ぶらり町めぐり&御朱印

町を歩くのが好きだ。特に御朱印集めに熱中した。年齢を重ね、段々と体力が落ちてきたが、もう少し頑張りたい。

四国八十八ヵ所霊場の想い出 第66番 雲辺寺

2021年05月29日 10時39分21秒 | 旅行
第66番・雲辺寺へ移動する。雲辺寺は標高910メートルに位置する。ロープウエイを利用する。


上にあがると県境の表示がある。徳島県と香川県の県境に位置する。雲辺寺があるのは徳島県だが、霊場としては香川県(讃岐)の霊場に分類される。香川県の他の札所に近い。徳島県の札所とは隔絶しているからだ。


雲辺寺ではなく、雲中寺と呼びたくなるほどの濃霧だった。







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四国八十八ヵ所霊場の想い出 第65番 三角寺

2021年05月29日 09時02分35秒 | 旅行
四国八十八ヵ所霊場めぐりツアー第2回目の最終日。今治のホテルを出発し、高速道で伊予三島に向う。伊予(愛媛県)最後の札所である。

高速道を利用するぐらいだから、札所の距離は長い。もしこの三角寺がないとすると、愛媛の松山・今治と香川の観音寺の間には札所がないということになる。瀬戸内海側も札所に偏りがある。

第65番については、濃霧で視界が定かでなかったという記憶がある。次の雲辺寺も同じだ。








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四国八十八ヵ所霊場の想い出 第55番 南光坊

2021年05月28日 11時25分18秒 | 旅行
4日目最後のお詣りは、第55番札所の南光坊だった。

道路を隔てて、別宮大山祗神社がある。大山祗神社は瀬戸内海の大三島に鎮座する伊予一之宮だが、遠方だということで、個々に別宮を創建した。その別当寺院の一つが南光坊だった。

明治の神仏分離で現在のような形になった。



大師堂。


仁王門。


ここでこの日のお詣りを終え、今治市のホテルに宿泊する。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四国八十八ヵ所霊場の想い出 第54番 延命寺

2021年05月28日 10時16分42秒 | 旅行
4日目の9ヶ寺目は、第54番・延命寺だった。16時を過ぎると、終わりも近いということで元気づいてくる。

ここは、ため池の横を通ってお寺に行く。







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四国八十八ヵ所霊場の想い出 第56番 泰山寺

2021年05月28日 09時24分03秒 | 旅行
第56番札所の泰山寺は、がっしりした石垣が記憶に残る。境内は案外殺風景だった。この日の8ヶ寺目。中だるみは避けられない。







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四国八十八ヵ所霊場の想い出 第57番 永福寺

2021年05月28日 08時16分00秒 | 旅行
第57番札所の永福寺については、すぐに思い出せなかった。お詣りあとの田舎道で記憶が甦った。



帰り道。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四国八十八ヵ所霊場の想い出 第58番 仙遊寺

2021年05月28日 07時06分46秒 | 旅行
第58番の仙遊寺を参詣する。名前から想像すると、仙人が遊んだというのどかな寺である。

ここからは、今治市を見下ろせる。天気が良ければ”しまなみ海道”が見える。





今治市を見る。視界が悪く、瀬戸大橋はハッキリしなかった。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四国八十八ヵ所霊場の想い出 第59番 (伊予)国分寺

2021年05月27日 11時52分42秒 | 旅行
第61番の香園寺から第59番の(伊予)国分寺へ移動。



境内は簡素である。




弘法大師像があり、握手するようにできていた。この握手を覚えている。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四国八十八ヵ所霊場の想い出 第61番 香園寺

2021年05月27日 11時38分40秒 | 旅行
第62番から第61番へ移動。約5分。

第61番札所の香園寺は講堂のような建物で、記憶は確かだ。

お寺に見えない。東京ならありえるかもしれないが、四国の札所としては異例である。

大正時代に住職が子安講を始め、全国を回り、信徒を集めた。本堂の中は子供の写真がずらり並んでいる。






椅子に座り勤行する。講堂の中で勤行するような気がして、風変わりな経験だった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四国八十八ヵ所霊場の想い出 第62番 宝寿寺

2021年05月27日 10時14分08秒 | 旅行
第63番から第62番札所の宝寿寺へ移動。約5分。記憶は不確か。

聖武天皇の時代に諸国に一宮が建立された。その伊予一宮の別当寺だったという。







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四国八十八ヵ所霊場の想い出 第63番 吉祥寺

2021年05月27日 10時11分41秒 | 旅行
第64番の前神寺から第63番の吉祥寺へ移動。約10分。64番、63番、62番は横並びである。

記憶が不確かだったが、石垣で思い出した。この日は11ヶ寺をまわったのだ。個々の寺の記憶はうすくなる。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四国八十八ヵ所霊場の想い出 第64番 前神寺

2021年05月27日 08時56分09秒 | 旅行
第60番の横峰寺から第64番の前神寺に移動する。前神の「神」は石鎚山信仰に由来する。もともとは石鎚山の中腹にあった。

左右に回廊があり、忘れがたい寺である。権現造りが珍しい。



大師堂。宝型の屋根である。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四国八十八ヵ所霊場の想い出 第60番 横峰寺

2021年05月27日 07時31分26秒 | 旅行
四国八十八ヵ所霊場めぐりツアー第2回目の第4日目。道後温泉を出発後、第60番札所の横峰寺へ向う。

この日の行程を見ると、逆順にお詣りしたことになる。宿泊地が今治なので、ホテルから遠い札所からホテルに近い札所へと移動した。

第60番札所の横峰寺はかっては難所だったが、今では林道が通り、近くまで車で行ける。それでも10分ほど歩く。横峰寺は石鎚山の中腹にある。


横峰寺は花の寺だ。特に側面に咲くシャクナゲは素晴らしい。


花に見とれて、本堂の印象はうすい。




シャクナゲ以外の花も咲いていた。




この寺で思い出すのは、駐車場の休憩所で若い白人の女性を見たことである。坊主頭で袈裟を着ていた。痩せていたが、どうして札所めぐりをする気になったのか、不思議な気がしたものだ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご朱印めぐり 高崎総鎮守 高﨑神社

2021年05月26日 09時57分44秒 | 旅行
上信電鉄・山名駅から高崎駅へ戻り、高﨑神社を参拝する。「崎」なのか「﨑」なのか。ご朱印は「高﨑」で、石碑は「高崎」である。

高崎駅西口の大通りを高崎市役所の高層ビルを目当てに歩く。道は右曲がりになっているが、そのまま道なりに歩けば、高﨑神社に着く。

ただし、道路側に鳥居がなく、樹木も見えないので、探しにくい。


祭神は伊邪那美大神とされている。もともとは熊野神社だったという。明治40年に市内の36社を合祀し、高﨑神社となった。36社も合祀すれば、祭神云々を問うても仕方ない気がする。

社殿は境内の奥にある。左側がホワイト・インというホテルになっている。






ご朱印は社務所で。誰も見当たらなかったが、声をかけると、管理人が出てきた。ここは御朱印紙対応である。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご朱印めぐり 高崎市 山名八幡宮

2021年05月25日 09時24分45秒 | 旅行
上信電鉄・山名駅前に鎮座する山名八幡宮を参拝する。駅前というより、山名八幡宮の境内を上信電鉄が横切っているという方が正しいかもしれない。

正面奥にに楼門の屋根が見える。大きな木の背後を上信電鉄が走る。

鎌倉時代に新田氏の祖義重の子・義範が宇佐八幡宮を勧請して創建したもの、とされる。このあたりは、新田氏の領地だったのだ。


線路下の小さなトンネルを抜けると、楼門である。見難い。鉄道のおかげでおかしなことになってる。


境内は茅の輪が置いてあった。


階段を上がると拝殿だが、拝殿前は狭い。



社殿横に休憩所がある。


本殿は装飾が施されている。作風からすると、江戸時代のもの。



授与所には人がいず、呼び鈴もない。声をかけたら女性がでてきた。ここも筆書だった。最近は御朱印紙が多くて、筆書されると、驚いてしまう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする