でも、でも、なにかがありました。その前に、いつもなにかがありました。
どう表現すればお分かりいただけるか、非常になやんでいます。
「子どもを第一にかんがえる」。
それは実践をしました。
甘やかしたつもりはありませんし、なんでも言うことを聞いてきたわけではありません。
第一、子どもが、わたしをいち番に考えていましたから。
そう! そうなんです! それこそが、「なにか」だと思います。
わたしがそうでした。父母に対して、どうしても超えてはいけない一線を感じていたのです。
貧乏だからわがままを言えなかった?
共働きで朝から晩まで働き続けていたから甘えられなかった?
たしかに。たしかにそれはあった気がします。
でも、そんなことは枝葉末節でしょう。
では、ではなにが、なにがわたしを押しとどめたのでしょうか。
そしてそのなにかが、わたしの子どもたちにして、わたしをいち番に考えさせるようになってしまったのか。
なにに脅えさせてしまったのか。
暴力的なことは一切していません。
妻にたいしても、一度たりとも手をあげたことはありません。
口汚くののしったこともありません。
いち番つらい、いち番こたえること――無視をしたこともありません。
ただ、かせぎの悪かったわたしのせいで、貧乏生活をさせてしまいました。
わかれた妻からいわれました。
「うそを吐かれたことがつらかった」。
責められました。たしかに吐いた覚えがあります。
でも……。
まあいまさらどんな言い訳をしても、詮ないことです。
いえ、これからのはなしに、またうそが混じるかもしれません。
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