老いの考察~もの想い~
平板でいい
穏やかに過ぎてゆくなら
起伏など無くていい
無難に送り迎えの日々なら
それ以上の望みは・・
ほんとうに・・
そうなのか・・
一期一会の時間を生きて
限り有るinochiを削って
ほんとうに、それでいいのか?
燦燦たる人生の有り様とは
如何なるを持って云う・・
きっと、正解など無いのだろうが
有無の具合で言えば
悲喜交交の浮き沈みや、哀楽の嵩の増減や
横溢する情の熱量や、交わりの悲歎や随喜や
結ぼれの憂鬱や、安寧の起伏や
落涙の歓喜や、郷愁のもの想い
様々な情感の螺旋、etc、etc
魅力や魅惑や誘惑は
そんな環境にこそ生まれ
そういう波乱万丈にしか
物語性は宿らない
そうだとしても、多難より小難の方が
複雑より平板の方が良いと・・
幾ら考えても、答えは堂々巡りで
もしかしたら
そのrefrainのまま、人は皆
inochiを使い果たすのかも知れない
或いは
その回答なき問題こそが
lifeと言う事かも知れぬ
相変わらずこの僕は
後期高齢の解答者になって
生死の物語の”あとがき”を書く段になっても
こんな風に為体のもの想いに耽り
今だ、体裁の悪さを吐露する始末なのだ
昨日昼過ぎに37℃を視認。生まれて初めての目撃!!のような気がする。午後5時を回っても35℃。明らかに地球は病んでいる。この日の出来事が”当たり前”に成ってゆく未来に慄く。
05:30 酷暑の日曜日の日の出諸兄諸姉、気を付けましょう 8/4 06:38 まんぼ