昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第二部~ (三百二十四)

2023-02-22 08:00:22 | 物語り

「お母さん、居るの? ああ良かった。急にくらくなって、誰もいなくなっちゃって。
でね、ビーフステーキとかいうお肉を食べてみたいの。
それでね、先生にお願いしてほしいの。ほんのすこしの時間でいいから、また外出させてくださいって。
小夜子さんにもお願いしてくれる? さいごの我がままを聞いてくださいって。
大丈夫よ、小夜子さんはおやさしいから。
お母さん、いる? お願いね。
あたしの心残りは、それだけなの。
お母さん、お母さん。お願いね、お願いね。
ごめんなさい、眠くなってきちゃった。すこし眠るわ、すこしねむ、、、」
「勝子、勝子、勝子!」
「勝子さん、勝子さん、先生が来てくれたから。元気にしてもらえるから。ほら、目を開けて!」
「しっかりしなさい、勝子! お前は芯のつよい娘だろ? 
こんなことに負けちゃいけないよ! 勝子! 勝子!」

 母親の呼びかけが病室にひびく。はげしく勝子の体をゆすって呼びかける。
医師に哀願のまなざししを向ける。たすけてください、と言葉にならぬ目をむける。
しかし、医師がしずかに首を横にふった。
「ご臨終です。竹田勝子さんは、永眠されました」。
一礼をして離れる医師にたいして、小夜子が「ありがとうございました」と深々と頭を下げた。
「勝子、勝子。やっぱりお母さんは、あんたに長生きしてほしかったよ。
病院のベッドの中だとしても、やっぱり生きててほしかったよ。
あんたには酷なことかもしれないけれど、やっぱり、やっぱり、やっぱり……」
 はげしく泣きくずれる母親の背をかるくとんとんとたたきながら
「ごめんなさい。やっぱり、死期をはやめてしまったのね。
勝子さん、ほんとのところはどうだったの? もっと生きていたかった? 
外出なんかせずに、ここでじっとしていた方が良かったの? もっと生きていたかったの?」
と沈痛な面持ちで、小夜子が問いかけた。
そのことばは、母親にむけたものでもあり、そしてまた己に問いかけるものでもあった。


「ねえさん……」
 医師と入れ替わるように入ってきた竹田だった。
虫の知らせらというのか、なにやらムズムズする思いにとらわれて、いったんは会社に出勤したもののすぐに早退してきた。
そして小夜子の「もっと生きていたかったの?」のことばに、勝子の思いを代弁するかのようにつぶやいた。
「ねえさん、幸せだったよね。最後の最後に、好きな男性を見つけたもんね。
知ってるよ、ぼく。主治医の先生が好きだったんだろ? 
だって、先生が入ってくると、ねえさんのほっぺたに赤みがさして、耳たぶまで赤くしてたもんね。
小夜子奥さま、ほんとにありがとうございました。
姉にかわってお礼を申し上げます。これから、ぼく、小夜子奥さまのためならなんでもします。
奥さまが(死ねとおっしゃれば、いつでも差し出しますから)……」



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