昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

愛の横顔 ~100万本のバラ~ (十四)

2023-10-25 08:00:07 | 物語り

「もういい、やめろ! 今夜はここまでた。
これ以上ムリして、もっとひどくなったらどうするつもりだ。
からだを休ませることも大事だぞ」。 
ギターをケースにしまい込みながら「ひさしぶりに一杯飲むか?」と、栄子にやさしく声をかけた。
立ちすくんでいる栄子、返事をかえさない。
じっと床を見つめている。
ボタボタと落ちる汗を拭こうともせずに、なにやらぶつぶつと呟いている。

健二を見ることなく、床を見つめたまま呟きつづけている。
「勝手にしろ!」。捨てゼリフをのこして健二が去った。
それでも栄子は微動だにしない。小さく床をふみ鳴らしている。
先ほどの激痛ははしらないが、まだすこしの痛みが感じる。
「どうしたの、どうしてなの。あたし、悪いことをしたかしら?」

 だれに言うでもなく、はっきり声を出した。
トップダンサーを夢みて踊りつづ続けてきたこの二十年の余。
中学一年のときにフラメンコの世界に飛びこんだ。
「やるっきゃないのよ!」。
おのれを叱咤するように、大声でさけんだ。

その声に呼応するように急停車のブレーキ音が聞こえた。
思わず窓をあけて、外を見た。
運転手が怒鳴り、車から男がおりてきた。
 窓から下を見やる栄子、なにげなく見あげた正男、ふたりの視線が偶然にかさなった。
思わず正男が叫んだ。
「あのダンサーだ!」。

窓に描かれているフラメンコ教室という文字に、あのフラメンコショーでのあで姿が正男の脳裏にが浮かんできた。
蛇ににらまれたかえるのごとくに、金縛りになってしまった。
グルグルと回される手首と、クネクネと正男の首にまとわりつく指先。
そして正男を栄子がグルグル巻きにしていく。
窓から顔を出した女性が栄子だと、確信があったわけではない。
しかしフラメンコのダンサーだということは間違いがない。
そしてそれは、栄子なのだ。否、栄子でなければならない。
正男は、そう思った。



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