昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

愛の横顔 ~地獄変~ (六)梅村正夫と申します

2024-03-27 08:00:03 | 物語り

わたくしは、名前を梅村正夫ともうしまして、生まれは石川県のいなかでございます。
明治の終わりに、この世に生を受けました。
十歳を少し過ぎたときに上京しまして、和菓子店でお世話になりました。
とうじは住み込みの関係で、朝は午前四時から夜は午後九時ごろまで働いておりました。
二十年間しんぼうしたら「のれん分けをしてやる」と言う、ご主人さまのありがたいお言葉を信じて一生懸命働きました。

わたくしが申しますのもおこごましいのでございますが、こまねずみのように働きましてございます。
ですので、当初は“チューちゃん”と呼ばれておりました。
わたくしとしてはありがたくない呼称でございますが、ご主人さまのわたくしに対する愛情だと受け止めております。
が、その呼称もわずか一年のことでございました。
お目出度いことに、ご主人さまにお子さまがお生まれになったのでございます。
ご夫婦になられましてから十有余年が過ぎておられます、もうお諦めになられていたとか。

ですのでご誕生のおり三日の間、和菓子の大廉売をはかられました。
ご近所は言うに及ばず、他県からもお客さまがお見えになりまして、大騒ぎでございました。
ハハ、失礼いたしました。
他県からと言うのは、ちと大袈裟でございますな。
でも、お一人さまでございましたが、お見えになられたのは確かなのでございます。
おとなりの大木さまが、ご縁者にお声をお掛けになられたからでございましたが。

「お前は、コウノトリじゃ。いや、ありがたいありかだい。」と、過分なおほめをいただきました。
そして特別に一日のお休みをいただけました、さらにはおこづかいまでも。
とは申しましても、右も左も分からぬ土地でございます。
どうしたものかと思案のあげく、まだお嬢さまにお目にかかっていないわたくしでしたので、奥さまのご実家に行かせていただきました。

奥さまに抱かれた赤子、それはそれはお美しいお嬢さまでございます。
名を、小夜子とお付けになられました。
そよ風の気持ち良い夜にお生まれになられたからとのございます。
心地よい響きのお名前でございます。

ひと月ほどをご実家で過ごされましてから、お戻りになられました。
御主人さまのお喜びようは、それはもう、ひとしおでございます。
夜の明ける前からお起きになられて、わたくしの仕事であるお掃除をはじめられました。
寝坊をしてしまったのかとあわてましたですが、
「わたしが勝手にしたことだから。」と、言ってくださいました。
で、手分けして家中の大掃除でございます。
年の終わりの大掃除以上に、あちこちを雑巾がけ致しましたです、はい。

 



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