東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

滾血録。

2017年11月08日 19時10分55秒 | 全日本インカレ2017

お疲れ様でした。引退しました中田です。470クルーでした。

全日本インカレが終わりました。

全日本が終わってすぐに投稿できなかったのは、いろいろと迷っていたからでした。最後に何を書くべきだろう?時が経つほどに、ヨットがなくなって一度ゼロになった自分と、一週間前までの鮮烈な記憶が混線しています。

 

正直に言って今全日本を思い返して1番強い気持ちは、悔しいという気持ちです。2レース目、その日の最初のスタートからブラックで、不用意に前に出てしまいブラックゼネリコに読まれ、第2レース参加できず。第3レースはビビって死にスタをして、フレッシュを取ろうとタックしている中でケースを起こし2回転、完全なドベからのレースになりました。胸を張って締めくくれる結果ではなくなってしまいました。

 

秋のインカレを意識するようになってから、自分のできないところが目について仕方がありませんでした。なんでこんなこともできないんだという考えがクセになって、悪い方に焦りが働いてしまっていました。それでも全日本に出ることが叶った最後の最後になって、サポートしてくれる後輩のためにも、一緒に乗ってくれている塚本のためにも、ずっと助けられてきたチームメンバーのためにも、今の状況を楽しまなくてはと思うようになりました。

そうして臨んだ遠征は、レースは、やっぱり楽しいもので、最後フィニッシュしたあとも、もうひとレース、次のレースを必ず最高のものにするぞという意気込みをもったまま終えることになりました。

成功と失敗の数多く起こるのがヨットレースです。これを苦しいと捉えると非常に苦しいものです。しかし楽しもうと思って臨めば、競技の本質がこんなに楽しいスポーツもない。分かっているはずのことを、最後になって思い出したという感じです。失敗しても、次に最高のレースをしようとすること。それで失敗しても、また次に最高のレースをしようとすること。それで失敗しても、またその次に。それでダメでもまだまだまだまだ!

 

忘れていたことが悔しい。そのせいで多くのものを取り逃がし、失った気がしてしまいます。しかしながら、この悔しさがあるからこそ、引退したあとも前に進み始めることができるのだと思います。進み続けるしか、悔しさに替わるものを手に入れる方法はないですし。部に残る者もまたそうだろうと思います。

 

こんな自分と一緒に1年間やってくれたチームの皆さん、力足りずごめんなさい。それでも、ほんとうにありがとうございました。レギュラーメンバーもサポートメンバーも、今は休部している人たちも、最高です。呼びたくなったら呼んでください。微力でも力になります。

 

ヨット部に導き、支えてくださった方々、誰も彼もありがとうございました。最高に濃い時間を過ごすことができました。これからも負けないくらい濃い時間を自分の周りに作っていこうと思います。

 

短いですが、失礼します。

最後にもう一度、ありがとうございました。

中田祐輔


備忘録 その4 〜回顧録から留魂録へ〜

2017年11月08日 13時00分00秒 | 全日本インカレ2017

お世話になっております。

2017年度ディンギー班主将を務めました角出です。
全日本学生ヨット選手権大会を終えて感じたことを最後に記させてもらいます。
 
 
やはり勝負事に勝てないってことは、辛く悔いが残ってしまうものでした。
サシで戦うような性質のスポーツでないだけに、どこを勝ち負けにするかの線引きは難しいけれど、勝てないってこんなに悔しいんだって人生で一番強く感じました。
 
何の因縁かわからないけれど、去年の関東インカレ決勝も今年の全日本も3レースに泣かされました。
でもみんなが知っての通り、これがヨットレースだよね。
何が起こるかわからないからこそ1レース1レースを大切にしなくてはいけないし、もしあと1レース残されているのなら、それは神様が与えてくれた最後のチャンスなんだって。
 
今回チーム全体で4つの文字をつけたけれど、最後の全日本もNOケース、NOトラブル、NO文字は達成できなかった。
特にヨットの団体戦は、回転しない・トラブルを起こさない・リコールしないといった減点法で評価されて、決して派手ではなく耐え忍ぶような展開を求められる。
でもレガッタを通して上述したことを達成するのは、とてつもなくハードルの高い難しいことだった。
あの早稲田大学すら達成できなかったからこそ、総合4連覇の実現を同志社大学に断たれてしまったのだから。
 
 
1年半前からずっと大学トップの早稲田大学と練習して彼らのことを間近に見ていたはずなのに、実は福井に来て急に、総合優勝ならびに4連覇を目指す彼らが何故だか本気で羨ましくなってきたんです。
自分が持っていた物差しが小さくて、低い次元でしか物を見れてなかったんじゃないかって。優勝とは言わないけれど、より高い目標を掲げられたんじゃないかって。
早い時期にそう思えていたら、まだまだできることが沢山あったのではないかと後悔が募って、遣る瀬無さからレース直前毎晩布団の中で涙していました。
セーリングの技術を早稲田レベルに引き上げることは出来ないけれど、レースに対する意識や普段の生活の中での立ち振る舞い・物事へのシビアな対応力など、誰しもが後天的に長い時間をかけずとも身につけることができることであったら、早稲田レベルの最高水準に持っていけるはずだと。
 
 
色々考えると悔いばかりが浮かんでくるけれど、私には逞しく愛おしい後輩たちがいる。
引退する4年生はこれから何か積み上げていくことは決してできない。
でも後輩たちにとっては、この全日本で終わりでもこれからが始まりでもなく、あくまで通過点だった。今回の全日本すら糧として成長できる。
我々は思いや想い・夢を託すことができる。
 
こうやって東京大学運動会ヨット部が生まれてから今に至るまで、ここに所属していた全ての人が後代へと夢を託し、みんなの夢をずっと紡いでここまで来たんだと思う。
たった一年経つとトップが抜けて弱体化してしまう組織が、以前よりも強くなることは難しいかもしれない。それでもその矛盾を超えていかなくてはいけない。それが後輩たちには出来る。
 
今年度は33年の歴史に「挑戦」したけれど、今度は次の「挑戦」に取り組んで欲しい。
不可能と一時は思えることでも「挑戦」して始めて可能になるはずだから。
 
「挑戦」する権利があることが羨ましい。
まだ積み重ねて成長していけることが羨ましい。
「これから寒い冬が待ってるね」だとか言って、辛いことが待ち受けていることを煽っていたのも未来ある後輩に嫉妬していただけ。
冬という苦難を乗り越えなければならないのは事実だけれど。
 
 
 
最後に、『備忘録 その1』(http://blog.goo.ne.jp/todai_dinghy/e/1d4ab3509b1a310c5119e94e836917f3)にかつて記したけれど、私の描いていた理想は果たして実現できたのだろうか。
感化力あふれる存在になれただろうか。
ヨット部を楽しさ・面白さあふれ成長を伴える場所にできただろうか。
正直わからない。
 
でも自己本位なことを言えば、一番楽しんでいたのは自分だったのではないかと思う。
高杉晋作の「おもしろき  こともなき世を  おもしろく」という言葉を格言にしてきたのだが、
おもしろきことばかりの4年間であった。
先輩にも同期にも後輩にも環境にも恵まれていたから、ヨット部を辞めようと思ったことは一瞬たりとも無かった。
 
ヨットと海はポンコツだった私を強くしてくれました。
個性的な仲間と、皆と過ごした時間は私の心を豊かにしてくれました。
ヨット部に入って良かった。
幸せだった。
 
私を支えてくれた全ての人に感謝申し上げます。ありがとうございました。
この4年間を糧として、新たな大志を胸に抱いて、これからも懸命に生きて参ります。
 
以上です。
 
 
角出賢司