小夜子の不安は、杞憂に終わった。
乗り込んだハイヤーは、縦横に等間隔に整備された銀座の街並みに沿って走った。
礼儀正しい運転手で、田舎娘に過ぎない小夜子にさえ、丁寧な言葉遣いと仕種で以て接した。
小夜子の知る東京人は、何かと言えば「田舎娘が」「小娘の分際で」等々、ぞんざいな口のききようで小馬鹿にした言葉を投げつけてくる。
当初こそ言い返すこともあった小夜子だが、なんの後ろ盾もない状態では己の分を思い知らされるだけだった。
あれ以来アナスターシアからの連絡はなく、いや連絡の術を互いに知らないのだと知るに至っては、あの夜のことは夢だったのではなかったのかと思えてしまう。
確かにホテルに宿泊したという事実だけが、かろうじて小夜子に現実感を与えた。
築地場外市場近くにある鮨店の暖簾をくぐると、奥からダミ声が聞こえてきた。
「なんでい、なんでい。いやに早い出勤じゃねえかい」
「おや、初めて見る娘っ子だね。まだねんねじゃないのさ。宗旨替えでもしたのかい」
夫婦二人だけの店で、お客が六、七人も入れば一杯になってしまう。一見の客は断るという、京都のお茶屋風の店だ。
「女将にふられた腹いせに連れてきたよ。とびっきりを食べさせてやってくれ」と応じながら、先客にかるく会釈をした。
カウンターに陣取った小夜子の前に、初めて見るネタの鮨が並べられた。
鮨と言えば、巻き寿司や散らし寿司を思い浮かべる小夜子だった。
白身魚やらひかり物、そして貝類に海老と、食べ終わらぬ内に次々と並べられる。
驚いたのは、数の子が出てきたことだ。
お正月に食べた記憶はあるが、ここ数年はお目にかかっていない。
更には、うに・いくら、そして白子と、続いた。
見たこともない鮨ネタに驚嘆の声を挙げ続ける小夜子に、“なんでこんな小娘に……”。
初めは憮然とした表情を見せる店主だったが、「なんと言う魚ですか?」と、一貫さらに一貫と並べられる度に問いかけながら目を輝かせて頬張る小夜子に、相好を崩して一つ々々丁寧に答えた。
「親爺さん、今夜は機嫌がいいねえ」。
「若い娘さん相手だと、そんな顔をするんだねえ」。
そこかしこから、冷やかしの声がかかった。
「当ったり前だ! むさ苦しい野郎に、とっておきの顔は、見せられるかっ、てんだよ!」
店主と客たちとのやり取りで、一気に店内が盛り上がった。
武蔵は、にこやかな表情を見せながら、盃を重ねた。
“なるほど。五平の目も、今回ばかりは確かだった。まだ、純な娘じゃないか。
俺好みの女に仕上げる楽しみがあるぞ、これは。
そろそろ、俺も身を固めてもいい頃だろう”。
満足げな表情を見せる小夜子に、武蔵は「どうだい、満足したかな? それじゃ、送っていこうか」と、腰を上げた。
「梅子さん、待ってなくて良いんでしょうか?」
怪訝そうに問い掛ける小夜子に対し、武蔵は笑って答えなかった。
「親爺、いつものようにな。それじゃ、ご馳走さん」。
待たせていたハイヤーで小夜子を送り届けた武蔵は、“俺としたことが、何もせずに送り届けるとはな”と、自嘲気味に呟いた。
乗り込んだハイヤーは、縦横に等間隔に整備された銀座の街並みに沿って走った。
礼儀正しい運転手で、田舎娘に過ぎない小夜子にさえ、丁寧な言葉遣いと仕種で以て接した。
小夜子の知る東京人は、何かと言えば「田舎娘が」「小娘の分際で」等々、ぞんざいな口のききようで小馬鹿にした言葉を投げつけてくる。
当初こそ言い返すこともあった小夜子だが、なんの後ろ盾もない状態では己の分を思い知らされるだけだった。
あれ以来アナスターシアからの連絡はなく、いや連絡の術を互いに知らないのだと知るに至っては、あの夜のことは夢だったのではなかったのかと思えてしまう。
確かにホテルに宿泊したという事実だけが、かろうじて小夜子に現実感を与えた。
築地場外市場近くにある鮨店の暖簾をくぐると、奥からダミ声が聞こえてきた。
「なんでい、なんでい。いやに早い出勤じゃねえかい」
「おや、初めて見る娘っ子だね。まだねんねじゃないのさ。宗旨替えでもしたのかい」
夫婦二人だけの店で、お客が六、七人も入れば一杯になってしまう。一見の客は断るという、京都のお茶屋風の店だ。
「女将にふられた腹いせに連れてきたよ。とびっきりを食べさせてやってくれ」と応じながら、先客にかるく会釈をした。
カウンターに陣取った小夜子の前に、初めて見るネタの鮨が並べられた。
鮨と言えば、巻き寿司や散らし寿司を思い浮かべる小夜子だった。
白身魚やらひかり物、そして貝類に海老と、食べ終わらぬ内に次々と並べられる。
驚いたのは、数の子が出てきたことだ。
お正月に食べた記憶はあるが、ここ数年はお目にかかっていない。
更には、うに・いくら、そして白子と、続いた。
見たこともない鮨ネタに驚嘆の声を挙げ続ける小夜子に、“なんでこんな小娘に……”。
初めは憮然とした表情を見せる店主だったが、「なんと言う魚ですか?」と、一貫さらに一貫と並べられる度に問いかけながら目を輝かせて頬張る小夜子に、相好を崩して一つ々々丁寧に答えた。
「親爺さん、今夜は機嫌がいいねえ」。
「若い娘さん相手だと、そんな顔をするんだねえ」。
そこかしこから、冷やかしの声がかかった。
「当ったり前だ! むさ苦しい野郎に、とっておきの顔は、見せられるかっ、てんだよ!」
店主と客たちとのやり取りで、一気に店内が盛り上がった。
武蔵は、にこやかな表情を見せながら、盃を重ねた。
“なるほど。五平の目も、今回ばかりは確かだった。まだ、純な娘じゃないか。
俺好みの女に仕上げる楽しみがあるぞ、これは。
そろそろ、俺も身を固めてもいい頃だろう”。
満足げな表情を見せる小夜子に、武蔵は「どうだい、満足したかな? それじゃ、送っていこうか」と、腰を上げた。
「梅子さん、待ってなくて良いんでしょうか?」
怪訝そうに問い掛ける小夜子に対し、武蔵は笑って答えなかった。
「親爺、いつものようにな。それじゃ、ご馳走さん」。
待たせていたハイヤーで小夜子を送り届けた武蔵は、“俺としたことが、何もせずに送り届けるとはな”と、自嘲気味に呟いた。
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