四季折々

~感じるままに~

名言

2024-05-23 05:18:05 | 神社仏閣・史跡等探訪
昨朝は久し振りにちょっと遠くまで歩きました。
そして、由緒あるお寺に立ち寄り、名言に出会いました。

家を出たのが05:35頃、このお寺(明光寺)へ着いたのが06:25頃でした。

右が本堂、左奥が薬師堂です。市内で一番大きな木造薬師如来座像(県重文)が安置されています。
この写真を写していて、本堂前に何か掲示されていることに気づきました。

行ってみると、こんな名言(教え)が達筆で掲示されていました。

良くないことばかりに目が向きがちですが・・・ そうなんですね。

本堂と薬師堂にお参りし、帰路は違う経路を歩きました。
するとまた出会いました。
JR中深川駅近くの旧道からの参道入り口に同じお寺の掲示板がありました。

あまり語りはしないものの、いろいろと不満の多い自分に気づかされました。

早朝ウォーキングはいいですね。
朝からいろいろな花や小鳥などにも出会え、気持ちよく歩けます。
こんな教えにも出会え、気持ちよく歩いていると、神妙(素直)にとらえることができます。
昨朝は、05:35~07:10、歩数は約8,000歩でした(毎朝の目標は6000歩)。いい運動にもなりました。
御利益もあるかも。
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アカデミック講座「広島城の石垣」

2024-02-04 07:00:00 | 神社仏閣・史跡等探訪
昨日午後、みだしの講座を受講しました。
~他城郭との比較から広島城の石垣の特徴を探る~
というサブタイトルのシンポジウムでした。
     
日時 2月3日13:00~16:00  場所広島県立美術館 講堂
主催 公益財団法人広島市文化財団 広島城


204席が満杯となり、パイプ椅子が10数個並べられるというほどの盛況でした。

次の内容で進められました。
・概要報告 「広島城の石垣」   篠原達也氏(広島城主任学芸員)
・基調講演1「織豊期の城郭石垣」 伊藤雅乃氏((株)文化財保存計画協会)
・基調講演2「中国地方の城郭石垣」乗岡 稔氏(元岡山市教育委員会文化財課長)
・討論・質疑応答

概況報告では、
広島城は、毛利氏の時代、福島氏の時代、浅野氏の時代と城主と時代が変わり、
それぞれの時代の石垣の変遷が見られる。
しかし、それぞれの同時代の他城郭の石垣との相違が見られ、更に研究等を要する。
との説明がありました。

興味深かったので、その各期の概要を記録しておくこととしました。
1毛利期
広島城は、安土桃山時代の天正17年(1589)に毛利輝元が普請を開始し、
天正19年4月頃に入城した。翌天正20年には秀吉が広島城を訪問している。
石垣は、同時期の他城郭で見られる特徴がごくわずかしか見られない。

2福島期
関ヶ原合戦後、福島正則が城主となり、慶長5年(1600)に入封し、
石垣の無断修復をきっかけに改易される元和5年(1619)まで、広島城を居城とした。
発掘調査では大規模改修が確認されている。
また、改易に伴い、石垣が破却されたと認められるところが各所に見られる。

3浅野期
元和5年(1619)8月に浅野長晟が入封、以後広島城は浅野氏12代が居城とした。
浅野期の藩記録には石垣の修復に関する記述が散見されるが、大規模な改変はなかったと考えられる。
ただ、初期に改修したことが明らかな二の丸太鼓櫓の石垣などに、高度に整った積み方などの特徴が見られる。

基調講演1の「織豊期の城郭石垣」は、
配付資料に基づいて、織田信長、豊臣秀吉の活躍していた時代の城郭石垣の特徴について説明がなされた。

基調講演2の「中国地方の城郭石垣」は、
主として広島城と岡山城の相違点と、地方事情などについて、資料を基に説明がなされた。

討論質疑については、
概況報告と基調講演の追加説明がなされるとともに、
他城郭の石垣との違いの理由などについて、3氏による突っ込んだ討論がなされた。

全体を通じて、プロジェクターを活用して石垣の写真やCGを示しながら説明がなされ、分かりやすかった。
ただ、専門用語など理解しにくい面もあった。
ともあれ、いい勉強になりました。

早速、帰路、少し遠回りして歩き、広島城を眺めながら帰りました。
思い出として、ここにその写真を列挙しておくこととしました。

裏御門跡です。

堀の外沿いを左回りに北側から西側に進み、ところどころで写してみました。



東北角付近から見た石垣と天守閣



北側から見た天守閣と石垣



西側から見た天守閣と石垣
(小雨が降っていて薄暗く写ってしまいました)


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歴史(弥生時代)のロマン

2023-02-16 07:00:00 | 神社仏閣・史跡等探訪
昨日夕方、とある神社にお参りしました。
お参り後、社殿脇の山道で、古い貝殻が散在しているのに気づきました。

岩上神社(いわのうえじんじゃ、安佐北区落合南2)です。




昨日16:30頃、孫の高校受験合格のお礼参りに立ち寄りました。
先日「平常心で受験できますように」と祈願していたお礼でした。

お参り後、社殿左脇から下りていく山道を初めて通ってみました。
立て札は「夜間通行禁止」でした。


10mくらい下ると、土の路面に何やら白いかけらのものが!?


上方に向かって写してみました。

右下方に横たわったものは滑り止めの板でした。
この周辺一帯に白いかけらが土に混ざっていました。
左上の建物は本殿です。
この道の左側斜面には、土の中から古い貝殻やかけらがたくさんはみ出ていました。







この大きなかけらはカキ(牡蠣)の殻に間違いないようでした。

帰ってから私が持っていた「落合郷土史」で調べてみると、
「岩上貝塚(いわのうえかいづか)」でした。その内容の概要は、
周辺に貝が散在し、横穴にはぎっしりと貝殻がつまっている。(私は横穴は未確認)
発掘調査が行われていないので実態はよくわからないが、海洋性の貝が多い。                       
往古には、太田川はこの近くまで海水が流れ込んでいたといわれ、近くで採れたものかもしれない。
広島市内には比治山貝塚、中山貝塚などがあり、その近くには弥生後期の遺跡がある。
発掘すれば、弥生の土器が発見されるかもしれない。
などの記述がありました。

その貝塚があった森です。

私の住む住宅団地から写した鎮守の森(中央の森)です。
今、この写真を眺めながら、歴史のロマンを感じています。


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真亀山神社の吹火と傘火

2022-10-30 07:00:00 | 神社仏閣・史跡等探訪
真亀山神社(広島市安佐北区)秋季例大祭にお参りしました。
この祭りでは十二神祇神楽と花火が奉納されます。
花火と言っても、吹火(ふきび)・傘火(かさび)と呼ばれる地元自作の花火です。

昨夜奉納された花火、圧巻でした。
その1 吹火




その2 傘火


その3 神楽
神楽は地元保存会の皆さんが奉納されたものですが、
小学生や中学生の舞もありました。


神楽の合間に吹火8本、傘火6本が奉納されました。本当に圧巻でした。
それぞれ動画で撮ってみました。
その1 吹火


その2 傘火


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遊歩ウォーキング(袋町~縮景園)への参加

2022-09-18 07:00:00 | 神社仏閣・史跡等探訪
昨日、NPO法人広島市観光アシスト協会主催のウォーキングに参加しました。
10:00~15:00、約3.3㎞ +「名勝縮景園」園内一周でした。
いわゆる歴史文化探訪でした。いい勉強になりました。

○集合場所(袋町「ひと・まちプラザ」)

参加者10名(男女各5名)でした。定員は20名だったそうですが、暑さが予想され、低調だったようです。
驚きは世話人(代表者)の方、御年84歳。案内・説明も素晴らしく大いに感心しました。
なお、FM携帯ラジオを各自が持参し、世話人の方が送信機で説明されたので、大変よく分かりました。

主な立ち寄り先は、次のとおりでした。
NTT袋町~山口銀行跡~西国街道~中の棚~中の棚稲荷~中の棚橋跡~
帝国議会跡~県庁東館~YMCA~京口門跡~女学院前~縮景園
 
以下、ポイントの写真を記録としてまとめておくことにしました。
 ○NTT袋町(原爆慰霊碑・被爆タイルのモニュメント)




○山口銀行跡(平成14年旧建物は解体、被爆建物の一部を保存展示)




○西国街道、(地表に埋められた標識)



本通り商店街に9か所埋められているそうです。

○中の棚商店街(毛利輝元公によって「うおのたな」となづけられ、福島正則の時代
東魚屋町とされたそうで、魚市場の名残があちこちに)



表示パネルが(一)から(八)まで設置されていました。

○中の棚稲荷神社(江戸時代の中頃創建された由緒ある神社)

中の棚一帯の道路には赤御影石が敷き詰められていたそうです。
今は赤御影石を模したコンクリートにより舗装されていました。

○八丁堀交差点(広島城八丁堀外壕跡と現八丁堀界隈)




○臨時帝国議会仮議事堂跡(明治27年日清戦争時、広島に大本営が置かれ、

臨時帝国議会が7議会招集された仮議場がこの辺りに仮設されていた)


県庁東館(県警本部と県教育委員会、1Fロビーに円鍔勝三氏作「太陽讃歌」1984年作あり)
     

○広島YMCA(原爆絵碑、ヒロシマ瓦・ナガサキ瓦鎮魂レリーフ)




○京口門児童公園(八丁馬場跡・京口門跡の碑、広島城八丁堀外壕跡の碑)




○女学院前(原爆の絵碑、藤棚~1988年手作り郷土賞受賞)

感染防止対策には、それぞれが最大の注意を払いながらのウォーキングでした。




ここまでが午前の部で、11:30~13:00の間休憩・昼食となりました。

弁当持参の私ほか数名は京橋川右岸(猿候川との分岐点)の日陰で昼食をとり、休憩しました。



木陰に並んでいたベンチで穏やかな川面などを眺めながら弁当を食べ、ひとときを過ごしました。

午後は13:00~15:00、2時間かけて縮景園を散策しました。
縮景園には度々訪れているので、今回の記録は省略することにしました。

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