昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

小説・はたちの日記  二月十日  (雪):後

2024-12-29 08:00:38 | 物語り

[お迎え]

でその夜、やさしいチコのことばに促されて、チコを抱いた。
というより、抱いてもらった。
暖かいチコの胸のなかで、気持ちよく眠った。
おふくろの胸で眠ったような感じだ。
えっ? なにもないよ。
ただ、眠っただけだよ、ほんとに。
おっぱいには触ったけどね。

大晦日の夜、というより元旦の早朝だった、チコに男にしてもらったのは。
ますます、チコが好きになった。
だけど、そのことが……
二日の朝だった。
急にドアを激しくたたく音がして、チコの顔がこわばった。
隠れようとしたぼくに、
”そのままで”と目で言うと、チコはドアの外に出た。
なんだか異様な雰囲気だった。

「やっぱりか!」。はげしい怒鳴り声に、ぼく、体が硬直した。
低いチコの声は聞こえなかったけど、断片的にあいての声はきこえてきた。
耳をふさぎたくなる話だった。
興行主との約束事をやぶったとか、そのために、ことしからの興業に支障をきたす、とか。


[一夜妻]

チコがそのことを話してくれたのは、三日の夜だった。
その日は、ひとりになりたいというチコの希望どおりに、アパートに戻ったんだ。
おふくろの置き手紙があった。

辛かったよ、チコの話は。
どうしようもないやりきれなさ、憤り、そんなものがうずまいた。
すべてがそうではないらしいけれど、興行主の力というものは凄いものらしい。
どんな無理難題も聞かされるらしい。
といって、事務所としても要求すべてを飲むわけにはいかない。

その要求でいちばん多いのが、一夜妻らしい。
といって、これから売り出す歌手にそんなことは、させられない。
そこで、代役が必要らしい。
それが、チコの役まわりだった。

ショックだった。天地がひっくり返る、そんな感じだった。
なにも言えなかった。だけど、許せなかった。
興行主も、事務所も、そしてチコも。
どうして愛情もないのに……
それが仕事だなんて、ひどすぎる。まるで、売春婦じゃないか! 


[不潔だ!]
 
そうしないと、若い歌手が可哀相だという。
じゃ、自分はどうなんだ。可哀相じゃないのか。
チコのデビュー当時も、そうやって助けられたというのかい?
でも、どうしてチコなんだい。
いやだよ、そんなの。チコだって嫌だったんだろう、だから逃げ出したんだ。

「やめちゃえ、そんなことなら」
もちろん、言ったよ。だけど、悲しそうな目で言うんだ。
「うたが好きなの。どんな形であれ、うたっていたいの」
「ぼくはどうなるんだ、ぼくは。チコが大好きなぼくは」
しばらく、こまった顔をしていた、チコは。
そしてひと言、「ごめんね」って。

頭のなかが、グチャグチャになった。
ぼくの大好きなチコが、ほかのだれかに……。
気が狂いそうだった。
なみだが、また、ボロボロ流れてきた。
悲しかった、腹が立った。
興行主に、事務所に、チコに、そして自分にも。
なにも出来ない自分に腹がたった。

チコがぼくを抱いてくれた。
しっかりと抱きしめて、なん回も
「ごめんね。」って、言った。
ぼくはたまらなくなって、チコを突きとばしてしまった。

「きたない!」
「ふけつだ!」 


[別れ]

そんなことばを口走ったような気がする。
いま思えば、悪いことをしたと思うよ。チコの立場も考えずに。
いや、納得したわけじゃない。
だけど、ぼくがどうこう言えることじゃなかった。

きょう、チコのアパートに行ってみた。
いなかった。帰ろうとしたら、管理人のおばさんに呼びとめられて、手紙をもらった。
「ごめんね。ホントにごめんね。
あなたの純真なきもちに触れられて、嬉しかった。
どこかでわたしを見かけたら、また声をかけてね。
お友だちとして、またラーメンを食ようね。
                 チコ」

辛いよ、とっても。好きだ、すごく好きだ。
『愛』がどんなものか、まだわからない。
ひょっとして、許すことが愛情なのかもしれない。
でも、いまのぼくには無理だ。


[火傷]

もっと大人になったら、許せることなのかもしれない……
おふくろの手紙の中に、あった。

―― ―― ――
人間というものは、いくつかの暗いトンネルをくぐり抜けて、大人になっていくのです。
短いトンネルもあります。明るいトンネルもあります。
でも、暗く長いトンネルもあります。
どうしてもひとりでは、そのトンネルを脱け出られないと思ったら、帰ってきなさい。
お母さんの所に帰ってきなさい。みんな、待っているからね。
―― ―― ――

おかあさん、わかってたんだ。
ぼくが、チコといっしょだってこと。
女の人といっしょだってこと。
でもって、うまくいかないってこと。

そういえば、中学時代にもあった。
初恋だった。
クラスのみんなでハイキングに行って、その子とふたり、とちゅうではぐれちゃって。
でも、気持ちを伝えるまえに……。

疲れた、とにかくつかれた。
はじめてだね、こんなに長くきみに語ったのは。
いまは、ただ眠りたい。なにもかも忘れて……。
忘れて? けど、時がいやしてくれるだろうか……。

すこし前に話したね。忘れるまで、どうしたらいい?
また、言いそうだ。

こんどは、全身火傷だ。こころまでも……、かえろうかな。(了)

――・――・――
*令和6年も、残りわずかとなりました。
 ことし1年、ありがとうございました。
 新作・旧作のリニューアル等、わたしの持てうる限りの引き出しから、
 傾向のちがう作品群をお送りしてきました。
 そのうちにはタネが切れてしまうかもしませんが、
 どうぞそれまではよろしくお願いします。

 それでは、どうぞ佳いお年をお迎えください。

 



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