明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1584)『小さき声のカノン』の上映を通じて被曝から命を守ろう!

2018年10月05日 13時00分00秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20181005 13:00)

前回の記事で書いたように10月8日に京都市の「ひとまち交流館」で映画「小さき声のカノン」の上映会が行われます。鎌仲ひとみ監督も来場、映画の後に僕が対談させていただきます。
https://www.facebook.com/events/462017670957346/?active_tab=about

今回はこの機にこの映画をぜひご覧になって欲しいこと、またさらに各地で上映会を行って欲しいことを訴えます。

● 被曝の事実を認めたくない「巨大な壁」と格闘しながら

『小さき声のカノン』は2015年3月7日に上映を開始し、約3年半、全国各地で上映され、いまも続けられています。
とても素晴らしい映画なのですが、しかし「大ヒット」という形になったわけではありません。むしろある意味では「巨大な壁」になんども行く手を阻まれながら、それをすり抜けてすり抜けて、上映が続けられてきたような感じがします。

「巨大な壁」とは「放射能の壁」です。より正確には「被曝の事実を認めたくない心理的な壁」です。
福島原発事故後、膨大な放射能が東日本を被曝させ、いまや日本中にも拡散し被曝を広げています。
しかし残念なことに、この事実をどのマスメディアも政党も、いまだ正面から取り上げていません!
なぜなのか。僕は一つには被曝をめぐる「正常性バイアス」がこの国を覆ってしまい、心理的ロックが解けていないことがあると思います。

「正常性バイアス」は災害に直面し、命の危機に瀕した時に、現にある危機を認めようとせず、事態は「正常化」するのだと考えて心を落ち着かせようとする心理的メカニズムです。
自分の愛する土地が被曝し「汚されて」しまったことはあまりに悲しいことです。さらに命を守るためにその愛する土地を離れなければならないというのはもっと辛く悲しくことです。
だから「正常性バイアス」が働きやすい。被曝している事実、その土地を離れなければならない事実を認めなければ、この悲しみや辛さから逃れることができるからです。もちろん本当に「逃れる」ことにはなりませんが。

『小さき声のカノン』はこの壁に切り込んだ映画です。人々が認めたくない事実に切り込み、被曝の事実をやっとのことで受け入れながら、しかしどうすればいいか戸惑っているお母さんたちがたくさん登場しています。
監督の鎌仲さんは「これまで映画は映される人から三歩さがった位置から撮ってきた。でもこの映画ではその人の少し前に立って引っ張りながら撮ったこともあった」と2014年のインタビューのときに僕に語られました。
映画の撮影を通じて、鎌仲さん自身が戸惑うお母さんたちに勇気を与え、背中を押し、ともに子どもたちを守るための行動に踏み出してもいるのです。

● 映画を通じて放射能をめぐる「正常性バイアス」と向き合う

しかしそれだけにこの映画にはエンターテイメントのような「楽しさ」があるわけではない。いやむしろ被曝をめぐる「正常性バイアス」の中にいる人には辛い映画だと思います。
人々が被曝している事実、命を守るための懸命な活動が必要な事実が、映像を通じてまっすぐに自分に向かってくるからです。
そのことがときに鎌仲さんへのバッシングすら生んできました。放射能の危険性を唱える人を攻撃することで、自分が被曝している事実から逃れようとする悲しい心理からです。
社会的に影響力のある人の場合は、映画を認めれば「自分が人々を被曝させている」ことになるので、より認めたくない心理も加わり、その分攻撃性も増すようです。被曝の事実を語ることを「差別」と言い出している人々もいます。

そのため鎌仲さん、この3年半の間、本当にしんどい奮闘を繰り返してこられました。
もちろん被曝の事実を受け入れ、命を守ろうと努力しているたくさんの人々が映画を強く支持し、各地で上映会が開かれてきました。今回の京都市での試みもその一つです。
たくさんの支持もあるのですが、しかし被曝を認められない人々もまだまだたくさんいるのです。原発に反対している人々の中にすらたくさんいます。

● 『小さき声のカノン』の上映を通じて命を守ろう!

だから実は『小さき声のカノン』は被曝から人々の命を守るための最前線に位置している映画なのです。
被曝から命を守るために一番大事なことは、本当に単純ですが、放射能の危険性に目覚めることです。
「少しぐらいは大丈夫」「これぐらいは大丈夫」「もっと大丈夫だと新たに分かった」・・・というロジックの中にいる限り、人は放射線から身を守れません。

しかも原発事故後、日本政府は一貫して被曝の危険性を伝えず、むしろ「思ったより安全だった」みたいな言葉を繰り返してきました。
あのとき民主党政府の枝野さんは「ただしに健康に被害はない」とばかり繰り返し、放射線から命を守ることを一度も訴えてはくれませんでしたし、いまもそのことを反省しておられません。
いや枝野さんだけではなく、たくさんの政治家や科学者が「これぐらいの被曝は問題ない」と繰り返し、人々に防護を呼びかけませんでした。

この言質を打ち破り、放射能への危機感をマヒさせている「正常性バイアス」を打ち破らないと、被曝から命を守る活動そのものが進展しません。
だからぜひみなさんに『小さき声のカノン』を一緒に観て欲しいし、上映の輪をさらに広げて欲しいのです。

8日の対談では、このように命を守るための最前線での奮闘を貫いてきた鎌仲さんに感謝を伝え、慰労もした上で、一緒に未来の可能性を開くために必要なことを探れると良いなと思っています。
ぜひ映画鑑賞からトークへと連続でご参加下さい!

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明日に向けて(1583)『小さき声のカノン』ぜひ観て下さい! 鎌仲ひとみ監督と守田のトークも行います!(8日京都市)

2018年10月05日 12時00分00秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20181005 12:00)

10月8日に京都市で映画『小さき声のカノン』の上映会が行われます。ぜひご覧になってください。
一度観た方もぜひ二度目を!鎌仲ひとみ監督も来場されます。映画のあとに守田のトークも行います。

以下、お知らせを貼り付けます!

*****

● 映画上映会「小さき声のカノン」と監督鎌仲ひとみさん、フリーライター・ジャーナリスト守田敏也さんトークイベント
https://www.facebook.com/events/462017670957346/?active_tab=about

環境市民では福島原発の事故後に、様々な角度から専門家にお話をうかがう「環境市民チャンネル」をYouTubeを使って紹介してきました。
そして、この秋に環境市民チャンネル特別編として、映画「小さき声のカノン」上映会と監督の鎌仲ひとみさん、フリーライター・ジャーナリストの守田敏也さんをお招きしトークイベントを企画しています。
 
*「小さき声のカノン」は、福島で放射能に汚染された地域で暮らす母親たちがなんとかして子ども達を守ろうと悩みながらもあらゆる手を尽くし模索している映画です。
今年6月、放射能汚染土が園芸作物などを植える農地の造成にも再利用する方針を環境省が決めました。今こそ、もう一度、福島の母親たちの声をしっかり受け止め寄り添い、自分たちでするべきことを考えたいと思います。

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【日時】2018年10月8日(月・祝)

【プログラム】
11:30 受付
12:00 上映 ひとまち交流館
14:00 休憩
14:15 鎌仲ひとみ監督と守田敏也さんトーク
15:00 物販など
15:40 終了

【会場】 ひとまち交流館
京都市下京区西木屋町通上ノ口上る梅湊町83-1

【参加費】1000円
【予 約】 800円

【お申込み・問合せ】環境市民 担当:下村委津子
電 話  075-211-3521
メール  life●kankyoshimin.org
●を@に変えてメールしてください。
*メールでお申し込みの場合、タイトルを「小さき声のカノン申し込み」としてください。

【主催】環境市民
http://www.kankyoshimin.org/

*****

● 『小さき声のカノン』に込められた思い・・・

この映画の上映が始まったのは2015年春でした。そのちょっと前、2014年11月24日の「アースディしが」に鎌仲さんが来られたのですが、その時も僕は鎌仲さんと対談し、映画のことを聴いています。
以下に記事のアドレスを示しておきます。ご覧ください。

明日に向けて(986)映画『小さき声のカノン』に込められた思い(鎌仲ひとみさんとの対談から)-1
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/f41e9bfbde577d0adb442e2d26389a59

明日に向けて(987)映画『小さき声のカノン』に込められた思い(鎌仲ひとみさんとの対談から)-2
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/01d1195e60eb02ebfcaede8f01c0e536

続く

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明日に向けて(1582)『逃げ遅れる人々~東日本大震災と障害者』からみんなの命の守り方を考えよう!

2018年10月04日 17時00分00秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20181004 17:00)

10月7日、僕が参加している「ウチら困ってんねん@京都」主催でこの映画の上映討論会を行います。
まずイベントページの案内を貼り付けます。

上映会とお話
『逃げ遅れる人々~東日本大震災と障害者』
https://www.facebook.com/events/232900007571590/?active_tab=about

***

2011年3月11日
混乱のなかで、障害のある人々になにが起きて、どうなったのか。
私たちが見過ごしがちな避難が難しい人々の視点から、災害に備えるということの本質に向き合わせくれるドキュメンタリー作品です。
上映後は避難されている方からお話を伺う予定です。

日時: 10月7日(日)18:30〜
場所: ひと・まち交流館京都 2F第1・2会議室
参加費: カンパをお願いします
主催: ウチら困ってんねん@京都

***

● とっとと逃げる・・・しかし「逃げ遅れる人々」をどうしたらいいのか

原発事故が起きたらどうするのか。
「とっとと逃げること」と僕は繰り返し強調してきました。いまもそれは変わりません。ぜひみなさんに「とっとと逃げる」準備をしていただきたいです。

僕が「とっとと逃げること」を繰り返す理由の一つは、原発事故はひとたび起こるとどこまで拡大するか分からないものだからです。福島原発事故と同じようなことが起こると考えるのは危険です。
もっと破滅的な爆破がおき、より大量の放射能が飛散することもあり得ます。だからそうなる前に少しでも遠くに逃げた方が良い。
僕自身はすでに放射能が舞っている中でも逃げ出した方が良いと思っています。より破滅的な事態の影響を避けるためです。

しかしこうしたことを語るたびにいつも胸に突き刺さるのは「逃げ遅れる人々」のことです。
またその人たちをケアしている人々のことでもあります。いったいどうしたらいいのか。

● まずは実情を知ろう!

僕が思うのは、とにかくできるだけたくさんの人で「まずは実情を知ること!」です。できるだけリアルな経験を共有することです。
それで少しでも「逃げ遅れる人々」がより逃げやすくなること、避難に伴う困難さが減ることを目指そうと言うことです。

例えばこの映画の冒頭で、福島県の南相馬市で避難を強いられた障害者やその家族が避難所にいくことを躊躇したこと、結局、行かなかった(行けなかった)ことなどが出てきます。
そのときみなさんがおっしゃったのが「迷惑になる」ということでした。胸が痛みました。「迷惑になる」と思わせてしまうこの社会のあり方を本当に変えたいです。
他にもこの映画の中には「逃げ遅れる人々」が感じた困難がたくさん示されています。それを知ることから、同じような場に遭遇した時に、少しでもより良い対応がとれる可能性を生み出すことができます。

避難者が守られるのは当然の人権だ!

もちろんこれらは私たち市民の自助努力だけで果たされるものではありません。もっと圧倒的な公的資金の投入が必要です。
原発事故に限らず、これだけ災害が続いているのですから、避難者という立場におかれた方がより困難が救なく、できるだけ快適に過ごせるために、大胆に国家予算を投入すべきです。
いやそもそも、避難者を守るのは人権尊重そのものであり、国家にはそれを果たすべき義務があります。だから国家に適切な対処を求めつつ、同時に私たちがさまざまな人々のおかれた現実をより知っていくこと、このことが大事だと思います。

● 「逃げ遅れる人々」が「遅れなく」なれば誰もがより幸せになる!

また結局、そのことは誰をも救うことになるのです。
なぜって私たちの誰もがさまざまな理由で「逃げ遅れる人々」になる可能性があるのだし、かつそれらの人々をケアする側に立つ可能性があるのだからです。
だからこそ「逃げ遅れる人々」に手厚く接し、少しでも困難を減らしていくことは、私たち誰もの幸せにつながります。

そのためにもぜひまずは多くの方にこの映画をご覧になって欲しいです!
お近くの方、ぜひお越しください。

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明日に向けて(1581)放射能汚染水の投棄は今も継続中!-福島第一原発放射能汚染水問題を振り返る!(2)

2018年10月03日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20181003 23:30)

● 放射能汚染水問題の記事連載を再開します!

もう4か月も前になりますが6月14日にコープ自然派さんに招かれて「311後の放射能汚染水問題を考えよう」というタイトルでお話し、これをもとに6月16日に以下の記事を書きました。

明日に向けて(1537)福島第一原発放射能汚染水問題を振り返る!(1)
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/303ecfad5408a218b3059a527c519e9c

その後、講演内容を落とし込んだ記事を連続で出していこうと思っていたのですが、直後の6月18日に大阪北部地震が起こり、その分析を優先せねばでした。
さらに続いて7月豪雨災害が起こり、猛暑災害が続き、台風の迷走、南仏サマーキャンプへの参加、台風21号被害、北海道胆振東部地震などと続き、続編がなかなか書けませんでした。

その間に放射能汚染水の海洋投棄の動きが政府や東電によって強められてきました。
政府や東電は「投棄をするのは放射能除去処理をした後の主にトリチウムを含んだ汚染水であり危険性は少ない」と主張してきましたがとんでもないあやまりです。多くの方が反対されておりもちろん僕も反対です。

しかし僕はこの論議で政府と東電が重大な事実から話をずらそうとしていることも感じています。なぜかというと汚染水の海洋投棄はけして今から始められようとしているのではなく、すでに事故後、今日まで継続されていることだからです。
もちろん投棄を公言してはいませんが、そもそも東電は事故当初から山側から流れてくる地下水とメルトダウンした核燃料を冷やす水が混じり合って海に出てしまう可能性を十分に把握していながらまともな対処をしてこず、海に流れるに任せていたのです。

何よりもまずこのことが裁かれなくてはいけない。政府と東電が実態を世界に明らかにし、謝罪し、責任者を処罰すべきです。それもしないままさらに汚染水を流すなど到底許されるわけがありません。
こうした観点をみなさんと共有するために、再度、この問題の連載を継続することにしました。歴史的経緯も踏まえた捉え返しを行います。

1、放射能汚染水の投棄は今も継続中!

● 東電は遮水壁によって汚染を止めたかのように主張しているが・・・

政府と東電は汚染水があたかも今から海に投棄されるかのような印象操作を行っています。とくに東電は事故当初から数年間、放射能汚染水が海に注いでいたことを事細かには報告せず、原子炉の海側に遮水壁を作って2015年10月26日に完成させ、「汚染を止めた」ことばかりを強調しています。
でも実際はどうなのかでしょうか?東電による説明図を参照していただきたいと思いますが、そもそも福島原発の地下には膨大な地下水が流れています。
山側から流れてきて原子炉の下を通るのですが、そこにメルトダウンした核燃料があるので水で冷やし続けており、ここで高濃度の放射能汚染水が生まれてしまい、地下水と一緒に海に出続けてきたのです。

汚染水対策の状況
http://www.tepco.co.jp/decommission/progress/watermanagement/

● 汚染水を汲み上げ「浄化装置」を通して投棄

これに対し東電は遮水壁で流出を止めたと言っているわけですが、しかし実は今も意図的に流しているものがあります。
一つは原子炉より海側に「地下ドレン」が掘られています。なぜかというと原子炉の下側に迷路のように穴や側溝が走っており、そこに汚染水が溜まってしまい、海側に流れてきて遮水壁との間に溜まるので汲み上げるためです。
原子炉地下の穴や「トレンチ」などの側溝は、図面でしか確認できず、誰も具体的な把握ができていないのだそうですが、それが原子炉建屋とつながっていて高濃度の汚染水が溜まっていることは確かで、ここから流れてくるものを汲み上げているわけです。

東電はこの他にも原子炉建屋のまわりに「サブドレン」という井戸を掘り、建屋に入り込む地下水や、原子炉地下から出てくる汚染水も汲み上げています。
原子炉の周りの「サブドレン」、原子炉と海の間に掘った「地下水ドレン」、同じように原子炉の山側にも「地下水バイパス」を掘っていて、そこから汲み上げたものを「浄化装置」に流し込み、セシウムやストロンチウムなどの放射能を除去したとして、海に流しています。(これらもテプコの図を参照)

● EUの規制値の15倍の濃度のトリチウムの投棄が行われている

まずここに大きな問題があります。東電がトリチウムに対して1リットルあたり1500ベクレル、セシウム134と137に対しては1ベクレル、全ベータ核種に対してサブドレンと地下水ドレンは3ベクレル、地下水バイパスに対しては5ベクレルを自主的な規制値とし、それ以下のものは流していることです。要するにこの濃度以下の放射能汚染水はいまも毎日、意図的に投棄されているのです。
東電は自分たちは厳しい規制のもとに行っているのだと主張しています。日本のトリチウムの排出基準は1リットルあたり60000ベクレルだからです。東電は1500ベクレルを自主規制値にしているので十分に低いと言っていて、WHOの飲料水の基準が1リットルあたり10000ベクレルであることも紹介しています。

しかし世界を見渡すともっと厳しい基準を課しているところもあるのです。例えばカナダは国としては規制値が7000ベクレルで日本より約9倍も厳しい。さらにそのカナダのオンタリオ州飲料水諮問評議会は1リットルあたり20ベクレルという規制値を出しています。この州のオンタリオ湖に原発があることに対し、厳しい規制をかけて環境を守ろうとしているのです。
この他に原発大国のアメリカも740ベクレルだし、EUにいたっては100ベクレルです。つまり東電が現に毎日、投棄を行っている1リットルあたり1500ベクレルという基準は、EU基準の15倍も甘いのです。
このように規制値に大きな違いがあるのは、トリチウムの危険性に未知数が多いためで、評価の仕方に大きな違いがあるからです。僕もオンタリオ州のように考えるべきだと思っていますが、ともあれまずここでは、東電が今もEUでは認められない規制値の15倍ものトリチウムを含みうる汚染水を流し続けている事実をおさえておかねばなりません。

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明日に向けて(1580)高浜4号機が8月故障の発表の間違いを放置したまま再稼働!杜撰な再稼働にジャーナリストはもっと真剣に目を光らせるべきだ!

2018年10月02日 23時00分00秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20181002  23:00)

● 二度の故障事故を起こした高浜原発4号機が9月28日にひっそりと本格再稼働へ

北海道胆振東部地震や相次ぐ台風の襲来など、自然災害が猛威を振るい、これと連動しつつ北海道のブラックアウトや関西空港の閉鎖、各地での広域停電など、災害対策の不備も繰り返し表面化しています。
そんな中なのに関西電力は高浜原発4号機を9月28日より本格稼働させました。まるで他のニュースに人々が釘付けになっているときにひっそりと動かしたような感があります。マスコミもほとんど報道していません。
これで現在、営業運転中の原発は川内1、2号機、玄海3、4号機、大飯3、4号機、高浜4号機の合計7基となりました。
しかしこれらの原発の過半が再稼働を前にさまざまなトラブルを起こし続けています。

高浜4号機は8月に再稼働を目前にして故障事故を起こし、同月末稼働の予定が一月も伸びました。8月20日に再稼働に向けて「最終ヒートアップ(昇温、昇圧)を行っている時に、原子炉容器上蓋の温度計引出管接続部から蒸気漏れを起こしたのです。
実は4号機はその前日の19日にも「タービン動補助給水ポンプ」の制御油が漏れ出すという故障事故を起こしていました。
どうして故障が起こったのか。関電は前者については当該箇所にパッキンを組み込む際に微細な異物を混入させてしまい、そこから蒸気が漏れたと説明しています。
後者については制御油の流れる配管とホースの接続部の袋ナットを絞め過ぎてパッキンを痛めてしまい、そこから油を漏らしてしまったと説明しています。

● 関電が漏れた油の量を10分の1に発表。なんとそれが今日まで正されていない!

さて今回の記事で問題にしたいのは、この故障事故、とくに後者の油漏れの発表において関電が大きな間違いをおかし、しかもいまなおそれが訂正されていないことです。具体的には以下の点です。

「高浜発電所4号機は、第21回定期検査中のところ、本日8時11分に「タービン動補助給水ポンプ*1制御油圧低」警報が発信しました。
直ちに現場の状況を確認したところ、床面に約1m×約1m×約2cmの油(約2リットル)が漏れていることを確認したことから、制御油ポンプを停止しました。」
http://www.kepco.co.jp/corporate/notice/20180819_1.html

何が間違いなのかというと約1m×約1m×約2cmの油なら約20リットルのはずなのに、約2リットルと書かれていることです。漏れた量を10分の1にしてしまっているのです。
当然、故障したのだから原因を突き止め、直さなければならないわけですが、この説明図でも関電はやはり漏れたのは2リットルという記述を続けており、今日もホーム―ページに記載したままです。
(図の真ん中の漏えい個所を示した部分に黄色で漏れた油が示してあり2リットルと記載されている)

図-4 タービン動補助給水ポンプの運転上の制限の逸脱
2018年8月30日 関西電力株式会社

なおこの図は以下に掲載されています。

高浜発電所4号機の原子炉起動予定および調整運転の開始予定について
関西電力 2018年8月30日
http://www.kepco.co.jp/corporate/pr/2018/0830_1j.html

しかしこれで本当にきちんと故障に対処できたのでしょうか?20リットルのものを2リットルとかなり少なく記述し、しかもそれにずっと気が付かないのはあまりの杜撰さではないでしょうか。
ここには各地の原発で再稼働の度にトラブルが起きることが常態化している中で、現場が弛緩してしまっていることが現れています。このこと自身が大変危険です。

● マスコミもこの誤りに気が付かなかった

もう一つ、深刻な問題があります。電力会社が再稼働の度にこうしたトラブルを繰り返しているのに、それをウォッチするべき側のマスコミも誰もこの誤りに気が付かなかったことです。
そもそもこの間、電力会社はこうした故障事故が起きうることを前提に再稼働を強行しています。
その証拠の一つに挙げられるのが本年3月に玄海原発3号機再稼働時の故障を前に瓜生九電社長(当時)が「7年間止めていたため『何が起こるか分からない』と言っていたが、現実になってしまい、非常に残念だ」とあけすけに述べてしまったことです。

電力会社はまるで博打をうつかのように、何かが起きうることを承知で再稼働を強行しているのです。事実、この間、再稼働させた原子炉9基のうち5基で9回も故障事故を起こしています。
いやそれだけではなくて高浜原発サイトでは強風時にクレーンをたたまなかったため、クレーンが風で折れてしまい、2号機の原子炉補助建屋と核燃料取扱建屋の上に倒壊するという危険きわまりない事故すら起こしています。
だからこそマスメディアが、いやジャーナリスト総体が、この危険で無謀な試みを厳しくウォッチし続けることが大事なのです。それが人々の命を守ることにつながるのです。
しかしどの社も気が付かず、関電の発表を鵜呑みに転載したたままなのですが、何もそれはマスメディアだけではありません。恥ずかしながら僕もその一人だったのでした。このとき僕は以下の記事を書きました。

明日に向けて(1568)高浜原発4号機から一次冷却水が蒸気となって漏えい!またも再稼働目前で故障が起こった
2018年8月22日
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/3bf2d07793078077648a4a29086fb3c3

このとき僕は検算を怠りました。関電の数値発表に持つべき疑いを持たなかったのです。だから誤記をそのまま転載してしまいました。みなさんに申し訳ないです。お詫びして訂正します。
こんなことではいけない!もっと関電に厳しい目を向け続けなければいけない。そのためにもなんでも一度は疑ってみる観点、鵜呑みにしない観点こそが最も大事な点であることを、再度、僕は僕自身にも突きつけようと思います。

なおこの点を僕に指摘してくださったのは、「時間泥棒」仕置人さんです。
ブログ「分かりやすさが第一」に掲載の記事、「1m×1m×2cmは、何リットル?」に書かれています。
http://laweditor.blog.fc2.com/blog-entry-327.html

「時間泥棒」仕置人さんは、この間、僕のブログに図表や小見出しを入れて読みやすくする提案をしてくださっているのですが、今回はジャーナリズムの原点に関わる大切なご指摘していただけました。
この場を借りて心の底から感謝を申し上げます。

● 杜撰な再稼働にジャーナリストはもっと真剣に目を光らせるべきだ!

そうなのです。原発は一度間違えば瞬時に膨大な人々を悲惨な状態に追い込む恐ろしい装置なのです。実際に福島原発事故はたくさんの人に塗炭の苦しみを強制し続けています。しかも今後、それを上回る事態だってありえます。
だから私たちは電力会社に厳しい目を向け続けなければなりません。常に自らを鍛えながら!

最後に関西電力に、ただちに誤りを訂正することとともに、こんなデタラメな発表を放置し続けてきたことへの謝罪を求めます。
故障事故を前提にした原発の稼働をただちにやめてください!

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明日に向けて(1579)「むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞」に思う

2018年10月01日 16時00分00秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20181001 16:00)

超大型の台風24号が駆け抜けていきました。
被災されたみなさまにお見舞い申し上げます。本当にこれでもかと災害が続いていますが、この中でこそ私たちは命を守る知恵を高めていきたいものです。
同時に昨日は沖縄知事選で玉城デニーさんが素晴らしい勝利を遂げられました。本当に嬉しいです。沖縄のみなさん、全国からエールを送られたみなさんの大奮闘に拍手拍手です。

さて僕もこの間、かなり連続で講演を行って来ました。
「災害と原発からの命の守り方」をベースに、戦争や憲法9条の問題も取り上げてきました。南仏ナルボンヌ反核サマーキャンプ参加報告や、恩師、宇沢弘文さんが編み出された「社会的共通資本」の勉強会も行って来ました。
それぞれで新たにスライドを作りました。とくに災害対策については各地域で実際に起こった災害の分析を行いました。そのため大変な労力を費やし、あまり「明日に向けて」の執筆ができませんでした。
配信が滞ってしまい申し訳ありません。でもかなりの内容を積み上げたので、順次、原稿化して発信していきたいと思っています。

● むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞について

10月はそれでたくさんの原稿を書くつもりなのですが、そう思うのは、この月が「むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞」の応募期間の最後の一月にあたるからでもあります。
この賞は1948年から秋田県横手市で『たいまつ新聞』を30年間にわたって発行されたむのさんの精神を受け継ぎ、広めようと設定されているものです。以下のように主旨が書かれています。

***

2016年に101歳でさいたま市でなくなったむのたけじは、長きにわたりジャーナリズム活動をしてきました。
その活動に流れるものは、太平洋戦争の戦地で非人道的なものを従軍記者として見て、その後帰国して銃後と呼ばれた市民生活も戦争で悲惨なることを知り、このような戦争を地球上にふたたび起こさせてはならぬというものです。
そのために大事なことは一人ひとりが声を上げることだと考えていました。「戦争はやらせないぞ」「俺たち人間は、みんなかけがえのない存在だ。誰ひとり殺させてはならぬ」と。そうした思いを多くの人が心に抱けば強い力になることは間違いありません。

そのことは反戦ばかりではありません。自分たちの生活を向上させようとすることも、子どもたちが今よりよい生活になるように懸念あることを取り除こうとすることもそうです。
まずひとりが、そして少人数の人々が、住んでいる地域で声を上げる行動が現代社会を生きる我々とって重要なことで、そうした精神を広めることこそが大事だと考えます。
ジャーナリズムとは単に出来事を正確に伝えるだけと考えられがちですが、それだけでは十分ではありません。「たいまつ新聞」は地域に根ざし、その地域をよりよい方向に導こうとすることを目指したものだと考えます。
そこで、こうした考えで活動する個人・団体を発掘顕彰し、激励することにしました。
こうした活動は「むのたけじ精神」を広めるものと考えられるので、名を冠して『むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞』(略称「むのたけじ賞」)として創設することにしました。

https://www.facebook.com/%E3%82%80%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%81%91%E3%81%98%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E6%B0%91%E8%A1%86%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0%E8%B3%9E-2367388106821008/

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「ああいいな、ドキドキするな、これは応募したいな」と思いました。
自信があるわけではありませんし、僕の活動がどれだけ「地域に根ざし」ているかも良く分かりません。それでもこんなに素晴らしい活躍をされたむのさんの名を冠した賞に応募できるだけで嬉しいです。
応募作品は今月末まで対象になるのでため込んでいるものをここで一気に原稿化します。投稿が多くなりますがどうかご容赦ください。

● 声を上げ続けることの意味について

そうは言っても実は僕は自分の活動を「ジャーナリズム」とくくっているわけではありません。というか広河隆一さんや豊田直己さんのようにカメラと筆一本で、時には命をかけて現場を取材し、奮闘している方たちを僕は「ジャーナリスト」と呼んでいます。
そうした人々への敬意もあって自己紹介のときには僕は「フリーライター」と名乗ることが多いです。小さなこだわりです。
「ではおまえは何者なのだ」と問われれば「アクティヴィストです」と答える方がしっくりくるのですが、まあ、そんなことはどうでも良いことでもあります。

だから僕には「ジャーナリズム論」が特段にあるわけではありませんが、しかし一人一人が声を上げ続けることの意義だけはいつもとても強く感じ、実践しています。
そんな中で「むのたけじ」さんに強く共感するのは1945年まで朝日新聞などで働いたことに対し、「戦争報道」へのけじめから新聞社を退社し、一人で「たいまつ」を発信し続けたことです。
むのさんほどの大転換ではありませんが、僕も若い時から長い間社会運動に関わってきました。たくさんのことを学びましたが同時に手痛い失敗もたくさん経てきました。その中からつかんだものを軸に「ものの考え方」を紡ぎ出したいと思い続けています。

昨今の出版事情などを見たときに、センセーショナリズムというのは人々の耳目をひきつけやすいのだなあと感じます。
また強烈でアグレッシブな主張も人々をひきつけやすい面を持っている。賛否両論を巻き起こす様な強い意見はそれだけインパクトを持つ面もあります。
でも僕はみんなでじっくり考える糸口のようなものを紡ぎ続けたいと思うのです。それが民主主義を育てる一番の道ではないかと思うからです。

そんな点に留意しながら同賞に応募するためにも、この一か月、原稿化を頑張ります!
それらがみなさんがさまざまに考察を深めるときの糸口の一つになればと切望しつつ。

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