目を伏せて、テーブルの一点をみつめてはなす正三に、小夜子から三の矢が射られた。
「男らしくありませんことよ!」
「違います、違います。ほんとうに正気ではなかったのです。
ですから、ですから……、けっして小夜子さんを裏ぎってはいません」
正三の必死のさけび、それは小夜子の許しを請うというよりは、己に対する言いわけだ。
“ぼくは悪くない、酩酊状態のぼくになにができるというのか。
芸者と情交をかわしたかどうかすら、怪しいものだ。
いや仮にだ、仮にそうだとしても。かたわらにあった物体を抱いてねたというにすぎない”
執拗に否定する正三だが、しづのところ、少しずつ記憶が蘇ってきている。
あれこれと世話をする芸者に対して、不遜な態度をとりつづけたことを思いだしている。
連れの二人を残して、芸者にうながされるままに席をたった。
「さーさ、行きましょうね。ご不浄ですよ、がまんしてくださいよ。漏らしちゃ、だめですよ」
「がんばれ、佐伯くん。未来の次官さま。撃沈されぬよう、しっかりとがんばれよ!」
「なにごとも、為せば成る! だ。佐伯正三くん、突撃だ!」
二人からの檄が聞こえぬふうに、芸者に寄りかかって部屋をでた。
トイレに行く気などまるでなかったが、芸者がくりかえすご不浄ということばに、身体が反応しはじめた。
千鳥足であるく正三と肩に手をかけさせて支える芸者。襟元からただようほのかな香に、気持ちがゆったりとしてくる。
毎日を緊張のなかに過ごした。激論が闘わされるなか、ひたすらその内容を書きとどめつづけた。
その激論のなかに入れぬおのれが情けなかった。
正三に対して未来の次官さまと口々に言う者たちが、己の論を東陶とまくしたてるというのに、正三ただ一人が蚊帳のそとに置かれいる。
じくじたる思いが正三を責めたてる。
「仕方がないさ。佐伯くんは途中入省なんだから」
「次官さまというのは、大所高所から物ごとを判断するものさ」
「方向性を指しすめすものだ、次官さまは」
「こんな議論は、われわれに任せてくれ」
「佐伯くんは、最後の最後に、どん! と行くんだよ」
結局のところ、最後まで議論の輪のなかに入ることのなかった正三だ。
入るではなく、入れなかった。哀しいかな、彼らがなにを論じ合っているのかすら理解できない。
理解できない専門用語がポンポンと飛び出して、議事録としてまとめようとする正三を悩ませつづけた。
とりあえずカタカナで書きとめて、議論終了後に一語一句を確認しつつ漢字表記した。
屈辱だった、しかし如何ともしがたい。苦渋の思いを飲みこんで、彼らからの教えを受けるだけだった。
しかし事務次官に提出する報告書を作成したことで、正三がチームリーダーだということになった。
「さあ、着きましたよ。佐伯次官さま、お手伝いしましょうか?」
芸者の声が心地よく、正三の耳にとどく。
「うん、うん」と、うなづく正三。良きに計らえとばかりの、正三。殿さま気分の正三だ。
はじめて味わう感覚だった。支配欲を満足させる権力者といったものか?
叔父の源之助が口酸っぱくくり返す、次官になるということを感覚でとらえた正三だった。
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