昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第一部~ (七十四)

2021-02-18 08:00:57 | 物語り

 年が開け、春の訪れが聞こえ始めた頃、さすがの武蔵も“これまでか!”と、観念した。
社員への給料も遅配に始まり、とうとうこの月には欠配となる。
既に、武蔵は勿論のこと五平の自宅も、銀行への担保に取られている。
倉庫に眠る機械類も、担保に入れた。
「社長! 街金に駆け込みましょう。もう少しです、もう少しの辛抱ですよ」
 五平が、武蔵に迫った。しかし武蔵は、首を縦に振らない。
「いや、ダメだ! 一度でも街金を利用すると、銀行が逃げる。
これからは、銀行との付き合いが第一となる」
「しかし……」

「まあ、待て。最後の手段だ、銀行を脅してくる。この手だけは、使いたくなかったんだが」
「そ、そんな。銀行を脅すなんて。気は確かですか、社長」
「支店長だよ、支店長。使い込みをやってる奴が、いるんだ。
梅子からの情報だから、間違いはない筈だ。
なあに、失敗したところで、お前がいる。
俺が警察の世話になったら、後はお前が取り仕切れ。
物を、叩き売ってもいい。何としても、持ち応えろ」
 悲壮な覚悟を告げる武蔵に、五平は思い留まるよう懇願したが、無駄だった。

 雨の降る中、武蔵は車へと向かった。
確証があるわけではない、キャバレーの女給から聞いただけの話である。
知らぬ存ぜぬで、押し切られる可能性もある。
恐喝罪に問われる危険性が高い。
それでも武蔵は、何としても銀行から引き出すつもりだった。

「車まで、送ります」と言う五平を制して、少し離れた駐車場に向かった。
と、その時、ビルの陰に潜んでいた男が、武蔵に向かって突進してきた。
手にキラリと光る刃物があった。
体をかわす間もなく、武蔵のわき腹に突き刺さった。
見も知らぬ男だった。「天誅!」と叫ぶや否や、男はそのまま雨の中を走り去った。
崩れ落ちる武蔵だったが、雨が幸いした。
手の握りが弱かったらしく、深手にはなからなかった。
それでも過労のせいもあり、一ヶ月ほどの入院となってしまった。

その日、五平の決断で、社員全員に給料の欠配を告げた。
「三ヶ月間、辛抱してくれ。必ず、神風が吹く」。
結局のところ、47人の社員が残った。
二桁の退職数を考えていた五平には嬉しい誤算ではあった。
しかし予想もしない男が、土下座をしてわびながら会社を去った。
皆口々に慰留の言葉をかけたが、その理由を知るに至って、涙の別れを納得した。

「すまん。親父が倒れて、田舎に帰らざるを得ない。
もし許されるなら、戻れることがあったら戻ってきたい」
絞り出すような悲痛な声に、
「いいとも、服部。戻って来いよ、いつでも。ねえ専務、それでいいですよね」。
竹田がしっかりと服部の肩を抱いて、五平を見上げた。

「すまん。親父が倒れて、田舎に帰らざるをえない。
もし許されるなら、戻れることがあったら戻ってきたい」。
しぼり出すような悲痛な声に、
「いいとも、幸田。戻って来いよ、いつでも。ねえ専務、それでいいですよね」。
竹田がしっかりと幸田の肩を抱いて、五平を見上げた。

「ああ、いいとも。かならず戻ってこいよ。
お前の営業としての力量は、社長も一目置くほどだ。待ってるぞ」。
ぽんぽんぽんと五平もまた幸田の肩をたたいて、 別れをおしんだ。
〝まるで、忠臣蔵だな。
さしずめ幸田部は、年老いた母親を思って脱盟した中村清右衛門か。
こうなると、社長の入院が良かったのかもしれんな〟。
ひとり五平は、心内でつぶやいた。





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