焼きものに興味をいだいている父親が、とつぜんに割りこんできた。
己の自慢ばなしのごとくに、有田焼の起源やらを東陶と話しはじめた。
「明治以降なんですなあ、有田焼という名称がうまれたのは。
江戸時代には、三川内焼、波佐見焼、鍋島焼などとともに、伊万里焼と呼ばれていました。
秀吉の朝鮮出兵にさかのぼるんですよ。
鍋島藩の藩祖である鍋島直茂が、朝鮮の陶工たちを日本に連れ帰ったんですなあ」
商売になるかと話にききいる武蔵だが、同好の士だと勘ちがいをして、ますます話に熱がはいってきた。
また始まったとばかりに、ほかの家人たちはそそくさとその場を立ち去っていく。
「あまり遅くならないうちに帰りなさいよ」と祖母がいい、そして、老人が苦言を残していった。
「甘やかしすぎだ、れいを」
「大丈夫ですよ、お義父さん」と立ち上がって、父親が最敬礼をみせた。
軍人上がりの祖父は、うん、とうなずきながら立ち去った。
「むこ養子でしてね、わたし。ましかし、跡取りをつくたんだ。
ある意味、お役御免ですわ。娘のれいが生まれたときは、散々でした。
まるで種馬あつかいです、ひどいものです。
でね、やっと隼人が生まれてくれたんで、大事にしてもらえるかと思いきや。
どうしてどうして。『実家に帰りたくないか?』などと言われる始末ですよ」。
たばこを取り出して武蔵にすすめながら、
「これもなんです。家の中では、吸わせてもらえんのです。
義父が吸いませんのでね、外ですよ。
まあね、義父が死んだらねえ。これみよがしに、そこら中で吸ってやろうと思っているのですが。
だめですなあ、義母が許してはくれんでしょう」と、ぐちをこぼしはじめた。
「で、義母がいなくなっても、こんどは妻がねえ。
かかあ天下です、うちは。というより、この地では大半がそうなんですが。
九州男児などといきがってはいますが、外ではそうなんですが、家に入るととたんに。
まあしかし、その方が円満です。おたくはいかがです?」
武蔵の嫌がるはなしに行きはじめたため「それはまあ、ご想像におまかせしますよ。
どこに行きましたかね、ふたりは」と、小夜子と娘のふたりが気になるそぶりをみせた。
「おおかた、あの野良犬をかまっているんでしょう。ほんとはねえ、飼ってもいいとおもうんですが」
と、あくまでぐち話をつづけようとしてきた。
「隼人のやつが、とんと意気地のないむすこでして。そのことも、わたしに対する……」
「ああ、いましたいました。そうですなあ、犬と走ってますよ」と、はなしの腰をおった。
“いつまでもくだらんはなしに付き合ってなんておられん”。口にはださないが思いっきり蔑視の視線をむけた。
さすがに愚痴が過ぎたと気づいた父親も、
「初対面の方にするはなしではなかった。つい同好の士だと気を許してしまいした。失礼しました」と、頭を下げた。
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