人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

短編より長編の方が面白いかな?~道尾秀介著「花と流れ星」を読む

2012年05月15日 06時52分57秒 | 日記

15日(火).昨日の朝日夕刊に,音楽評論家・長木誠司氏が5月9日にサントリーホールで開かれたポゴレリッチのピアノリサイタルのレビューを書いています

「ポゴレリッチの演奏会は,常にポゴレリッチを聴くためにある.演奏の向こう側にある作品や作曲家を堪能し,理解するためではない」,「速い遅いが問題なのではない.刻まれる,いや刻まれないでよどみ続けるだけの時間が重要なのだ」,「リストの”ピアノ・ソナタ”では・・・・・できることはあえてせずにおく信念に裏打ちされた,音楽のつくり方自体への裏切りの仕業で,それを支えるのは根源的な絶望である 頂点への直線的な運動や音楽的な物語の構築はすべて否定され,デフォルメされる.これが音楽か? ロマン主義の傑作か?」として,最後に「均整美を否定するアナクロな前衛主義なので,今さら何をとも思うが,そういう挑発を与えねばならないほどに,このピアニストの眼には現代の音楽の世界が窮屈に映っているのだろう」と結んでいます.

私はこの2日前の7日にポゴレリッチの演奏するショパンの「ピアノ協奏曲第1番」と「同第2番」を聴いたわけですが,コンチェルトに関する限り,これほど絶望的な批評の対象にはならなかったと言っても良いと思います コンチェルトは一人で演奏するわけではありませんので,”自己主張”にも自ずと限界があるでしょう にもかかわらず,あのコンチェルトは素晴らしかった

それに対してソロで弾く場合は,何の制約もないわけですからピアニストが弾きたいように弾くことができます 長木氏はポゴレリッチの演奏会は「演奏の向こう側にある作品や作曲家を堪能し,理解するためではない」と評していますが,正確に言えば,誰もショパンやリストの演奏を聴いたことがないのですから,作曲家の意図を本当に理解できた演奏がどういうものかは誰にも分からないはずです ”これが音楽か?”と言われようが,”均整美を否定するアナクロな前衛主義”と批判されようが,ポゴレリッチには”そのようにしか弾けない”のでしょう このレビューを見て,7日はトランペットの演奏会を捨ててポゴレリッチのリサイタルを聴くべきだったな,と後悔しました

 

          

 

  閑話休題  

 

道尾秀介著「花と流れ星」(幻冬舎文庫)を読み終わりました 道尾秀介は1975年生まれ.「月と蟹」で直木賞を受賞した作家です

死んだ妻に会いたくて霊現象探究所を構える真備庄介(まきびしょうすけ)と,妻の妹で真備の助手・凛(りん),そしてホラー作家・道尾秀介(著者と同姓同名)の3人が活躍する”真備シリーズ”が始まったのは2004年に第5回ホラーサスペンス大賞特別賞を受賞した長編「背の眼」でした.その後06年には「骸の爪(むくろのつめ)」が刊行され,この作品が第3作目に当たる初の短編集です

「流れ星のつくり方」「モルグ街の奇術」「オディ&デコ」「箱の中の隼」「花と氷」の5編からなります.3人のもとに悩みを抱える人たちが訪れ,真備の推理でそれを解決していきます

私が一番面白かったのは「箱の中の隼」です.新興宗教の美人幹部・野枝ひかりが探究所を訪ね,教団本部を見学して欲しいと頼みます.多忙な真備の代わりに道尾が彼女の案内で教団本部の見学に行くことになりますが,そこで事件が起こります なぜ彼女は見学に誘ったのか,最後にその理由が明らかになります

「花と氷」は,自分のせいで孫を亡くした老人を巡る話ですが,ストーリーにちょっとムリがあるのではないかと感じました.道尾秀介の場合は,「背の眼」や「骸の爪」のような長編小説の方が圧倒的に面白いと思います

 

          

コメント
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