ビビったと言えば、わたしの息子もそうでした。3歳か4歳だったと思います。
名古屋の東山動物園に出かけたおりのことなんですがね。
虎舎でのことなんです。
小動物ばかりを観てきた息子に、猛獣をみせたくなったんです。
男は強くなくちゃ、と教えるつもりでした。
それがですね、入り口で立ちすくんだまま動こうとしないんです。
薄暗いなかをのぞき込んで「なにがいるの?」と、後ずさりをしていく始末でした。
そういえば、自宅でのことなんですが。
夜のこと、灯りの点いていない2階からなにかを取ってこなくちゃいけないらしく、階段下に立っているんですわ。
どうしたのかと思って見ていましたら、みっつ年下の娘にたいして「おまえ、先に行け」と言うんです。
このときは小学校にはいっていたと思うのですがね。
まだ幼稚園児だった妹に先陣をきらせたというわけです。
とにかく怖がりなんです。
「おいで、ベンガルトラだよ」。
「檻のなかだから大丈夫さ。寝ているよ」。
なんど声をかけても入ろうとはしないんです。
「抱っこしてあげるから」。そう言ってもだめでした。
みるみる涙を浮かべて、いまにもこぼれそうになっていました。
ならばと、人だかりのしているライオンの檻のまえに行きました。
けれど、雌ライオンが寝転がっているだけなんですよね。
抱えあげて見せたものの「ねてるねえ」です。猛々しさにはほど遠くて。
裏手にまわってみると、驚いたことに雄ライオンが立っていたんです。
頑丈な檻とガラスに遮られているとはいえ、間近でみるそれは、さすがに百獣の王たる威圧感がありましたよ。
「おまえはなにものだ」。そう問われたような気がしました。
じっとわたしを見つめているんです。
威嚇の表情をするでもなく、さりとて媚びるような風でもなく、「われになにようだ」とばかりに、わたしを凝視しているんです。
しばしの間、その目に釘付けになってしまいました。
わたしの後ろでしがみついている息子のことも忘れ、まさしく王からの風圧にさらされてたんです。
――・――・――
(十六)の2
「パパ。おしっこ」。息子の声で我にかえったわたしは、王にいちれいをしてからその場を去りました。
その時です、「パパは、ボクちゃんのことすき?」と言うんです。
「どうしてそんなことを聞くの」とききかえすと「ママがね。パパは、ボクのこと、かわいくないのかもって」と、悲しげな目をして言うんです。
「かわいいさ。ボクも妹のとも姫も大好きだよ」
喉のおくから絞りだすように口にし、必死の思いで
「きょうは、パパとお出かけしてるだろ。
とも姫は、お眠(ねむ)だからさ。
それにママのおっぱいをすぐに欲しがるだろ」と、弁解しました。
情けないです、ほんとに。
「よかった。ボクちゃんもヒメもかわいいんだね!」
目を輝かせて、わたしをじっと見てきました。
そのキラキラ星のような瞳は、いまでも忘れられません。
「よし、肩車をしてやろう」。息子を肩にのせました。
うっすらと滲んでくる涙を、息子に見られたくなかったんです。
なぜ涙が出てきたのか、純真な子どもを悲しませたことに罪悪感を抱いたのか。
いやそうではない。愛おしさが涙となったのだ、そう思っています。
しかしなぜ妻がそんなことを息子に言ったのか、まるで見当のつかないわたしでした。
息子が生まれたころは仕事が忙しく、育児はまかせきりにしました。
自営業だったこともあり、妻にも手伝わせていました。
孫下請けといった業態ですので、正直のところ家庭に目をむけることができませんでした。
せめて休日ぐらいはと言う妻にたいし、仕事だと強弁するわたしでした。
けれど案外のところは、髪をふり乱しての子育てをしている妻から、逃げ出したのかもしれませんね。
猛省しています、いまは。
そのしっぺ返しでしょうか、その後、息子から「パパ」という声かけが消え、「父ちゃん、父さん」の声かけもありません。
娘は、たまのホントにたまにの外食時には、わたしの膝にのるかとなりの席を陣取りました。
ですが、とうとう「パパ、とうちゃん、父さん」のことばは出ませんでした。
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