「それがね、もう大変だったの。
歓迎会だなんて言い出してね。仕事そっちのけで、準備したらしいの。
武蔵の許可なんか下りてるわけないわよ。
加藤専務の苦虫を噛みつぶした顔、見せてあげたかったわ。
ちょっと複雑な顔ね。叱るべきか否かってね。さしずめ、あれね。
“to be or not to be,that's a question!”よね」
突然に飛び出した英語が理解できず、首をかしげる千勢だった。
「ごめんね、分かんないね。
日本で言えば、お殿さまである父親を殺されちゃった若さまの『仇をとるか止めるか』って、悩むときのセリフなの」
「あら、そんなのおかしいです!
お殿さまの仇討ちで悩むのって、なんて親ふこうなんでしょ。
そんなの考えるまでもなく仇討ちするべきです。そうでしょう、小夜子おくさま」
憤懣やるかたないといった表情で、切り捨てる千勢だ。
真顔の千勢に、思わず小夜子は吹き出してしまった。
“この単純さが、千勢なのよね”と、笑みが自然に出た小夜子だ。
「そうね、千勢の言うとおりね。でもね、若さまには何の力もないし後ろ盾もないの。
相手は家老で……」
「そんなの、関係ありません!
すぐにがだめなら、じっと機会を待つべきです。
それをうじうじと悩むなんて。だめです、そんなの。
だんなさまも、きっとそうおっしゃいますわ」と、武蔵を引き合いに出しながら、鼻をふくらませて、得意げに言った。
「そうね、ほんとにそうね。千勢の言うとおりね。
武蔵もそう言うわよ。ううん、武蔵なら、言うだけじゃなくてやるでしょうね」
そのときの小夜子の脳裏には、父親に詰られ母親に泣きつかれて、立ち往生している正三の姿があった。
ハムレットと正三が重なって浮かんだ。
そしてその傍らで薄ら笑いを浮かべている武蔵が居る。
“お坊ちゃんよ、何をしてるんだ。何をためらう必要があるんだ?
いいさ、小夜子は俺が守ってやるよ。お前さんはそこで立ち往生してな”
言うが早いか、疾風の如くに小夜子の前にひざまずく武蔵。
そして背に隠してあった一輪のバラを、小夜子に差し出している。
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