17日(木)。昨日の日経朝刊「記者手帳」という小さなコラムに「参院に流れるJ-POP」という記事が載りました 何事か?と思って読んでみると、次のようなことが書かれていました。
「国会3階にある輿石幹事長の部屋に面した廊下に、時折、中島美嘉の曲が響く 似つかわしくない曲の正体は、会話がドア1枚を隔てた外に漏れないための苦肉の策
CDは女性職員からの借り物で、音楽は密談の最中の証しでもある」
そうか、音楽にはそういう利用方法もあるのか、と思わず唸ってしまいました それにしても、歌手の中島美嘉さんにしてみれば、音楽は聴いてほしいよねぇ
ところで、中島美嘉さんってどんな曲歌っているの?
閑話休題
昨夕、記者クラブの試写会で高橋判明監督による「道ー白磁の人ー」を観ました クラブの試写会としては参加者が多い方で,映画の内容を反映してか,戦争経験年代の方々が圧倒的に多いようです
日本が韓国を併合してから4年後の1914年、23歳の日本人・浅川巧が京城(日本統治時代のソウル)に赴任した。彼は林業技師として朝鮮の山々に緑を戻す使命を抱いていた 日本人の多くが朝鮮人を蔑視し、日本の風習や価値観を押し付ける中、彼は朝鮮語を学び、白磁に代表される朝鮮の文化や工芸品の素晴らしさを見出した
職場の同僚イ・チョンリムと共に山を歩き山々に緑を取り戻す日々が続く。しかし,ある事件をきっかけにチョンリムは抗日運動の罪で投獄されてしまう
巧は心無い日本軍人に抵抗しながら植林の仕事を続けるが,やがて病に倒れる
それでも,どうしても投獄されているイ・チョンリムに会いたいと,車椅子で刑務所に行き,彼に教わった朝鮮語で”ありがとう”を言う.そして家族が見守る中息を引き取る.彼の葬儀には多くの朝鮮人が駆け付けた.日本の敗戦,韓国の独立を迎え巧の願いはイ・チョンリムに引き継がれる
浅川巧に吉沢悠,イ・チョンリムにぺ・スビンという配役ですが,この映画の撮影をきっかけにこの二人は親友になったということです これについて高橋監督は「主役の二人が親友になったことが,この映画の最大の成果
それこそが浅川巧さんが望んだことでしょう
」と語っています.当時の微妙な両国の関係の中で,純粋に(まるで白磁のように)生きた日本人がいたことに誇りを持ちたいと思います
さらに日本人と朝鮮人とがお互いに理解し合うとはどういうことなのか,ということをあらためて考えさせられました.今だからこそ,日朝間に横たわるいくつかの政治問題を解決するためにも,民間レベルでの文化活動・交流が大事だということを痛感しました
この映画は6月9日(土)から新宿三丁目の「バルト9」、有楽町の「スバル座」ほかで全国ロードショー公開されます。
もう一度閑話休題
午後8時過ぎに映画が終わってホッと一息つく暇もなく、HCビルに向かいました 終業間際にE部長から「クリニックのN院長先生と打ち合わせにつき,8時にHCビル地下Kに集合」という「ミッション・インポッシブル」が伝えられていました
S監査役とE部長はIビル地下のベトナム料理屋で飲食して時間をつぶしてから参加,私は試写会を観てから参加ということで分かれました.ビール
日本酒
を飲みながらいくつかの懸案事項を話し合って10時少し前に解散しましたが,最近,飲むとすごく疲れます.そして今朝も頭痛が・・・・・・・男はつらいよ