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交流

いつまでも消えない命の重み

2004-01-19 22:21:00 | 徒然なるままに
1月19日(月)

実は昨夜、帰宅途中、車で猫をはねてしまった。
走行中、モノレールの橋げたの陰から、急に飛び出してきた、というより飛び込んできた影を「ネコ?」と思った瞬間と前のバンパーに何かがぶつかる音がしたのはほぼ同時だった。
後続の車が迫っていて、急ブレーキはかけられず、車線変更してすぐUターンしようと思ったが、そのまま直進して次の交差点まで行かなければUターンできなかった。
現場に戻った時には、何台かが通り過ぎたり迂回していた。
私は、現場手前で停車して非常灯をともし、車内にあったビニール袋を持って、側に駆け寄った。
息があったら動物病院へ連れて行こうという望みは絶たれていた。
私は、まだ暖かくて柔らかいその体と、周りに散乱したものをかき集め、ビニール袋に入れた。
その柔らかさ、暖かさ、重みは、まだ、感触、感覚としてこの手に残っている。

そのまま、その袋を置き去りにするわけにもいかず、トランクに入れ、自宅に向かった。
途中、車と手を洗いたくてガソリンスタンドに寄った。セルフサービスの店で洗車はできたが、手を洗う場所がなかった。気が動転していたので、トイレを思いつかなかっただけなのだが。

とりあえず、110した。
電話の向うで警官は、「事故扱いになるので、管轄の警察署の指示を受けてください」と言った。
「事故扱いですか?」
「犬でも、猫でも、ぶつかったら物損事故として処理されます。場合によっては現場検証にも立ち会ってもらいます。」
ショックだった。
客観的に見たら当然のことだ。
でも、私はもっと違う言葉を待っていたのかもしれない。
管轄の電話番号を聞いて電話を切り、とりあえず近所の大型スーパーに手を洗いに向かった。

車に戻ると、管轄の警察署から携帯に着信が入っていた。
110て、逆探知できるんだ~!と妙なところで感心し、折り返し電話をかけた。
管轄の警察署の警官は、事情を聞いていたらしく、私がショックを受けていることを考慮してか、優しく対応してくださった。
「明日、保健所に連絡を取って、その指示に従ってくださればいいですから」
事故扱いと言うことには一言も触れず、私も怖くて自分からは聞けなかった。

家に着き、外から携帯で、娘に塩とコップに水を持って来るように頼んだ。
その間、庭の梅ノ木の根本にその袋をそっと置いて、手を合わせた。

家の中に入ってきた私は、きっと真っ青な顔をしていたのだろう。
今朝、妹が
「すごい事故現場を見て帰ってきたのかと思った」
と言っていた。
子ども達も、普段と様子が違う私に声がかけられなかったらしい。
でも、このことはとても子ども達には話せない。

今朝、保健所に連絡をし、環境整備事業所というところと連絡を取った。
回収に来てくださると言うのを丁重に断り、自分の車で運んだ。
受付で説明をしていると、電話に出てくださった方が入り口まで出迎えてくださり、
「ご苦労様です。明日こちらの方で処理しておきますから。」
とおっしゃり、
「飼い猫ですか?野良猫ですか?」
と質問された。
首輪はなかったので、
「野良猫のようです」
と答えた。

飼い猫だったり、知っている猫だったら、「ペット安らぎの里」というところにお願いしただろう。
野良猫だったからこういうところで処分してもらうのか・・・。
良心がズキズキ痛みながら、職員の人がその袋を持ち去る後姿を合掌して見送った。

今も、あの袋の重さを腕が覚えている。
私に出来ることは、あれが精一杯だった・・・。
動物愛護精神の強い人には責められるかもしれないが・・・。

私がこの後できること、心がけなければならないことは、同じ過ちを起こさないこと。この出来事を自分の中で風化させないで、運転する時はいつも思い出し、忘れないこと。
突発事故とは言え、一つの命を私が奪ってしまった事実を受け止めて、今まで以上に「命」の大切さを意識して生きていくことなのだと思う。

猫、安らかに眠ってください。
そして、今度は長く生きられる命をもらって、可愛がってもらえる人のところで天寿をまっとうできますように・・・。

「新春、仮装お楽しみソーラン大会」本番!

2004-01-19 20:45:00 | 徒然なるままに
1月17日(日)

心配された雪も朝方には止み、お天気は曇りから晴れ間が覗きだした。
いよいよ「新春、仮装お楽しみソーラン大会」本番!
朝から調理室では「豚汁班」のお手伝いのお母さんたちが、張り切って70人分の豚汁を作ってくれた。

「仮装」ということで、みんな思いの衣装やメイクで趣向を凝らしていた。
「チャイナ服」「着物」「ドレス」にメイクでおめかししている人もいれば、「鬼」やら「カトちゃんペ」や「どじょうすくいの親父」かつらやマスクで「別人28号」もいた。
私は、ベトナムのかさとアオザイなんて思っていたのだが・・・いつの間にか「笠こ地蔵」で参加。夜、顔も灰色に塗ってみたが、小さいこがなくかもしれないと思い、すっぴんで出た。
にもかかわらず、一目で私だと分かった人がいないのは何故???
普段からほとんどノーメイクなのに???

みんなの面白おかしいソーランに笑い転げた後は、みんなで美味しい豚汁を食べました。

最期のお楽しみ抽選会の福袋はすごく盛り上がった。

準備に関わってくれた皆さん、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。

息子へのエール!

2004-01-19 20:43:00 | 徒然なるままに
1月17日(土)

午後から、自治会館で明日のソーランの新年会の福袋詰をやった。
去年、いろんなイベントに出たときに頂いた参加賞のあまりの他に、メンバーの家で不要なもの(新品に限る)を供出してもらって、65袋作った。
みんなで、
こんなにいいものが集まるんだたら、今度はバザーでもやったら活動費を稼げるね~」
なんて言っていた。

夜からは、恒例の「中3母ネットの会」に出席。
先月は年末ということもあり、中止にしたので、2ヶ月ぶりだ。
みんな、いよいよ私立や公立の特色か選抜の試験を間近かに控え、親としても気が気ではない。
のんびりしている(ように見える)息子や、朝方になかなか切り替えられない寝夜更かし・朝寝坊の受験生に手を焼いている「憤懣」が炸裂した!
とにかく、願わくは全員第一志望校「合格」。
ここまで来たら、後は、本番、ベストコンディションで望めるよう、体調管理だ。

息子は近頃、本当によく勉強している。
みんなの言うようなカリカリしたところもなく、あくまでマイペース。
見たいTVもビデをもしっかり見ているし、「週刊ジャンプ」もかかさず買って読んでいるし、お年玉はほとんど「BOOK OFF」(古本屋)で使って、単行本を山ほど買ってくる。
部活は引退したのに、放課後は毎日サッカーやって、学生ズボンも靴下も泥んこ状態。

でも、そうやって発散しながら、友達とも良く遊び、自分のペースで勉強もやる時はやっているのなら、あとは全て自分の責任。
困った時だけ話を聞いてあげるぐらいしか親には出来ない。
家の事情+方針で、「県立1本」で頑張る息子に、心からエールを送る!

人形劇は子育ての原点、自己回復の場

2004-01-19 20:41:00 | 徒然なるままに
1月16日(金)

午前中、久し振りに、人形劇サークルの活動に参加。
1歳2ヶ月の幼女を連れたメンバーも参加で、賑やかな活動だった。
80?ぐらいの身長は、私たちが扱っている人形と同じぐらいで、まるで、そのまま舞台に出したいぐらいの可愛さと、愛想の良さ、芸達者さだ。

みんなのアイディアを出し合って、いろんな懸案事項を解決していく。
いかに面白くするか、子ども達に喜んでもらえるか、再演を重ねるたびに、さまざまなアイディアや試みがなされ、いい作品に成長していく人形劇。
今回の卒業公演は、参加者が少ないと言うことで、お手伝いにと思い参加したが、参加する以上は卒園児達の思い出に残るような素晴らしい舞台にしたい。
私自身、春からもし採用がかかれば、実質的な活動には参加できなくなるわけだし。
長女のことは心配だが、毎日一緒にいて煮詰まっているより、彼女が大好きだった幼稚園の風を持って帰って、本公演の時にはぜひ、客席で、私達の公演を見せてやりたいと思う。
彼女がそれを楽しみに出来るよう、彼女にいろいろ相談をしてアイディアを出してもらい、実現させたりして。

私にとっての人形劇は、子育ての原点であり、仲間や客席の子ども達から刺激やエネルギーをもらえる自己回復の場だ。

息子の受験、長女の不登校、ソーランに、レポートに試験といっぱい抱えて欲張って、1月2月3月を乗り切っていくぞ~!

夕方は、ソーランの練習。
18日の「新春、仮装おもしろソーラン大会」の打ち合わせと練習。
みんなアイディアを出し合い、揉めあい、楽しそうだった。
「よさこい島」のノーマルバージョンも、ずい分上手に踊れるようになってきた。
日曜日が楽しみだ。

学校カウンセリング

2004-01-19 20:40:00 | 徒然なるままに
1月15日(木)

午前中、学校カウンセリング。
年が明けて、今年初めてのカウンセリングだ。

今、私自身も通信教育の科目の中で、『生徒理解と教育相談』という勉強をしているが、我が子が『不登校』になって、本当に思春期の子どもの教育の難しさを痛感している。
また、『いじめ』をはじめとして、子ども達の問題は、私たちの子どもの頃とはずい分違う背景や状況があって、単純に、子どもの問題だけでは済まされない深刻さがある。

子どもにも、大人にとっても、「行きにくい」世の中。何が「本当」で、何が「普通」なのかが基準があやふやで、まちまちだ。
かといって、戦中みたいに軍国主義のような一方的な価値観を押し付けられるのも御免だ。
人として「当たり前」のことを教えたくても、それが本当の意味で「当たり前」のことなのか、そう言う自分はどうなのか、自分自身に跳ね返ってくる。
まして、それが通用しない世の中、もっと、上手く立ち回り、自分に損がないよう、傷つかないように振舞うことを教える方が必要なのではいか・・・。

娘が「さなぎ」から自力で出てこようともがいているのは分かる。
そのジレンマから、私に対して、兄弟たちにまで物議をかもすようなことは仕方がない反面、こちらにも我慢の限界がある。
「待つ」「見守る」「信じる」こんな、親として、家族として当たり前のことが、時々、息苦しくなる。
「嘘をつかれたり」「裏切られたり」「約束を破られたり」するたびに、磨り減り、ささくれ、疲れていく心・・・。
「期待しない」「焦らない」「責めない」「追い詰めない」という禁句が喉を突き破りそうになる。

そんな時、週に1回のカウンセリングは、今や、親である私のほうが、必要な時間だ。
いっぱいいっぱいになった余裕がなくなっている私の、「ガス抜き」であり、「自信回復の場」として、不可欠なものになっている。

カウンセラーの先生は、根気よく私の話を聞いてくださり、的確なアドバイスと、必ず、希望の持てることばかけをしてくださる。
現実は厳しいけれど、そこから目をそむけず、ありのままを受け入れ、諦めずに立ち向かうことを応援してくださる。
私の話の中から、時々、見逃してしまいそうな、娘方の「信号」を読み取って、示唆してくださる。
これはやはり、長年、たくさんのケースを扱い、いろいろな親子と関わってきた経験と実績、先生自身の研究によるものなのだろう。

私も、娘も、一番わからないのは「自分の気持ち」なのだろう。
どうすれば良いか、どうしなくてはならないかは分かっていながら、そのように行動できないのは、お互い様なのだ。
自分のことを棚にあげ、相手にばかり「こうであって欲しい」という要求ばかりしているのだ。

私に出来ることは、「信じて見守る」ことだと思ってきた。
でも、それによって、自分自身をずい分粗末に扱ってきたところがある。
「自己犠牲」による「自己満足」だったのかもしれない。
自分のことを大事にできない人間が、人のことを大切にすることなんてできないんじゃないか。
自分の体や生活、人間関係や夢を大事に出来てはじめて他人にとってのそれらを同じ様に大切に思えるのではないだろうか・・・。

去年は、その前の年の私を守るために献身的で、傷ついた長女に向き合うために自分の事を二の次にしてきた私だった。
これ以上は、過干渉であり、彼女に自立を遅らせるだけなのだと思う。
私が彼女を丸ごと受け止め、お互いに毒を吐き出しあう段階は終わったのかもしれない。

これからはもっと、周りの助けを受け入れ、エネルギーを充電し、安心できる家庭環境を作ってあげることに心を配っていかねば。

人間万事塞翁が馬。
昨日の従妹の実例もある。
「今の苦しみや悲しみはきっと、自分が自分になれる肥料」だと思える日が来ることを信じて。

科目試験と「一蘭」のラーメン

2004-01-19 20:38:00 | 徒然なるままに
1月17日(日)

午後から、千葉の福祉センターに科目試験を受けに行った。

科目は「学校制度と社会」。
レポートでは臨教審や、学校の自由化などのテーマだったが、今回の出題は、「情報教育の目標」だった。
テキストにはかなり簡略に要点だけ書いてあったが、私は時間いっぱい、日頃感じている疑問や提案を書きまくってしまった。
ゆえに、論点がぼけ、主観的な、簡潔さに欠けた解答になってしまったかもしれない。

IT産業の需要と供給は、今後も目覚ましい発展を遂げていくだろう。
教育現場のみならず、各家庭や職場でも、親も子も「情報化教育」を受ける機会は多くなっていくだろう。
しかし、現実的にはパソコンの普及率は年々高くなり、子ども達のファミコンや携帯電話の所有率も高くなり、皿に低年齢化している。
それに伴う「ゲーム脳」「メール脳」などという、前頭葉が全く機能しない、「ボケ状態」「痴呆症」の症状が子ども達を蝕んでいる。
コミュニケーションを上手く取れないことから来る人間関係の軋轢から、学校や社会に適応できない青少年が増加している。
「神戸事件」前後からは、パソコンや携帯電話がらみの少年犯罪や、規制無しの暴力的な情報が蔓延し、大きな事件の引き金にもなってきる。
今の子どもたちは、本当に生きにくい世の中を生きているのだと思う。
まだ、物事の善悪もちゃんと判断できないうちから、たれ流し状態の情報をテレビなどのマスメディアやインターネット、携帯電話などを通して暴力的に刷り込まれている。
まさに依存状態で、同じ情報を持っていないものは排除されてしまう。
何が本当か、自分にとって必要なことか、選んだり、考える暇もなく受け入れている状態だ。
こういった状況が、どれだけ人間性を欠き、本来あるべき姿からかけ離れた状態に陥っているのかと言うことを認識できないばかりか、それを教えてくれる人間も状況もない。

マスメディアも、IT産業も、今や私たちの生活に欠かせない大きなウエイトを占めているものだ。
銀行のキャッシュサービス、クレジットサービス、市民カードだってIDNO.で便利になった。図書館の本の検索・管理だって、コンピューター化している。
気付かないところで、IT産業の恩恵に浴しているところは想像以上だろう。
情報化の波に乗り遅れないよう、学校現場でも、職場でも、躍起になっている。
でも、文明の「利器」は使い方を間違えれば、「凶器」にも「武器」にも成り得るのだということも教えておく必要がある。
「利器」を「利器」として使うための基礎知識を学び、使いこなせる技術を習得しながら、使う側の態度やルールを自覚し理解させる指導が必要だ。
そのためにも、教える立場の人間は常に「後手後手」の指導にならないよう、教育者自身も研究実践する向学心が必要だと思う。

な~んてことを書いてしまったのだが・・・。
と言うわけで、こんな偉そうなことを書いた以上は、私自身、今年はちゃんとコンピューターを使いこなせるように勉強しなくっちゃ!

試験の後、玉川大学通信教育学部千葉支部のメンバーとの支部会に参加。
その帰りに「一蘭」というラーメン屋さんに行った。そのラーメン屋さんの美味しかったこと!とんこつラーメンに唐辛子があんなに合うとは思わなかった!
福岡が本店で、各地に支店があるので、お近くの人はぜひ一度ご賞味あれ!!
http://www.ichiran.co.jp/index.html

懐かしい恩師と仲間との再会

2004-01-16 07:09:00 | 徒然なるままに
1月14日(水)

午後から両国に芝居を見に行った。
テアトル・エコー時代以来の恩師、川和孝先生演出、シアターX自主公演。(1/13~18)
http://www.theaterx.jp/04/01meisaku18.html
『牝鶏』(金子洋文・作)と『俳諧亭句楽の死』(吉井勇・作)の2本立て。
両方とも、一幕物の短編だったが、見ごたえがあった。
『俳諧亭句楽の死』の中に、『新内』の演奏のシーンがあった。
公演後、『サポーター研究会』というのに参加し、「新内の解説と実演」を聴いた。
新内節とは、江戸時代後期に遊里を中心に流行した音曲で浄瑠璃の一種だ。
実演には、新内剛士(新内演奏家)とそのお父様でありお師匠さん(重要無形文化財)が特別出演をしてくださっていた。
三味線とその唄と語りの世界は、独特の雰囲気があって、江戸情緒たっぷりの別世界のようだった。
最前列の席のこんな至近距離で、こういう日本の伝統芸術を聴けるなんて、本当にラッキーだった。
日頃、子どもネットなどで、『おとなも子どもも楽しめる舞台』しか見ていないので、こういう、大人が堪能できる芝居は本当に久し振りだ。

公演には、エコー時代の同期生も来ていて、彼もまた自分の劇団を持ち、2月の公演に向けて稽古中だという。
公演後、当時、養成所の所長であり、声優の槐(さいかち)柳二先生と卒業以来の再会。
私のことを覚えていてくださり、舞台稽古の見学にお誘いいただき、感激!!

夢を追いかけて、夢中だった日々・・・。あの頃の気持ちとエネルギーが戻って来た。
あの頃と同じ夢は追いかけられないけれど、一緒に頑張った、そして今も頑張っている恩師や仲間に再会できて、たくさんのエールとパワーを頂いた。
私は私らしく、いつも目標に向かって前向きに突き進んでいきたい。
夢はいつも現在進行形で語っていきたい。
このところ、日常のことで煮詰まっていただけに、懐かしくも、新鮮な風穴を開けてもらった貴重な一日だった。

は~るよこい

2004-01-16 01:58:00 | 徒然なるままに
今日は、久々に人形劇の活動に参加しようと思い、長女を起こしに行った。
長女は、布団をかぶって泣いていた。
どこか痛いのかと聞くと、
「どうして私は起きられないんだろう」
と泣く。
そりゃあ、「あいのり」なんか見てから長風呂やってりゃあ朝起きられないわと思いつつ、
「今朝は起きようとは思っていたの?」
と聞くと
「うん」
といって泣く。
夕べ寝るときまでは、
「明日は朝から学校へ行こう!」
と思って寝たらしい。
が、兄や妹が起こされても、一緒に起きれず、また眠ってしまったのだ。
とにかく、「気持ち」はあっても、昼夜逆転の生活リズムが、急に正常に戻ることはありえない。
娘は、昨夜、自分から電話して同級生に今日の時間割を聞き、FAXを送ってもらっていた。
「どの時間割でもいいから、自分が無理なく参加できる授業に1時間だけ出席する。授業が無理なら、部活にだけ行く、というように、1日1回は制服を着て、学校に行ってみるというところからはじめてみよう。
今日は、6校時目が「総合」だから、出席しやすいんじゃない?
昼ごはん食べたら、行ってみてごらんよ」
他にもいろんな話をし、娘は涙をこぼしながらも、その時点では行く気にはなっていた。
でも、ついに今日は制服を着ることはなかった。

先日、私のEメールの送信ボックスに、未送信のメールが残っていた。
娘がタレントに当てたメールだった。
いつもは自分のアドレスから送るのに、何故、私のアドレスに残っているのか気になって読んでみると、

『私は、5月から学校に行ってません。

 時々、何か行事があるときは行ってるんですが、ほとんど行っていません。
 今は みんなと一緒に学校に行きたいと思ってるんですが、勉強とか、友達との距離とかが心配でかなか行動にうつせません。

 ○○ちゃんに、ぃぃァドバィスをしてほしいんですが…。』

1月8日、始業式の日付だった。
これは娘から、私へのSOSだと思った。でも、ここで焦りは禁物。
以前の娘は、学校に行けない理由を「いじめ」をはじめ、周りのせいにして、自分を正当化し同情を引くような文章を書いていた。
それが今回、「学校に行っていない」とか、「行動に移せない」というように、自分の行動を客観的に分析している。すごい進歩、成長だと思う。
自分自身と向き合うこと、それは、大人になっても結構辛いものがある。
こんな時、親としてはどう対応すればいいのか・・・・。

父に電話で聞いてみた。
「とにかく聞き役に徹すること。どうしたいのか、どうするのか、自分で考えさせ、自分から話させ、話をしているうちに考えがまとまるように。そして、それを行動に移せるがどうかをひたすら見守る。
指示したり、指摘したりして、プレッシャーをかけるのは逆効果。」
と言われた。

ひたすら聞き役に回る。私の最も苦手とするところだ。

「春に咲く花は、今の寒い時期に種をまき、球根を植えておくんだよ。どこに植えたか分からないくらい、何も無いように見えていても地面の下では、ちゃんと芽を出す準備としている。
枯れたように見える木だって、枝には硬い芽やつぼみが、寒さに耐えて春を待っている。
あなたの春のために、今からどんな種まきをしたらいいか、自分で考えてごらん。」

はーるよこい、はーやくこい、
あーるきはじめた ○~ちゃんが、
中学校の制服着て靴はいて、
学校に行きたいと待っている~。


従妹のこと

2004-01-15 07:05:00 | 徒然なるままに
1月14日(水)

午前中、従妹からTELあり。
彼女は16歳年下。私が高校1年の時に名付け親になった。
今、彼女は2児の母となり、私のよき相談相手になっている。
18歳の時に母(私から見れば叔母)が亡くなり、去年、父を亡くした。
母親を亡くしたあたりから、心の拠り所を失い、家を出て、いろいろな苦労を知ってきた従妹。
ご主人にめぐり合い、心の平安を得るまでには、さまざまな経験なや出会いがあった事だろう。
今の従妹は、その経験が生かされ、誰よりも前向きでしっかりした妻、たくましい母、かわいい嫁になった。
今朝も、私の息子の受験のことや長女の話に、自分の生い立ちを思い出し、自分がいかに親に心配をかけ、親が一生懸命自分を守り、応援し、お金をかけて一人前にしてくれたのかを、自分も親になって、初めてそのありがたみを知ったと言う話をしていた。
本当に、無くなった叔父や叔母、祖母に聞かせてあげたい言葉だった。
「親に恩を返せない分、お義母さんを大事にするんだ。だって、この世に『お母さん』と呼べる親は、お義母さんしかいないんだもの」
「自分が親に心配をかけた分は、子どもに返していく。学校で学んだことや、取った資格は、子どもが大きくなったら、必ず生かす仕事につく。それまではだんなの収入だけでもちゃんと先の貯えも出来るようにやりくり頑張る」
そして、何より、ちょっと障害をもつ上の子にたいして、
「この子のおかげでたくさんの貴重な出会いがあった。私も、いろんなことに関われた。これは財産。
これから、この子の将来のために、後見人を立てたり、親として応援してやらなきゃならないことのために、病気もしていられない、お金も貯めなくちゃ」

本当に強くなったなあ・・・。
私の脳裏には、まだあどけない少女の面影しかない従妹。
上の子が生まれた頃は、私が相談役だった。
今はまるで立ち場が逆転している。
でも、何かにつけ、TELをくれて近況を知らせてくれたり、相談し合うのが嬉しい。

3月、叔父の一周忌がある。祖母の13回忌にもあたる。
久し振りにいとこ一同集まる絶好の機会だ。
こういう法事って、亡くなった人を偲び、供養するだけでなく、残ったもの同士、日頃のご無沙汰を解消し、交流を深め、絆を強めるためにも、必要な慣習なのだと思う。

私も、この日ばかりは旧姓に戻って、母の手伝いをして来ようと思う。

天国に召された「コメット」

2004-01-14 09:28:00 | 徒然なるままに
1月13日(火)

久々の雨上がりで迎えた朝。植物達が生き生きしている様に見える。
でも、朝から元気がなかった「コメット」が、昼過ぎに動かなくなった。
このところ、あまり餌の食いつきが良くないなあ、とは思っていた。
他の前からいる3匹の金魚は元気いっぱいなのに対し、あまり元気がないのも気になっていた。
朝食の時、「コメット」を3匹が攻撃しているのを見て、あわてて救出。
尻尾が食いちぎられていた。
餌は昨日も上げていたはずだ。何故、ちょっと弱っている小さな「コメット」を攻撃したのだろう。
バケツに薄い食塩水を張り、「コメット」を泳がすが、見るからに痛々しい。
私には、病気ではなく、他の金魚からの攻撃で弱ってしまったように見えた。
やはり、もとからいる金魚の水槽に、種類も大きさも違う金魚を1匹だけ入れるのは、最初から無理だったのだろうか・・・。
末娘が学校から帰ってきてから、手厚く葬り、お墓をパンジーの花々で飾ってあげた。
「鯉」になるまで、大きくしてあげられなかったことを詫びながら・・・。

末娘は、夕方ピアノのレッスンから帰ってから、私のジョギングに付き合うといて、一緒に走ってくれた。
走りながら、宿題の「飛び九九」をやろうと言う。
12月のはじめ頃あんなに苦手だった九九が、電卓のようにパパッと答えが返ってくる。
あれからたった1ヶ月だ。子どもの覚えの早さもさることながら、娘の努力に感心した。
スーパーに行くと、お釣りの計算の早いこと!掛け算の応用問題もばっちりだ。
石巻の両親のところでの「カルタ・九九」特訓の成果かな。両親・妹に感謝感謝!