「ありがとう、徳子さん。でもね、あたし、もうすこし頑張ってみようとおもうの。
せっかく武蔵が起ち上げた会社でしょ? 武蔵の思いがいっぱいつまってる会社よ。
あたしももっとお勉強をして、みんなのお話にはいっていけるようにしたいの。
待って、さいごまで聞いてちょうだい」
思わぬことばを発しはじめた。
「やめたいの」。そう告げるつもりだったはずが、なぜか
〝ここで踏みとどまらなきゃだめ〟という思いがわいてきた。
〝それでこそ小夜子だ〟。武蔵がそう言ってくれた気がした。
立ち入ってはならぬゾーンへ小夜子が一歩を踏みだそうとしているのではないかと、危惧するおもいにとらわれた徳子だった。
現在の社員たちの思いを勘違いしていると感じた徳子が、小夜子に一線を越えることばを発せないためにいまここで止めないと、と口をはさもうとした。
「最近ね、なんだかギスギスしてる気がしてるの。
以前はね、もっと笑い声がたえない職場だったじゃない?
いまみたいな口論なんて聞かなかったわ。
昔のような家族経営にもどしたいのよ。わかってくださる、徳子さん」
このことで社内がいっきに騒がしくなった。
数字にこだわりつつも、個々それぞれの事情を勘案してくれた武蔵だった。
しかしいまは、個々の事情、その背景は無視される。
純然たる数字だけが求められる。
上長からの指示はうけずに、おのれの采配で判断することは許されている。
しかし裁量範囲が大きくなる反面、責任も負わなければならない。
良しとする者もいれば、まずいと感じる者もいる。
配置転換を希望できることとなった。
しかし花形の営業から裏方の配達員への異動を希望すれば、周囲の目はつめたい。
できない男、と烙印を押されてしまう。
人治ではえこひいきがはびこりやすく、法治では数字だけが優先される。
たしかに武蔵の掌握術はたけていた。
それは万人がみとめるところであり、賞賛もされた。
しかし武蔵亡きいま、小夜子には不安がまといつく。
感情の起伏が激しいことは、周知の事実だ。
といってそれは、武蔵相手であり竹田にたいしてだけのことでもあった。
他の社員が叱責をうけたことは、いちどたりともない。
小夜子の自制なのか、それとも相対することがなかったことからなのか。
「すこし考えさせてもらえるかしら。楽になりたいという気持ちはあるのよ。
でも、それでは武蔵に申しわけがない、そんな気持ちにもなるの」
本音ではない、建前だと、小夜子にもわかっている。
会社の内外からチヤホヤされている現状を、いまの立場を捨てきれない、その感情が自分のなかにあるとわかっている。
しかし一方で富士商会の現状が、武蔵が創りあげてきた富士商会とは異質なものに変貌しようとしている現状が許せないでいた。
〝いまの富士商会は、武蔵のつくった富士商会なんかじゃない!〟
そんな気持ちが小夜子のこころを覆いつくしている。
〝武士が継ぐべき会社なの。でもそれは、こんな富士商会じゃない!〟
どうしてもそんな気持ちがぬぐえなかった。
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