昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

愛の横顔 ~RE:地獄変~ (十)まあねえ。たしかに、

2024-10-09 08:00:53 | 物語り

 まあねえ。たしかに、両親代わりに親身に世話をしてくれました。
ああ、熱を出したときのことですね? 
店に出ている母親の代わりに、寝込んでいるわたくしの世話を甲斐がいしくしてくれました。
また夜の夜中にお医者さまを迎えに行ってくれたり、わたくしをおぶって走ってくれたりしたこともありました。
店が閉まっているにもかかわらず戸をドンドンと激しく叩いて、家人を起こしてまでも氷を買い求めてきてくれたりもしました。

 ただ、そんなあれやこれやを恩着せがましく話されては、いくら感謝の気持ちを持っていたとしても、ねえ。
つい、「おまえの背中はくさかったわ」と、口にしたことがありました。
なぜって、それは……。いまさら自分を飾っても仕方ありませんね。
お話しましょう。
 正夫におんぶされたときなど、それこそ死んでしまいたいと思いました。
それがどれほどに苦しい思いをすることか。
匂いです、あんこの甘ったるい匂いです。
甘いんだったらいいでしょうに、ですって! 冗談じゃありません。
あれが諸悪の根源です。あの匂いをかぐたびに、わたくしのこころが少しずつ壊れていくのです。

 おわかりになります? 
幼少より両親の愛情というものを感じとれなかった辛さ、苦しさが。
愛されていたはず? わたくしの誕生を、両親ともにとても喜んでいた? とんでもありません。
まあ、はたから見ればそうなのでございましょう。
いろいろのおもちゃで部屋は埋まっていましたし、高価できれいな布地のおくるみにくるまれた赤児でしたもの、そう見えて当たり前ですわね。
 ですが、それがなんだというのです。
安物の生地で作られた、いえ使い古しの木綿でもいいのです。
しっかりと抱いてさえもらえればなんの不満もありません。
「良い子だね、いいこだね」。そのことばをかけてくれるだけでもよいのです。

 母の実家で聞きました。生まれ出てすぐに祖母が世話をしてくれたとのこと。
「お母さんは産後の肥立ちが悪くてねえ」と、祖母に聞かされました。
 それでひと月の間を実家にとどまったとか。
その間、父は一度だけ顔を出して、その日のうちに帰ったとのこと。
後々に母方のご親戚から「情がうすい父親だねえ」と、言われたものです。
そのことばのせいでしょうか、
以後父は、母の実家にいくことはありません。
わたくしだけを行かせるのです。
学校が長期のお休みのおりに、正夫の供で追いやられたのでございます。
「旗日やら日曜日は一番の稼ぎどきなんだから」。
それが口癖でした。わたくしへの答えでした。



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