昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第二部~(二百五十三)

2022-07-04 08:01:43 | 物語り

 奥の部屋で横になりながら、ガーデンパーティを思い起こした。
鹿鳴館を想像していた小夜子で、あまりのざっくばらんさに、拍子抜けしてしまった。
家を出る時の、あの緊張感。不安の高まりから、武蔵の腕をぐっと握った小夜子だった。
こわばった表情を見せながら車に乗り込んだ小夜子だった。
「なんだ、なんだ。敵討ちにいくんじゃないぞ、おいしいものを食べにいくんだから。
肩から力を抜いて、大きく息を吸い込んでゆっくり吐け。
そうそう、肩を上下させて。どうだ、落ち着いたか? きれいだぞ、小夜子。
みんなびっくりだ、お姫さまだってな。
なあ、運転手君。可愛いだろう、俺の小夜子は」と、大はしゃぎだ。
「はあ、まったくです。お姫さまですか、確かにです。
東映の時代劇映画のお姫さまですよ、本当に。
いやあ、ありがたいです。わたしも今日一日楽しい日になりそうです」と、運転手も話を合わせた。

 楽しい一日になる筈だった。
列をなして押し寄せる男たちがいて、口々に小夜子を褒めそやす。
そしてひざまづいて、手の甲に軽くキスをしていく。
映画[ローマの休日]の女王との謁見シーンを思い浮かべていた。
しかしこのパーティは、とうてい許せるものではなかった。
「おじさん! なによ、あれは。
パーティだっていうから、どこかのホテルでって思っていたのに。
お庭での、バーベーキューだったじゃない! 
着物を着てるからあまり食べられないし、武蔵はひとりであちこち回っちゃうし」
不機嫌な折には、武蔵をおじさんと呼ぶ。
家に戻ったとたんに、武蔵にかみついた。
車中では無言をとおした小夜子を、疲れからのことだろうと考えていた。自身は、上機嫌だった。

“大成功だ。小夜子の着物姿に、みんな口あんぐりだ。
芸者たちで着物姿を見慣れたとはいえ、振袖姿ははじめてのはずだからな。
写真で見たらしい舞妓に会いたいとせがまれていたからな。
しかも、男ずれしていない、まったくの素人娘だ。
東洋の神秘だなんて声があったが、冗談じゃない。妖艶さはこれから俺が引き出すんだよ。
今の小夜子を評すれば…。そうだな、東洋のヴィーナスだ。惚れ直したぞ、小夜子”
 そんな武蔵に、思いもかけぬ小夜子の言葉が飛んだ。
不意を突かれた思いの武蔵に、容赦ない小夜子の一撃が飛んだ。
「もういい! あたし、英会話やめる。どうせあたしの英語なんて、だれも聞いてくれないんだから。
なにを言ってるのか、さっぱり分からないもん。
おじさんの方が、よっぽど上手じゃない。あたしなんか、要らないわよ!」

「小夜子、小夜子。きげん直せ、直してくれ。
あいつらはな、みんな南部出身なんだよ。
アメリカって国は広いんだ。東と西では、何百キロもいや何千キロと離れてる。
それに北部と南部はな、むかし戦争をしてるんだ。
仲が悪いんだ。徳川幕府と薩長みたいなもんだ。
だから、あいつら南部人は、えっと、そう! 方言だ。方言なんだよ。
あいつらの英語は、世界では通用しない。
そこにいくと、小夜子の英語は正統派だ。グレートブリテンイングリッシュなんだ。
以前に言ったろうが。小夜子の英語でなければ、貿易がうまくいかないって。
だからしっかりと、勉強してくれ」

 小夜子の肩を抱きながら、必死になだめた。
実のところは、小夜子を英会話学校にかよわせる理由はほかのところにあった。
“止めさせるわけにはいかん。正三とかいう坊ちゃんとの逢瀬の時間なんぞ、金輪際つくらせるものか”
これが本音だった、偽らざる武蔵の思いだった。



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