昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第二部~ (三百五十五)

2023-05-24 08:00:15 | 物語り

 勝子だけでなく、自責の念にかられつづけていた母親。
遊び感覚でかわした接吻を近所のおとなに見とがめられて、田舎を追いだされたふたりだった。
ひと間の部屋に、生きていくためだけに同居をはじめたはずだった。
駆け落ちのふたりには、世間の風はつめたい。
早々に仕事を見つけなければならないし、落ち着く居所も決めなけなければならない。
手持ちの金員が底をつきかけたときに、「住み込み可。夫婦者も可」という張り紙を見つけることができた。
「身元引受人は……いないだろうねえ」。ふたりの姿を舐めまわすように、上から下まで見られた。
 縮こまりながら土下座せんばかりに腰をおるふたりに、「事情があるんだろうから」と、パチンコ店での仕事が見つかった。
身ごもっていたことを知らなかったとはいえ、浴びるように酒を飲む生活がはじまった。

“なんで姉さんだけなんだ”。恨みに思うこともあった竹田。
病弱な姉ゆえのことと分かってはいたが、なにかにつけて姉を優先する母親だった。
たまに届けられる隣家からのたったひとつのたまごが、姉の膳の上にのっている。
白いご飯のなかに、いや中央にたて線のある麦ごはんを主とした茶碗のなかに、こんもりとした黄色がある。
どんなに竹田が欲してもまわってこないたまごがのっていた。
下を向いてしょっぱい麦飯を口にしていた竹田の恨みごころが、その思いを抱いたことが、いまでも苦しめている。
そんなふたりすらも救ってくれたのが、誰あろうこの小夜子なのだ。
“この方のためならなんでもできる、代わりに死ぬことだっていとわない”。
そんな思いでいる竹田だった。

 小夜子にしても、武蔵のいない自宅にもどったところで、千勢をあいてに料理談義ぐらいがせきのやまなのだ。
正直のところ、もう料理については興味が失せている。
いや、おさんどんは千勢に、と決めてしまった。どころか家事全般をまかせる――というより、投げ出してしまった。
なにをどうあがこうと、千勢には勝てぬと思いしらされた。
「勝ち負けじゃないぞ、気持ちだ、きもちだよ」。武蔵がいう。
慰められた。そう思ってしまう小夜子で、ならばいっそそれには手を出さぬほうが、小夜子の精神状態にはいい。
なまじ張り合おうとするから、また千勢を追い出したくなるのだ。
武蔵にほめられるのは己だけでいい、いや、そうでなければならない、気が済まないのだ。

「もう。竹田ったら、そればっかり。いいのよ、きょうは。
そうだわ、竹田。お食事していきましょう。あたしのわがままに付き合わせてばかりだものね。
お礼がわりの食事をしましょ。うーん、なにがいいかしら。
武蔵はお寿司専門みたいだから、お肉料理にしましょうね。
お肉といえば、当然にビフテキよね。武蔵といつも行くお店があるのよ」
「でも、小夜子奥さま。わたしはお腹もへっていませんし、、、」
「いいの! なんなの! きょうにかぎってどうして逆らうの。
武蔵になにかいわれたの? そう、加藤専務ね。あの人、きらい。なにかと小言ばっかりいって」
 すれ違う人びとが、ぺこぺこと頭を下げつづける竹田に蔑視の視線をむける。
こびへつらうだけの竹田を感じ、そしてまた武蔵におもねるだけの竹田だと小夜子には見えてきた。



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