「じつは……。もう一点、4Kチューナーをご購入していただくことになります」。
おいおい、話がちがうだろうが。で、いくらするの? という話ですが、これまた五桁の金額で。
こころが折れました、大きな音が、ガラガラと、頭の中でひびきました。
まだ残暑の名残りが残っていたのですが、ピューピューとからだのなかを木枯らしが吹き荒んでいる感じです。
たぶん肩を落として、背中が15度ほど曲がった状態で店をでたと思います。
話がちがうじゃないか、というご指摘、ごもっともです。
「買い求めた」と、冒頭でお話ししました。
ですので、すこし補足をしなければなりません。
このエピソードは、数年前の秋の十月の話です。
かいもとめたというのは、昨年末のことです。
悩みになやみ、うじうじと考えつづけ、コロナ禍のおかげで外にとびだすこともできずに、とうとう……。
清水の舞台からとびおりたのは事実です。
いくばくかの年金と、半日仕事の派遣による収入です。
預金も、先日とびだした二千万円などにはとうてい及びません。
けたがひとつ違います。ですので、まだまだ働きつづけねばならないのです。
本来はムリな買い物なのです。分不相応だとは分かっています。
いただく給料の6ヶ月分ほどがとんでいきます。
分割? とんでもない! でていく金額が、金利の分だけ上がるじゃないですか。
通帳における現金不足というわけではありませんので。
そもそもが、そんな高精細な画像など不必要なことでしょう。
現在のハイビジョンテレビでも十分にきれいな画像なのですから。
あと何年生きられるやらも分かりません。
同僚には「手相によると百歳越えするらしい」と豪語していますが。
というのも、生命線に当たる筋が手首にまでたっして、手のひらの端っこにまで達しているのです。
占い師によってその説明は若干違いますが、生命力が強いということらしいです。
完全リタイヤ後も、すくなくとも20年は生きつづけるわけです。
年金だけではとてものことに生活を維持することはできませんからねえ。
ですので、毎月いくばくかの金員を、この年になってまでも貯蓄せねばならぬのですよ。
なのに、なのに……。わたしの非常識さが、このことにもその一端がでていますね。
がしかし、どうしてもあの精微な画像をわすれることができず……。
美術館めぐりにお金をつかうことを考えれば、と決断したわけです。
ほかには……、やはりないですね。
わたしが遺したいと思うものは、趣味で書いている小説やら詩などは、いまはネット世界というありがたい代物もありますしね。
いつまでネット世界で生きつづけてくれるかどうかは分かりませんが、だれかひとりでもわたしの作品を気に入ってくれて記憶に留めてもらえれば、それで十分だという意識もあります。
むろん、それがより多くの人ならば、それにこしたことはありません。
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