昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第二部~(二百八十)

2022-11-03 08:00:13 | 物語り

「あたしは、だめなんです。うまく吸い込むことができないんです。
以前、旦那さまにしかられました。『そんなちびちび食べたら、ちっとも美味しくないだろうが。
どうにも辛気臭くていかん、少し練習しろ!』って。
それからは、ご一緒させていただけません」
「そうなの、武蔵らしいわね。他人の食べ方まで気にするなんて。放っといて欲しいわよね」
 哀しそうな顔を見せる千勢に、小夜子の優しいことばがとどいた。
突然千勢の目に、大粒の涙があふれ出した。
小さな嗚咽が、あふれ出す涙に押されるように、はっくきりとした声となって小夜子に届いた。
「どうしたの? 千勢。悲しくなることがあったの? それともあたしが悲しませたの?」

「とんでもございません、小夜子さま。うれしいんです、千勢は。
こんなお優やさいことばなんて、千勢、いままで……」
 畳に突っ伏して、わあわあと泣き叫びはじめた。
物心ついてからの己の道を思い出して、抑えに抑えてきた感情が勢いづいた。
“お前なんか産むつもりはなかったんだよ。小さなお前だったから、産み月近くになるまでとんと気付かなくて”
“産婆のお常さんが、お前を助けてくれたんだからね。足向けて寝るんじゃないよ”

“姉は器量良しだから、玉の輿に乗れたけれども。おか目顔のお前では、お手伝いさんとしてご奉公するのが関の山だ”
“今までただ飯を喰わせてきたんだ。これからはその分を返してもらわなくちゃな”
“見なさい、となりのお園ちゃん。しっかりと稼いでさ、親孝行な娘だよ、ほんとに”
 毎夜の如くに、両親に小言を言われつづけた千勢。
七歳のころから、焚き木ひろいやかまどの灰集めにかりだされた。
十歳を数えたときには、家族の炊事すべてをこなし始めた。
そしてそのことが、現在の千勢を創り上げた。



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