「お母さん、居るの? ああ良かった。急にくらくなって、誰もいなくなっちゃって。
でね、ビーフステーキとかいうお肉を食べてみたいの。
それでね、先生にお願いしてほしいの。ほんのすこしの時間でいいから、また外出させてくださいって。
小夜子さんにもお願いしてくれる? さいごの我がままを聞いてくださいって。
大丈夫よ、小夜子さんはおやさしいから。
お母さん、いる? お願いね。
あたしの心残りは、それだけなの。
お母さん、お母さん。お願いね、お願いね。
ごめんなさい、眠くなってきちゃった。すこし眠るわ、すこしねむ、、、」
「勝子、勝子、勝子!」
「勝子さん、勝子さん、先生が来てくれたから。元気にしてもらえるから。ほら、目を開けて!」
「しっかりしなさい、勝子! お前は芯のつよい娘だろ?
こんなことに負けちゃいけないよ! 勝子! 勝子!」
母親の呼びかけが病室にひびく。はげしく勝子の体をゆすって呼びかける。
医師に哀願のまなざししを向ける。たすけてください、と言葉にならぬ目をむける。
しかし、医師がしずかに首を横にふった。
「ご臨終です。竹田勝子さんは、永眠されました」。
一礼をして離れる医師にたいして、小夜子が「ありがとうございました」と深々と頭を下げた。
「勝子、勝子。やっぱりお母さんは、あんたに長生きしてほしかったよ。
病院のベッドの中だとしても、やっぱり生きててほしかったよ。
あんたには酷なことかもしれないけれど、やっぱり、やっぱり、やっぱり……」
はげしく泣きくずれる母親の背をかるくとんとんとたたきながら
「ごめんなさい。やっぱり、死期をはやめてしまったのね。
勝子さん、ほんとのところはどうだったの? もっと生きていたかった?
外出なんかせずに、ここでじっとしていた方が良かったの? もっと生きていたかったの?」
と沈痛な面持ちで、小夜子が問いかけた。
そのことばは、母親にむけたものでもあり、そしてまた己に問いかけるものでもあった。
「ねえさん……」
医師と入れ替わるように入ってきた竹田だった。
虫の知らせらというのか、なにやらムズムズする思いにとらわれて、いったんは会社に出勤したもののすぐに早退してきた。
そして小夜子の「もっと生きていたかったの?」のことばに、勝子の思いを代弁するかのようにつぶやいた。
「ねえさん、幸せだったよね。最後の最後に、好きな男性を見つけたもんね。
知ってるよ、ぼく。主治医の先生が好きだったんだろ?
だって、先生が入ってくると、ねえさんのほっぺたに赤みがさして、耳たぶまで赤くしてたもんね。
小夜子奥さま、ほんとにありがとうございました。
姉にかわってお礼を申し上げます。これから、ぼく、小夜子奥さまのためならなんでもします。
奥さまが(死ねとおっしゃれば、いつでも差し出しますから)……」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます