラストイヤーにかける想い

お世話になっております。東大ヨット部新4年、470クルーの五熊と申します。「ラストイヤーにかける思い」。今までは読む側だったのに、もう書く側になっていました。本当に時が経つのは早いものです。気づけばブログ期限も過ぎていました。

 

チームに関しては、市毛槇枝西間が書いてくれるでしょう。このブログでは自分について書こうと思います。

 

まず去年を振り返って、一言でまとめると、「辛かった」です。「楽しむ」ことが代として掲げてられていたにも関わらず。ずっと首を浅く絞められているような、息の詰まる閉塞感。神様がいるとしたら、それはきっと自分を否定する存在なのだろうとさえ思いました。時期ごとに振り返った文章を書いてはみたのですが、あまりに鬱すぎたので載せません。ただ、一年を省みて、なぜ前を走ることができなかったのか。その結論だけは書こうと思います。それは、「無思考」です。

 

ヨットは、船という道具を使い風という自然を相手にするスポーツです。船も、風も、ある程度自分の力ではどうしようもない部分がある。でも、そこで思考を止めてはいけなかった。自分の乗る船が新艇でないのなら、どうやって同じくらいの走りにするのか。自分の反対海面が伸びたなら、何か前兆はなかったのか。自分の力では如何ともし難いことがあっても、それは無思考の理由ではない。卑屈な僕は、負ける理由を考えてはいてもそれを打開するための、死に物狂いの努力ができませんでした。そこがきっとヨットの真髄であるのに。「神様がいるとしたら、それはきっと自分の否定しかしない存在なのだろう」とさっき書きましたが、これも無思考の表れだったと思います。

 

人間的成長なんて、どこにもありませんでした。

 

そして今年、最上級生になります。もう、この一年を繰り返したくない。一年後の江ノ島でどんな人間になりたいか自分に問うて、真っ先に思い付いたのは「“強い”人間」でした。僕らが掲げたスローガンの一つに「心の強さ」があったけど、僕にとってはそれ以上の意味もある。寒い強風の中でも動き続ける肉体の強さ。チームを信じる強さ。ーーー自分を信じる強さ。どれも、妥協したり逃げたりしたら手に入れることはできません。自分の現在位置を冷静に分析し、目標に至るための現実的なステップを歩み続け、一年後に「これ以上はできない」と思えるほどの質と量を尽くす。その果てに、「紡ぐ」チームと、「全日本総合入賞」があると信じています。

 

「紡ぐ」というスローガンには、未来への祈りが込められています。これからも続く東大ヨット部の躍進への祈り。「全日本総合入賞」というのは東大ヨット部が歩んでいく道のりの一つの中継地点と言えるでしょう。でも、91代個人個人にとっては、終着点です。僕らは「紡ぐ」存在でもあるけれど、同時にかつての先輩方が「紡いできた」果てにいるのです。LBの方々が流してきた涙を嬉し涙に変え、東大ヨット部という物語の一章を、今年で終わらせたい所存です。

 

4年生 五熊健


それでも灯は上る

2024年12月24日 00時55分32秒 | 引退ブログ

「ヨットって何が面白いの?」

この4年間、周囲からたくさん尋ねられ、そして自分自身に問い続けてきました。結局いまに至るまで何が面白かったのか自分でもわかっていません。その答えがこれを書き終わる頃には判明することに一縷の望みをかけて、考えながら、最後のブログを綴ろうと思います。

 

 

 

お世話になっております。先日のJ24全日本選手権をもちまして引退となりました、クルーザーLBの友成です。

 

LBの皆様・監督・社会人チームの皆様・ご家族・先輩・同期・後輩、その他多くの方々との出会いに恵まれ、4年間を完走することができました。ありがとうございました。

 

引退からはや 1ヶ月、いくぶん晴れやかな気分です。全日本直後は不甲斐なさ・申し訳なさなどいろいろな感情が入り混じり、ブログでは自分の4年間をその都度の感情の機微と共に詳細に振り返ろうと思っていました。

でもやめました。実際に1年生のアニオルズカップのところまで書き進めましたが、全部消しました。(その時点で3000字くらいになっていましたが..)記憶というのは時間が経てば必ず美化されるもので、そうした飾られた言葉からは何も伝わらないし、差し障りのないつまらない文章に終着するだけだと思ったからです。

それに細やかな機微など、すごくどうでもよいことのように思えてきました。だって、温かい周囲に恵まれ引退を無事迎えられ、何よりも充実していたといま感じられているのですから。

 

最後のブログでは、4年間で記憶に残った出来事・感じたことをベースに、思いつくままに綴ろうと思います。暗い内容は出来る限り最小限にとどめ、なるべくポジティブなものにしたいと思います。未来の後輩たちに向けたちょっとした道標になれれば幸いです。中には醜い感情も出てくるかもしれませんが、何卒ご容赦いただけますと幸いです。

 

 

 

 

 

プロローグ:自分とヨットとの出会い

 

自分とヨット部との最初の本格的な出会いは、多くの同期と同様に新歓でした。ホームページを見てなんとなくかっこよく、なんの気もなしに新歓に参加しました。でもネット上の情報だけを頼りに参加するほど行動力があったのかといえば、そうではありません。ヨットは幼少期の自分にとって、大半の人々よりも少しだけ身近なものでした。祖父母が葉山に暮らしていたからです。幼少期の長期休みの記憶の大半が形作られたのは葉山でした。葉山マリーナの2階にある中華料理店でよく親族の食事会が開催されていたし、日陰茶屋の夏祭りには毎年行っていました。祖母は雑誌『舵』の朗読ボランティアをやっていたし(東大が特集されたときは喜んでくれました)、親族にもy30に乗っているセーラーがいました(クルージングで初めてお会いした方が、翌日「友成さんの親族の〜さんとレースで一緒の船に乗りました」と連絡をくださったときにはさすがに驚きましたが)。

そんなこんなで、「ヨットの形は見たことがある」程度だった自分は、前日に決めた新歓に参加しました。あとは特段あえて書くことはありません。海という非日常体験が楽しく、日に焼けた先輩たちがかっこよく見え、クイズ大会でなぜか優勝してマーロープリンをもらえたことに気を良くした?僕は、翌日には入部を決めていました。飽き性な自分が4年間本当にやっていけるのか、異様な寒がりだけど大丈夫なのか、といった先々のことはあまり考えずに、入部していました。決断が遅く慎重な自分にしては恐ろしいほどに直感的でした。なので、最初から世界選手権で前を走りたくて入部したわけではないし、まして閑散とした小網代で4年間過ごす覚悟があって入部したわけでももちろんありません。いま思えばヨットが単純に楽しかっただけかもしれないし、大学で所属するコミュニティがとりあえず欲しくて焦っていただけのような気もします。でも悪くない判断だったと思います。

「自分よくやった」、いまはそんな気分です。

 

 

 

 

 

チャプター1:記憶の数々

 

入部してからの4年間、いろいろありました。家にいるよりも多くの時間を合宿所で過ごすことになると思わなかったし、洗濯された靴下を見て誰のものがすぐにわかるようになるとも想像できませんでした。学生生活の大半を過ごせばそれだけ出来事が積み重なるわけですので、ここで誠に勝手ながら一部を紹介させていただきたいと思います。感傷的なことは書くのは得意ではないので、できる限り嬉しかった内容にします。

 

 

  • はじめての全日本選手権でトップフィニッシュ

1年生の時に出場した初めての全日本選手権。ホーム油壺での開催で、仰秀は第1レースでトップフィニッシュという歴史的快挙。第 2レースでも2位に入り、総合も7位という好成績。僕は運良く大会1日目に出場させていただき、いきなり最高の景色を見させていただきました。観覧されていたLBの方々が「正夢や」と喜んでくださり、月光の方々が「やるじゃん、おめでとう」と祝福してくださったのをよく覚えています。当時はそれがどれほどすごいことなのかわかっていませんでしたが、年を重ねるごとに偉大さを実感するようになりました。もっとちゃんと喜んでおけば良かったです笑。またあのときと同じ景色が見たい、との想いが自分のその後の4年間の大きなモチベーションとなっていました。先輩方、本当にありがとうございました。

 

 

  • アニオルズカップ無念のAPA

2年次のアニオルズカップ。最終1レースを残し、1点差負けの状態。最終レース前、風がどんどん落ちていき、1本目スタートするも早々にN旗。なんとかもう1レースとスタートするも、上マーク直前で無風となりN旗、そして本船にはAPA旗掲揚。またしての負けが決まりました。あのときリコールを解消しとけば、あの触れに気づけていれば、と後悔の嵐でした。予定されていたレース数を消化できる保証は何もない、ヨットレースにたらればはないと強く実感しました。それだけに翌年最後のチャンスでやっと優勝できたときは本当に嬉しかったし、ほっとしました。

 

 

  • 新歓で一人だけ留学生?

3年生の4月、僕がクルーザー班の新歓代表を勤めていた時の出来事です。たしかその日は前々から荒天が予想されていてヨットに乗れないことはほぼ確実だったため、前日にそれでも来たい新入生だけ来てね、と連絡しました。すると、なんと当日三崎口駅に現れたのは、留学生?ただ一人。聞いてみると、東大でTAをしている院生とのことでした。なかなかカオスな状態でしたが、レスキュー乗船してもらって鍋パをしました。英語をはじめたくさん協力してくれた後輩たちに感謝しています。

この件に関わらず、新歓代表をやったことで、業務調整力・トラブル対応力はじめ、少し一人前の大人らしいスキルが身についた気がします。たくさんご迷惑をおかけしながら協力してくれた皆さん、ありがとうございました。

 

 

  • フリートレースで総合2位

3年生10月の全日本前最後のフリートレース。クローズのコースでうまく触れを掴みゲインしまくった仰秀は、第1レースだぼはぜとフィニッシュ直前まで競いながら2位、総合でも2位に入りました。タクティシャンとしての自信が代の最後の最後に少しついた気がします。(ランニングのコースは相変わらだと叱咤をいただきましたが、、)

やはり自分に自信を与えてくれるのはレースの結果しかない、と噛み締めました。辛抱強く実戦の機会を与えてくださった先輩方には感謝しています。

 

 

  • 涙の全日本選手権

3年次の蒲郡全日本。チーム目標にしてきた世界選手権出場ラインとなる総合5位をかけた最終レース。5位と5点差だったと思います。スタートで殺された仰秀はポートスタート。噛み合わないまま、今レガッタで最低の9位に沈みました。一番最後で一番よくないコースを引いてしまいました。間違いなく敗因は自分のコースでしたが、もう何も叱咤してくれない仲間たちの様子にこの代の最後を実感しました。着艇後「ありがとう、うまくなったね」といってもらいましたが、こんな形で引退させてしまうという申し訳なさ、先輩ともっと一緒にセーリングしたかったという寂しさが募ってよくわからない感情になりました。レースで泣いたのは、先述のアニオルと、この全日本の2回だけだったと思います。

結局世界選手権のクオリファイは獲得できましたが、やっぱり5位に入って出場を決めたかったです。

 

 

  • 「うん」を味方に世界選手権でトップ回航

4年次のシアトルワールド。初の海外遠征、経験したことのない5日間のレガッタでいろいろありましたが、やっぱりレース2日目、第2レースが思い出されます。他の船がリコールして戻る中、ジャストスタートを決めた仰秀はあれおあれよと爆走します。1上レイ、気づけば前には一艇もおらず、オフセットマークに向かう間後ろを振り返るとJ24の大群が。その後のランニングは心臓ばくばくでしたが、なんとか粘って過去最高タイの総合6位でフィニッシュ。このときの興奮は自分のヨット人生のハイライトとして、一生忘れることはないでしょう。というより忘れられません。いまでもJ24クラス公式インスタに掲載された動画を見返してしまいます。頑張ってくれたみんな、ありがとう!

(余談ですが、その日の朝ハーバーについて降車した瞬間、鳥の〇〇が耳を襲い掛かりました。人生初の海外でこのようなプレゼントは予想していませんでしたが、神からの御加護だったのでしょう。)

 

 

 

 

 

チャプター2:想い

 

僕は元来こんにゃくメンタル人間なので、4年間でたくさん落ち込んだり、悩んだりしました。詰めの甘さからたくさんミスもしました。要領が悪いなりにやってきたつもりですが、思ったようにいかなかったことの方がやっぱり多かったです。

ここでは、自分が悩んだこと、ありがたく感じたことについて軽く記すこととします。暇つぶしに未来の後輩たちにでも読んでもらえれば嬉しいです。

 

 

  • 人と比べて優秀ではない自分への失望

周りができることがなぜ自分にだけできないのか、自分だって〜みたいにできるはずだって思うけれど実際にはできない、理想と現実の間の埋めがたいギャップに苦しむ、という悩みです。上手くいっている人に対して妬ましい、といった最低の感情を持ってしまうことも多々ありました。こういうメンタルの時は、誰も自分のことは本当には理解してくれてない、自分だけが悩んでいると思い詰めてしまうこともあるでしょう。でもそんなことはありません。自分から見て完璧に見えるあの人も、きっとなにかしら悩んだ時期があったはずです。「そのうち上手くなるだろう」くらいのマインドで、悩みさえ楽しんでしまいましょう。誰からも強制されているわけでもなく、自分の意志でせっかくこんな贅沢な「遊び」をやらせてもらっているのですから、思う存分楽しんじゃったもの勝ちです。そのうち、自分なりに上手くなった自分を見つけてびっくりすることでしょう。

 

 

  • 自分がうまくならなければチームは勝てないという苦しみ

これはクルーザー特有の悩みだと思います。6人というチームで一つの大きな船を動かしている特性上、それぞれに大きな役割がありますし、どのポジションも欠けてはいけません。ほぼ全員がレギュラーとしてレースに出場し代わりはいないのですから、一人一人が与えられた役割で上達しなければチームは勝てません。控えがいるわけではない分自分が成長しなければと、時にはプレッシャーを感じて弱腰になることもあるでしょう。でも裏を返せば、これはチームが勝つために、メンバーがずっと(先輩を含めて)自分に期待をかけ続けてくれるということともいえます。自分の出来不出来がチームの勝利に直結する、ということは、自分の成長次第でチームの勝利可能性を上げられるということです。海の上で、学年立場問わず皆で勝てるチームを作っていける、こんなに幸せな環境はないと思います。期待されていることを意気に感じて、しなやかに乗り越えていきましょう。

 

 

  • 自分も必要とされたい、というエゴ

自分がチームにいる意味って何かあるのだろうか、自分だってチームに貢献したいって思うことありませんか。自分はめちゃくちゃありました。何かしら貢献できているという実感が欲しくて、誰でもできそうな仕事をやって自己満足にもたくさん浸りました。

でもあなたがいる意味は絶対にあります。小さいチームなので一人がいなくなればまず物理的に困りますし、陸でも一人一人に仕事があって責任感を持たざるを得ないのがクルーザー班のいいところだと思います。

海の上で、「自分はいま1/6としての役割を果たせているのかな」って思うこともあるかもしれません。でも必ずしも常に1/6である必要はありません。自分が苦しい時は誰かに1/12を負担してもらってもよいし、逆に誰かが困っている時は自分がその分3/6になってあげてもよいのです。みんなの力を足し合わせて1になればよいのです。一人では1には絶対なれないけれど、困っている誰かのために4/6にも5/6にもなれる人間でありたいと強く思います。

 

 

  • 人と一緒に過ごすのが苦しくなった時

合宿生活で人との距離が近すぎて疲弊してしまうことってありますよね。プライバシーなさすぎる、一人の時間がたまには欲しいってなりますよね。そういうときはちょっと夜外に出てみましょう。田舎ならではの満点の星空が迎えてくれます。オリオン座を見ていれば、自分の悩みとか息苦しさとか本当にどうでもよくなるはずです。リフレッシュしながら明日へのやる気を注入しましょう。

 

 

  • 自分を叱ってくれる人の存在は貴重

自分のよくない点や直した方が良い点を指摘してくださる方々の存在ってとても貴重だと思います。大学生ともなると、管理から放たれ自由になり、下手をすれば誰も自分に注意を払ってくれない可能性さえあるのですから。モチベーションの低さや余裕のなさを指摘して自分と向き合ってくださる先輩方が近くにいたのは、僕にとってとても幸運なことだったと思います。(当時は時に生意気な態度をとってしまい失礼いたしました。)

新歓で、余裕のなさから自分にも周囲にもイライラしていたとき、ある尊敬する先輩が嗜めてくださいました。「自分に優しくできない人間は周りに絶対に優しくできない」

以来座右の名として心に刻んでいます。ありがとうございました。

 

 

  • 感謝の言葉

感謝の言葉は口にしなければ伝わらない、ということを学びました。海の上でも陸の上でもフォローしてくれたり、タスクをこなしてくれている仲間に感謝を伝える、ということは自分の中でしつこいくらいに意識してきました。たったひとこと、5文字だけです。「ありがとう」と言い合えば、お互いがより気分良く生活できるようになるはずです。

 

 

 

 

 

チャプター3:後輩たちへ

 

一緒にセーリングしてくれてありがとう!

1年生に至っては、夏以降あまり練習機会を与えられなくて、そのなかでも本気でサポートしてくれて結果に一喜一憂してくれて、すごく嬉しかったです。もっと一緒に乗りたかった..2年生も3年生も、ヨットにすごく情熱を持っていて、自分にもチーム運営にもたくさん意見してくれて、チームへの想いが伝わってきて、頼もしかったです。

自分も関根も、気が回る方でもなければ、熱が見えやすいタイプでもなく、なんだか取っ付きにくくて扱いづらくて頼りない先輩だっただろうけど、みんなが支えてくれたおかげでなんとか1年間やり切れたと思います。なのに、自分は最後まで尊敬できる先輩にはなれませんでした。ごめんなさい。

 

この4年の間だけでも、チームの人数は一時期に比べれば増えたし、社会人チームとの交流といった対外的な活動もだいぶ増えたことと思います。特に今年1年間は、他大学と合同練習したり、違う艇種のレースに出たり、いろいろとやってきました。これはひとえに長年の先輩方が長い年月をかけて「仰秀」というチームを確立し、認知させていただいた結果です。レースでも、運営でも、先入観に捉われずもっともっと活動の幅を広げていってください。

ときには辛い、苦しいとかそういう感情になるかもしれませんが、周囲に頼りましょう。別に自分の弱みを見せることは恥ずかしいことじゃありません。自分自身人に相談するのがあまり得意ではなかったので、もっと早くそういう人間になれていればよかったなって思います。監督・社会人チームに頼って、仲間を頼って、強いチームを作ってください。

 

しごできのみんな(特にマネージャーの皆さん方)にちょっと嫉妬していました。でもみんながいたからチームが回っていました。みんなは僕の誇りです。

 

あと一つだけ。「前の代よりもいい結果を出すのは当たり前だ」これも昔ある先輩がおっしゃっていました。なぜなら、先輩方が奔走してくれたおかげでちょっとずつ環境は確実に整ってきているはずだからです。自分たちはついに結果を最後まで出せませんでした。無責任かもしれないけれど、結果を出せるチームを作ってください。

そう遠くない未来に、U25ワールドチャンピオンとして仰秀の名が轟くと確信しています。本気で期待しています。

 

 

 

 

 

チャプター4:ヨットの何が面白かったのか

 

冒頭の問いに戻ります。自分にとってヨットの何が面白かったのか。もやっとしているけれど、たぶんこれだと思う自分なりの考えを綴ります。

 

僕はヨットがうまくありませんでした。素質もありませんでした。大学でスポーツをやるのに十分な身体もなかったし、要領も良くありませんでした。苦しい時間も多かったし、ヨットが大好きだったわけでもありませんでした。

ではなぜ4年間も部活を続けたのか。

 

僕はヨットを通して「負けたくない」と心が湧き上がる瞬間がたぶん大好きでした。いい順位が取れたときの鼓動が早くなる感覚が忘れられませんでした。ヨットを知らない人に、ヨットのことを説明する時間が好きでした。そして何より大好きな仲間たちとヨットをしているときの自分が好きでした。

 

「ヨットを通じて得られる勝負の緊張感・ヨットを通じて少し逞しくなれた感覚」が自分にとってのヨットの面白さだったのだと思います。僕にとってセーリングすることは、自己そして仲間と対話をすることと同じでした。自分、そして周りとコミュニケーションを取る手段でした。手段だったならヨットじゃなくても何でもよいじゃないか、と言われればその通りだと思います。しかし、体力も頭脳もフル活用しなくてはいけなくて、毎度コンデイションが異なるセーリングというスポーツは、やっぱり難しくて、自分自身が4年間取り組むのに値するスポーツだったと思います。

 

僕が部活を楽しめたのも、ひとえに周囲の方々に恵まれたからに他なりません。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

エピローグ:謝辞

 

だいぶ長くなってしまいましたが、最後にお世話になった方々への感謝を書かせていただきます。

 

 

LBの皆様

いつも私たちの活動に多大なるご支援をいただきましてありがとうございます。特に今年度は、世界選手権出場に関しまして金銭的にも多くのご支援をいただきました。最上級生となって、LBの方々がいかに私たちの安全・活動のことを考えて行動してくださっているのかを身にしみて実感しました。LB総会でたくさん活動について聞いてくださったのも嬉しかったです。自分も皆様のように現役の声に耳を傾けられる、温かなLBになりたいと思います。

 

 

仰秀LBの皆様

艇更新に関してたくさんご助言いただきありがとうございました。おかげさまで無事に更新できました。聞かせてくださった昔の仰秀のお話、全て興味深かったです。クルージングにもぜひまた誘っていただければ嬉しいです。

 

 

監督

4年間ありがとうございました。特に最後の1年間は、艇体更新から、世界選手権に向けての準備まで、大変にお世話になりました。強い月光チームのバウマンとして・仰秀再興の祖として、セーラーとしても一人の社会人としても、自分にとって見習うべき存在です。監督が見守ってくださる・近くにいらっしゃっていつでも相談できる、という多大なる安心感があって、ご迷惑をおかけしながらも様々な試みにチャレンジできました。

来年以降も仰秀チームのことをよろしくお願い申し上げます。

 

 

月光・ジェリーフィッシュをはじめとする社会人チームの皆様

ワールドクラスの皆様と一緒に練習できる環境があったのは、セーラーとしてこれ以上ないほど幸運でした。おかげさまでチーム一同成長できました。いつも無知な私たちを気にかけてくださり、叱咤激励してくださりありがとうございました。

 

 

自分と関わってくださったクルーザー班の先輩方へ

暖かく成長を見守ってくださる皆様のおかげで、無事引退という日を迎えることができました。先輩たちはいまの僕よりもずっとずっと大人で、僕の記憶のなかでかっこいいままです。みなさんから教えていただいたセーリングの楽しさを追い求めて走り続けてこられました。先輩方が皆さんで本当によかったです。レース最終日に福岡まで来ていただいたこともありがとうございました。素直に嬉しかったです。みなさんに見守られながら現役ラストレースを迎えられて、幸せでした。

 

 

関根へ

1年間主将お疲れ様。見えないところでたくさん仕事をしてくれたおかげで、円滑に部がまわったと思います。おかげで自分は任せきりで楽しむことができました。

部活以外ではあまり会うわけでもなかったし、ちょっと不思議な関係だった気もするけど、本当に感謝しています。ありがとう。

 

 

 

他にも、各チームのオーナーの方々・整備に関してお世話になった「トキ・エンタープライズ」の方々・各地のマリーナの方々・大会運営してくださった皆様・合宿所の大家さん、そしてディンギー班の先輩方や同期そして後輩・外洋学連の他大学の皆さんなど、その他ここでは挙げきれない自分と関わってくださった全ての皆様に、心から感謝申し上げます。ヨットを通じて出会えた皆様との思い出は、僕の宝物として永遠に残ります。

誠にありがとうございました。

 

 

最後に家族、とりわけ両親へ。

まずたくさん送迎してくれてありがとう。それから経済的にもお世話になりました。

レース結果を気にしてSNSを見てくれたり、現地まで応援に来てくれたり、得体の知れない?タブレットを用意してくれたり、、うっとうしいと感じたこともあったけれど、全部嬉しかったです。

あまり家にいなくても、全然授業に行かなくなっても、単位落としても、なかなか就活しなくても信じて見守ってくれたおかげで完走できました。

いろいろと迷惑もかけました。ここまで育ててくれてありがとう。

これからも遥か彼方を見据えて生きていきます。

 

 

 

 

 

最後の全日本選手権は総合9位。

思い返すと虚しくて、あのときもっと自分に厳しくできていたらとか、下級生の頃からもっと意識高く取り組めていればこんなはずではなかったのでは、とか思い浮かびます。気持ちの整理なんか全然できてないのかもしれません。

 

ただ、皆は最後まで諦めることなくセーリングしてくれていて、その事実だけはすごく幸せでした。部活として取り組んでいる以上結果が求められるのは当然なのでそんなの甘いけれど、それは嬉しかった。

 

自分たちはついに勝てなかったのと思うのと同時に、もう一方では楽しくセーリングができて、セーリングを好きなままでいられて、悪くなかったと妙に納得してしまう自分がいます。多分その弱さが勝てなかった原因です。

 

 

自分の中に、自己満足を超える何かがあったことは生まれてから22年間、確かに一度もありませんでした。自分が選んだ道を正解にするのが、満足するのが自分が生きる意味だと信じてきました。

だから、難しいことを考えずに、自分が楽しいかどうかを最優先にしてしまった1年間は、自分の生き方に合っていて、楽しかった。自分の存在意義なんか考えずに、自分の存在を肯定する理由を探すのもやめたラスト1年間は確かに楽しかった。

それが自分の課題から目を背けることにもつながっていたし、本当に無責任だったと思うし、それでよかったとか美化して言い訳する気は毛頭ありません。でも楽しむこと・後から振り返って自分が誇りをもてる部活人生だったと言い切れることが、自分がセーリングを続ける最大のモチベーションでした。そのことに満足していました。

 

 

 

この4年間、辛いことも楽しいこともあった。

朝5時に出発するのはしんどかったし、強風の日はビクビクしていたし、海はやっぱり最後まで怖かった。

晴れの日はテンションが上がったし、いいレースを作ったときは嬉しかったし、後輩がたくさんできて楽しかった。

 

その中でも、人より頑張れたとかとても言えませんが、自分なりに積み上げてきました。

自分なりに情熱を傾けてきました。

 

最後の瞬間までそんな自己満にしがみついて、最後まで自己肯定し続けてしまう自分は、とっても気持ち悪くて、でもやっぱり狂おしいほど満足しています。

 

 

嘔吐したことも、早朝に回航したことも、ブローチングして命の危機を感じたことも、全部が脳裏から離れません。

 

仲間に恵まれて、夢にまで見た世界の舞台にたてて、想いを託せる後輩ができて、想像もできなかった素晴らしい4年間となりました。

 

 

自分がチームにもたらせたものはたぶんありません。でもヨット部は自分に様々なものをもたらしてくれました。自分を変えました。

 

飽き性で、何かを本気で頑張った経験なんかなくて、そのくせプライドだけは高くて負ける勝負を避けてきた人間が、すこし逞しくなって、すこし器が大きくなって謙虚になって、そしてだいぶ日焼けしました。

 

一人の人間の人生にこれだけ影響を与えるほどには、ヨットって、ヨット部って、やっぱりすごいんだなって思います。

 

 

 

無事に単位を揃えられれば、春からは社会に出る予定です。

ここで知った人の暖かさを胸に、今後の人生に希望をもって進んでいけます。

 

 

 

東大に入ってよかった。ヨット部に出会えてよかった。

東京大学運動会ヨット部クルーザー班の一員であったことを心から誇りに思います。

 

 

後輩たちがいつまでもセーリングを楽しめることを、切に願っています。

 

今後とも東京大学運動会ヨット部の応援のほど、よろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

海の上の情熱。

 

 

 

 

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

2024年度 東京大学運動会ヨット部クルーザー班

副将

友成遼