昭和の恋物語り

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[宮本武蔵異聞] 我が名は、ムサシなり! (二十)

2023-08-25 08:00:42 | 物語り

(誕生 三)

 しかしムサシはまるで動じない。
不気味なほどに落ち着きはらっている。
梅軒には初めての経験だ。梅軒の手には鎌がある。
ムサシに近付いたところで、いつものように鎌を払えば良い。
ムサシの腕なり体なりに傷を付ければ、それで勝負は決するのだ。

―― なぜこの男は動じないのだ。
いや、内心は恐れおののいているはずだ。
気取られぬように平静さを見せているだけだ。
いつものように、このまま追い込めばいいのだ。

 気を取り直してじりじりと近付いていく。
しかしそれでもムサシの表情は変わらない。
いや、薄ら笑いさえ浮かべている。
と、思いもかけずに、刀にからめた鎖をムサシにグイと引っ張られた。
たまらず梅軒が大きくよろめいた。
梅軒には、これ程に力の強い者との闘いの経験がない。

 ザワザワとすすきが揺らぎ一陣の風が二人を包んだ。
ほんの一瞬のことではあったが、思わず目を閉じてしまった梅軒は背筋に悪寒を感じた。
負けた、と観念した梅軒だった。
が、ムサシもまた目を閉じていた。
二人の間合いが二間となった時、突然にムサシが梅軒に刀を投げつけた。

「武士の魂である刀を投げ捨てるとは‥‥」
 梅軒の呻き声が言い終わらぬ内に、ムサシの素手が梅軒の喉に食い込んだ。
ムサシの動きに、何の対処もできぬ梅軒だった。
鎌を奪い取ったムサシは、一気に喉を掻き切った。
ドクドクと溢れ出る鮮血が乾いた大地に吸い込まれていく。
一瞬のためらいもなかった。

 横たわる梅軒から懐中物を取り出したムサシは、梅軒の往生を願うように片手でもって
「死にゆく者に不要な銭、生きる者が頂こう。
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経…」
と骸に念じた。



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