ですが、ことはそこで終わりはしませんでした。
これからが本番ですよ、とばかりに
「申しわけありませんでした。初恋でございました、はじめてで最後の恋でした」
と、ひときわ通る声でおっしゃいます。
忘れもしません。
昭和二十年一月二十二日の、火曜日でした。
そのころには学徒勤労動員によって、わたくしたち女学生も軍需工場などに派遣されておりましたことは、みなさまもご記憶のことと思います。
でその日は、早朝に時雨れていた空もおちつき、お昼すぎから小春日和となりました。
その日も軍需工場での奉公でしたが、女の特性を生かして早退を申し出ました。
ひごろの優等生としての行いにより、なんの疑いも受けることなく許可をいただけました。
両親には内緒のことですよ。
陽の高いときの空襲はございませんので、安心して出かけられます。
土曜日でもない日に、とつぜんの文が届きました。
「神社裏の小屋に、午後に来て欲しい。 三郎」との文面。
下宿先ではないことに奇異観を感じつつも、なにかのサプライズかしらと。
いえ、本音を申し上げましょう。
そろそろ男女間の、本当の間柄になりたいと、そう思いはじめていた、のでございます。
ひと気のない場所に行きましても、手ひとつにぎってはいただけません。
往来を歩くときも、決して並んで歩いてはくださらないのです。
三歩下がってついてきなさい、そういった風なのでございます。ですので……。
きょうはどんなお話かと、神社裏の小屋の前でガラス戸越しに声をかけますが、すぐにはお返事をいただけません。
二度三度と声かけをしまして、やっと「おはいりなさい」と言っていただけました。
「きょうもよろしくおねが」。
挨拶をする間もなく、小屋の中に引きずり込まれました。
そしてとつぜんに口をふさがれ、畳のうえに押し倒されました。
なに、なに? と、まるで状況がわかりません。
いつもは開け放たれている窓は閉じられて、カーテンまでも閉じられています。
電灯が点いていない部屋はうす暗く、ふたりの他にもまだ人がいるようにも感じられます。
押さえつけられた手の下で、「さぶろうさん、さぶろうさん」と叫んでみますが、むろん声になどはなりません。
ただ、「すまない、すまない」といった声が、三郎さんの声が聞こえるだけです。
幾人がかかわったのか、わたくしにはわかりませんでした。
はじめは抵抗する力も残っていましたが、途中からのことは記憶がございません。
なにやら体の上でブンブンと蠅がうごめいているように感じていたような気がするだけです。
やがて静寂がおとずれて、三郎さんとわたくしだけになりました。
なにやら三郎さんが呟いておられました。
耳に入ることばは聞こえていたのですが、おかしなもので、その意味が理解できませんでした。
「幹部には逆らえない。彼らはあすにもここを離れる。
祖国を見捨てるのではない。再起を図るため、いったん撤退するだけだ。
地下に潜るということは、それはつらいことなんだ。
いっさいの人間関係を絶って……。やむを得なかったんだ。
約束する、キチンと責任はとるよ。
ぼくが大学を出たら、かならずきみを迎える。
生涯の伴侶として、きみを……」
三郎さんの胸に抱かれながら、そんなことばがむなしく流れていったのでございます。
身動きのできぬほどに疲れ切ったわたくしを、深いふかい湖の底に沈んでいったわたくしのこころを、なんとかすくい上げようと手を伸ばしてくださる三郎さんでした。
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