昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

春先の、あちこち美術館巡り ~ポーラ・岡田美術館巡り~(六)

2019-12-01 08:00:08 | 美術展・博物館



中々のダンディでしょう、今で言うイケメンですよね。
「性格は外柔内剛、温厚篤実な紳士であり、頑固なところもあるが温和で友人や門弟から慕われた。
美男であり、荒っぽい風体の洋画家が多かった当時において、袴と白足袋に和服を端麗に着こなし生徒を驚かせた」
ということですわ。

岡田 三郎助(おかだ さぶろうすけ、1869年1月22日(明治2年1月12日) - 1939年(昭和14年)9月23日[1])は、佐賀県に生まれ、明治~昭和にかけて活躍した洋画家である。
女性像を得意とし、日本的な感覚の洋画に秀作を残している。
東京美術学校(現・東京藝術大学)教授。第1回文化勲章を受章。
妻・岡田八千代は小説家・劇作家で、小山内薫の妹である。-----Wikipediaより



佐賀県の出身だということで、わたしと同県人なんですって。
素直に嬉しいですよ。

先日NHKで、岡田三郎助について放送していましたが、興味深いことを知りました。
作品を観るだけで、本人についてまるで知らない私でしたので、面白かったです。
岡田が主宰した画塾「女子洋画研究所」があり、そこから、多くの女性画家たちが巣立ったとのことです。
あの絵本作家である、いわさきちひろさんもこの画塾生だったということです。

更には宣伝ポスターにも携わっていたということです。
わたしの好きな、あのMushasと同じだったとは、驚きでした。
そのポスターというのは、三越呉服店の着物宣伝用でした。


「むらさきしらべ」
このポスターが画期的だと評されたのですが、それまでは浮世絵風に女性を描いたポスターばかりだったとのこと。
そこでこの写実的描写が評判を呼んで、絶大な宣伝効果を上げたらしいです。
自分と置き換えてみられる、ということからイメージしやすいということらしかったです。

そしてもう一つ。
新聞社主催の「日本一美人を写真で決める」というタイトルのコンテストがあり、そのメインビジュアルの製作依頼が飛び込んできました。
美人画で定評を得ていた岡田三郎助に白羽の矢が立ったということです。


「ダイヤモンドの女」

岡田三郎助の理想の美女をイメージしたもの、と言われているらしいです。
ぷっくりとした唇なんか、今までの美人画にはなかつた気がしますがね。
現代に通じる美女じゃないですか?


この女性が、第一回美女コンテストの優勝者です。=Wikipediaより







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