四季折々

~感じるままに~

イワシを焼いて悪神退治! ユニークな節分祭

2025-02-03 05:00:00 | 神社仏閣・史跡等探訪
節分の咋日、広島市の住吉神社でユニークな節分祭が行われました。
伝統の「焼嗅がし神事(やいかがししんじ)」です。
昨年世間を騒がせたいろんな悪神を、焼いたイワシの匂いや煙で退治するという滑稽なな神事でした。

「赤鬼」「貧乏神」「疫病神」「熊」「闇バイトの男」が登場しました。

最初に登場した「赤鬼」は動画で撮ってみました。(後掲のとおり)
この動画を分割要約し、ストーリーを書いてみました。


まず、神官が赤鬼を発見し、走って帰り・・・


若君に「大変です赤鬼がやってまいりました」と報告。

若君は、「なに赤鬼が、皆のもの、急ぎてイワシ千匹の頭を焼きて追い払うようにー」と指示。

鬼が登場し、子供を泣かせるなどしながら拝殿に向かう。


拝殿前で、巫女が焼いているイワシの頭の煙を嗅ぎ・・・


ニオイにまいってしまった赤鬼は泣きながら走って退散する。
というおもしろい流れでした。


2番目に登場した「貧乏神」は・・・



「ロマンス詐欺やSNS投資詐欺に遭い一文無しになった。恵んでください」と登場。
煙を嗅いで、「これから気をつける」といいながらも、
「恵んでもらったお金は貸金庫に預ける」と言って退場。

3番目に登場した「疫病神」は・・・



マイコプラズマ肺炎やインフルA型にかかったと咳をしながら登場。
ニオイを嗅ぐと、すっかり元気になったと喜び、はしゃぎながら退場。

4番目に登場の「熊」は・・・

「ガオー ガオー」と脅しながら登場したが、
ニオイを嗅ぐと、「優しくて可愛い熊になれた」といいながら愛嬌良く退散。

5番目に登場の「闇バイトの男二人」は・・・

 携帯で「今、住吉神社に来ましたが、金持ちは見当たらない」などと話し、
また、参拝者に「バイトしないか」と話しかけながら登場。
ニオイを嗅ぐと、「闇バイトせずにホワイトなバイトします」と言って真面目な姿になって退場。
 
というように、世間を騒がせた、時のキャラクター達が登場し、笑いと拍手喝采を受けていました。

その後、豆まきが行われ・・・

 
ヒイラギ(柊)の枝に刺した焼いたイワシの頭が、1家庭に1個ずつ配られました。

玄関に掲げておくと厄除けになるとのことでした。
私もいただいて帰り、門扉脇の植木に掲げておきました。

人気のある神事なので大勢の参拝者でした。


最初の鬼登場の動画は、4分弱です。
興味のある方はクリックしてみてください。

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八木城跡 散策

2025-01-24 05:00:00 | 神社仏閣・史跡等探訪
咋日、太田川高瀬堰右岸にある八木城跡を散策しました。
鎌倉時代(1222)に築城され、関ヶ原合戦(1600)の年に廃城となったといわれる山城跡でした。


高瀬堰すぐ向こうの小山です。この山全体が城山だったようです。右の白い建物は市立城山北中学校。

最初①のところにあった登山口らしき道を登ってみると墓地でした。

こんなきれいに整備されたところがありました。

わずか3~4分登ると竹藪の中に墓地があり、行き止まりのようでした。



立派な墓地だったので、近くの名家の墓地だろうと思い引き返しました。

そして②の(城山北中学校)方向に回ってみることにしました。

ここから電動アシスト自転車で登って行くと、8分ほどで登山口らしきところがありました。

スマホでググってみると、左の山道が本丸方向のようでしたので先に登ってみました。

すぐにちょっと広いところがあり、更に細い急な階段がありました。




登って行くと、平らで広い(約10m四方)ところに到着しました。(登り口から10分ほどで到着)

何の標示もありませんでした。周囲はぐるり木が立っていましたが、絶壁のようで、

北東方向だけ下界が見えました。


登り口まで引き返し、今度は右の広い道を登ってみました。




12~13分で祠のある開けた地点に着きました。



権五郎神社と書かれた表札がありました。

周辺はだんだんに何段にも郭跡のようなところがありました。

この向こうは絶壁でした。

一方に下る小道があったので進んでみると・・


なんと一番最初に下から見あげた墓地でした。





どうも、代々の城主の墓のようでした。

城山北中学校近くの登山口へ引き返す際に見た景色です。

この谷(住宅街)には、南北に広島と松江を結ぶ国道54号が通り、

可部の町で浜田や益田に向かう国道も分かれています。
昔から主要街道の要衝にあった城のようでした。

霞んでいました(3月並みの暖かさから)が、可部にある高松山(城山)が見渡せました。

右向こうの三角な山が高松山

帰ってから少し調べてみると、
西の山頂にあった祠は城主香川氏の祖である鎌倉景正を祀る神社だそうです。
戦国時代香川氏は紆余曲折があったようですが、関ヶ原の戦いでは毛利氏に従い、

敗北の結果、毛利氏の防長移封に従ってこの城は廃城になったそうです。
一族は毛利氏ゆかりの吉川氏にも仕え、江戸時代末期には岩国藩の家老職にあったとか。
墓地はきれいに清掃されていたので、ゆかりのある方が近くにおられ、守っておられるのでは
ないかと思われました。

歴史には疎い私ですが、散策してみて歴史のロマンを感じました。
こんな位置関係にある城跡でした。
 
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「二葉の里歴史の散歩道」踏破

2025-01-15 05:00:00 | 神社仏閣・史跡等探訪
一咋日、好天に誘われ「二葉の里歴史の散歩道」を歩いてきました。
距離にして約11㎞、昼食・休憩を含み約6時間の散策、歩数計は22,500歩を記録していました。



丸数字の①から⑯を踏破しました。

11:10、アストラムライン不動院駅前をスタートしました。
すぐに、① 不動院の桜門(国重文)が見えてきました。


見出し画像は、不動院金堂(広島市内唯一の国宝の建造物)です。

②日通寺

広島藩藩主浅野家ゆかりの法華宗の寺

③水道資料館は閉まっていました。(不動院からは右のような道をだどりました)

調べると、3月~11月の水・金・土・日・祝・休日と
水道週間(6/1~6/7) 夏休み(7/21~8/31)のみ開館でした。

◎途中で渡った工兵橋


④八剣(やつるぎ)神社


⑤碇(いかり)神社

広島城築城前からこの地に祀られた城下町で一番古い神社だそうです。
当時この辺りは海で往来の船が碇をおろしたとか。

⑥安楽寺

原爆の時、大イチョウがお寺を守ったそうで、後に山門再建時枝が残されたのだそうです。

この近くのお店で昼食をとりました。(12:40~13:10)

⑦饒津神社。ここから「広島二葉山山麓七福神めぐり」の神社仏閣が並んでいました。


◎七福神めぐりのパンフ


⑧明星院

毛利輝元の生母の菩提樹だったとか。

⑨鶴羽根神社

鎌倉時代創建の椎木八幡宮が前身とか。

⑩広島東照宮

徳川家康の霊を祭る神社

⑪金光稲荷神社(七福神めぐりには入っていない神社)

階段約500段を登り、朱塗鳥居120数基をくぐって、奥宮まで上がっていきました。

昭和61年に火災で焼失するまで社叢があったそうです。素晴らしい眺望でした。

⑫二葉山平和の塔(前記 奥宮からすぐ近くでした。ここからも素晴らしい眺めでした)

世界恒久平和を祈念し、原爆犠牲者の冥福を祈るため1966年に建立されたそうです。

⑬尾長天満宮

学問、書道の神として菅原道真を祀る神社

⑭國前寺

浅野藩の菩提寺として造営された日蓮宗の寺

⑮聖光(しょうこう)寺

広島で最古の曹洞宗の寺とか。

⑯才蔵寺(門が閉まっていました。右の写真は門の隙間からのぞいて写したもの)

福島正則の家臣で、槍の才蔵と称された可児(かに)才蔵を祀る寺とか。

今も名の残る急な坂道の“才蔵峠”を越え、17:05、無事JR芸備線の矢賀駅に到着しました。


◎散策マップ「二葉の里歴史散歩道」の裏面です。この全てを巡りました。


不動院から聖光寺までの経路は迷うことなく進めました。
ただ聖光寺から才蔵寺は分かりにくかったので、スマホのGoogleの経路案内を活用したところ、
丁寧に西国街道(史跡岩鼻跡)経由を案内してくれ、約1㎞の回り道をたどったようでした。

ともあれ、登山のような山道(階段)もあった全コースを踏破することができました。
一日にして14寺社にお参りしたので、今年はたぶんいい年になることでしょう。

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吹火と傘火

2024-10-27 05:00:00 | 神社仏閣・史跡等探訪
昨夜、真亀山神社(広島市安佐北区)の秋季例大祭にお参りしました。
この祭りでは、十二神祇神楽(じゅうにじんぎかぐら)と花火が奉納されます。
花火と言っても、吹火(ふきび)・ 傘火(かさび)と呼ばれる地元自作の花火です。

◎ 神楽



神楽は地元保存会の皆さんが奉納されたものですが、小学生や中学生の舞もありました。
十二神祇神楽は、広島市や廿日市市、大竹市など瀬戸内海沿岸部で行われる12演目の神楽で、
毎年秋祭りに奉納するものです。今回は6つの舞が奉納されました。


◎ 花火
6演目の神楽の合間に、吹火8本、傘火7本が奉納されました。どれも圧巻でした。

その1 吹火(ふきび)  こんな花火でした。


    
吹火とは、中国地方の広島市で数か所にしか伝承されていない、手製の大花火だそうです。

その2 傘火(かさび)  こんな花火でした。(見出し画像も傘火)

傘火とは、棒の先端に花火を付けて着火すると勢いよく回り、火花が周囲に飛び散り、
傘を開いたように見える花火です。
「ここ真亀山神社でしか見ることのできない花火」と説明されていました。

それぞれ1種ずつ動画でも撮ってみました。
その1 吹火


その2 傘火


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広島城散策

2024-10-17 05:28:21 | 神社仏閣・史跡等探訪
咋日、久し振りに広島市民病院を訪れました。
そして検査を受けて、11月下旬頃右目の白内障の手術を受けることになりました。
その後、近くの広島城をゆっくり散策しようと思いましたが・・・

広島市民病院(中区基町)

以前、ここで左目の白内障の手術を受けました。
10年ちょっと前頃だったような記憶でしたが、カルテから17年も前だったことが分かりました。
年月の流れた早さを実感しました。

受診後、近くの広島城に向かいましたが・・・

表御門です。(13:00頃撮影)



まず城内にある広島護国神社にお参りしました。



    
天守閣の見える近くまで行くと、天守閣でこんな企画展示が行われていることがわかりました。
ただ、10:30頃に両眼の瞳孔を開くための目薬を入れた影響がまだ残っており、
まぶしくて、同じところを見続けることが難しい状態でした。
なので、残念ながら今回は早々と引き上げることにしました。


木々の紅葉が始まりつつあるようでした。
訪れている人々は大多数が外国人観光客でした。


お堀越しに新サッカースタジアムのエディオンピースウイング広島が見えました。

表御門の内側からこんな光景も見えました。




広島城からスタジアムへの高架橋はまだ工事中で通れない状態でした。

出直して、この一帯をゆっくり散策したいという思いを抱きました。
右目の白内障手術は11月下旬予定なので、
天守閣の企画展もよく見えるようになった目で鑑賞できるかも。
といった希望も持てました。

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