昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

氷見温泉旅行記 ~男三人の回春の旅~ 一日目:午後 4:30~

2014-11-15 12:05:52 | お出かけ
「少し時間があるし、どこか見て回るか?」
「それだったら、お城なんかは?」
待ってましたとばかりに、城見物を提案です。
というのも、覚えておいでの方もあるでしようが、わたしの my 看護師さんがお城好きでしてね。
写真でも残してやろうかと考えた次第で。

先に言いましょうか。
後悔しました、本音では。
二人にはこぼせませんでしたが、
“あんなにきついとは…はあ…”

まあ、写真を見て下さい。

阿尾城跡案内図 
「分からん。さっぱり分からん」
ですって?
そうか、これじゃ分からないか。


阿尾城跡への坂

だらだらとした坂が、続くんですよ。
上がりきると、今度は左に急カーブしてまたまた…
ちょっと息切れがしてきました。

登ってみると、案外に…
なんてことは、言いません。きつかったです、やっぱり。

途中途中でひと休みしながら、登りましたよ。
他の二人は、スイスイ(だと思うのですが)登っていきました。

地を這う枝

何かこう、高い山を登り切った感覚に襲われました。
中腹に生えた木の枝を、眼下に見ているような、そんな錯覚に囚われます。



意味ですか? 聞くんですか、わたしに。
残念ながら、分かりません。
というより、それどころではないのです、ぜーぜーハーハーで。

中腹ですね、ここは。
手洗い場があります。

手洗い場
少し見えにくいいかもしれませんが、蛇口が龍の姿をしていました。
なにか由来でもあるのでしょうかねえ。
それに、「漱」と言う文字が彫刻してあります。
調べましたら、
[人名用漢字][音]ソウ(漢)[訓]すすぐ・くちすすぐ・うがいをする
とありました。

白峰社
崇徳天皇 と彫られています。
調べましたよ、いつものように。
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白峰社(阿尾城跡)概要: 
白峰社の創建は文政年間(1818~29)、佐之助なる人物が讃岐の金刀比羅宮の分霊(崇徳天皇)を勧請したのが始まりと伝えられています。
当初、社殿は海側を向いて建立されていたそうですが、ある時子どもの夢枕に金毘羅大権現が立ち山側に社殿を向けるようにと御告げを与えたそうです。
早速社殿の向きを変えると豊漁が続き海難事故も減ったと伝えられています。
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この上に、白峰社という神社があるようです。
何段くらいあるでしょう? 三十? 五十?
Nが「登るぞ」と言います。
Hが「冗談!」と言います。
わたしは…「よし!」です。

Hが「膝がガクガクだ。行かない」と宣言します。
Nが「情けない」と言い残して、スタコラです。
慌ててわたしも「一、二」とかけ声を挙げて登りました。


白峰社 狛犬
別の登り口があるようです。


P白峰社 鳥居
やっとの思いで登り切ると、Nはすでに次へ。


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