7日(月)。昨日の日経朝刊に、9月14日に日経ホールで開かれた文字・活字文化推進機構と日経の共催による「活字の力~若者にも伝えたい」シンポジウムの模様が見開きで掲載されていました トークショーに作家の道尾秀介氏が招かれていて、自らの読書・創作体験を語っています 道尾秀介は好きな作家なので、彼の作品はこのブログでも何回もご紹介してきました トークショーの中で、道尾氏は次のように語っています
「僕の場合、長編を1本書くのと短編を1本書くのと、エネルギーは同じくらい使います 短編はそれだけ力を入れて書くものと知っていますから、1文字読み飛ばせば全体の意味がまるっきり変わってしまう。ですので、心して読むようにしています」
小説に限らず、文章というのは長ければ長いほど書くのが楽な一方、短かければ短いほど苦労が多いものです ある一定の文章を書くとき、長い文章だったらそのまま残せば良いのに対し、短い文章は、元の長い文章から余計な言い回しや事がらを省いていかなければならないからです
「ヘミングウェイが友人と単語6つで小説を書けるかという賭けをして、作った小説があります
『For sale : baby shoes,never worn.(売ります。赤ちゃん用の靴。未使用)』
読む人によって違うと思いますが、僕は、若い夫婦が生まれてくる子どもを楽しみにして靴なども買いそろえていたのに、赤ちゃんは生まれる前に亡くなってしまい、靴を売りに出すという物語が浮かびました 想像の余地が多いと、深さも意味合いもどんどん変わる。それが小説の一番素敵なことろだと思います」
これが優れた小説家の視点だろうと思いました 「本格ミステリ大賞(シャドウ)」「カラスの親指(日本推理作家協会賞)」「龍神の雨(大藪春彦賞)「光媒の花(山本周五郎賞)」「月と蟹(直木賞)」と数々の賞を受賞してきた人気作家は、並外れた想像力の持ち主だったのだとあらためて思いました
閑話休題
昨日、ミューザ川崎で東京交響楽団の「名曲全集第90回」公演を聴きました プログラムは①モーツアルト「ホルン協奏曲第4番変ホ長調K.495」、②同「協奏交響曲変ホ長調K.297b」、③ブラームス「交響曲第4番ホ短調」で、①と②の演奏はアンサンブル・ウィー=ベルリンのメンバーで、ホルン=シュテファン・ドール、オーボエ=ハンスイェルク・シェレンベルガ―、クラリネット=ノルベルト・トイブル、ファゴット=リヒャルト・ガラ―、指揮はマルティン・ジークハルトです
この公演は当初、フルートのウォルフガング・シュルツを迎えてモーツアルトのフルート協奏曲を演奏する予定でしたが、3月28日に逝去されたため、シュテファン・ドールをソリストに迎えたホルン協奏曲に変更になったものです
オケがスタンバイします。よく見るといつもの東響と態勢が違います 左後方にコントラバス、前列は左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2バイオリンという対向配置を採ります。この理由は後半のブラームスで分かります
ウィーン生まれのマルティン・ジークハルトとともに1965年ミュンスター生まれのホルン奏者シュテファン・ドールが登場します ジークハルトのタクトで1曲目のモーツアルト「ホルン協奏曲第4番変ホ長調」が始まります ジークハルトは協奏曲ということでオケを抑え気味に進めます。ドールは柔らかい音でモーツアルトの愉悦の世界を表出します 彼は1993年からベルリン・フィルで首席ホルン奏者を務めていますが、さすがの表現力です
モーツアルトは4つのホルン協奏曲を、ザルツブルクの宮廷楽団のホルン奏者で冗談を言い合うほど仲の良かったロイトゲープのために書きましたが、ホルン協奏曲第4番は、わざと楽譜を読みづらくするために赤、青、緑、黒の4色のインクで記譜したとのことです この曲のプログラムに書かれていました
弦楽奏者の椅子がわずかに後ろにずらされ、ソリスト4人のスペースを空けます 2曲目はモーツアルトの「4つの管楽器のための協奏交響曲K.297b」です。4人のソリストの登場です。左からオーボエ、ホルン、ファゴット、クラリネットという態勢を採ります。アンサンブル・ウィーン=ベルリンは1983年に創立され、今年30周年を迎えました。世界トップクラスの演奏家による管楽アンサンブルです
この曲は4人がソリストになってフルに活躍する”協奏”交響曲ですが、ともすると、一人のソリスト(とくにオーボエ)が目立って他の演奏者を圧倒してしまったり、それぞれが「我こそは」と前に出ようとして”競争”交響曲になってしまいがちです しかし、さすがは歴史も実力もあるアンサンブルです。見事にバランスが取れていて、そうかと言って”個”が薄いと言う訳ではなく、各自がきちんと主張するところは主張しています。一流と言うのはこういうのを言うのでしょう
ところで、現在演奏されているこの曲は、モーツアルト研究家オットー・ヤーン(1813~69)の遺品から発見された楽譜です 作曲時に4つの楽器のうちの一つがフルートだったのに、ヤーンの遺品の楽譜ではクラリネットになっていました このことから、この作品は誰か他の作曲家による作品の編曲バージョンではないかと言われており、現在でもなお真作かどうか不明なのです
しかし、この曲を聴いていると、それでは誰が作曲したと言うのか と言いたくなるほど限りなく”モーツアルト的”なのです 私は作曲家の中で一番好きなのはモーツアルトですが、その中でもこの管楽器のための協奏交響曲はベスト3に入るほど好きな曲です この曲が他の作曲家によるものだと明確な理由づけによって証明された日には、私は寝込んでしまいます
彼らは、鳴り止まい拍手に、第3楽章のフィナーレをもう一度演奏し、颯爽と去って行きました
休憩後のブラームス「交響曲第4番ホ短調」は彼の最後の交響曲です。第1楽章冒頭の”ため息”のような旋律は一度聴いたら忘れられないでしょう。寄せては返す波のようです そこで、第1バイオリンと第2バイオリンによる対話があります。左サイドの第1バイオリンが語りかけ、右サイドの第2ヴァイオリンが応えます。これがヴァイオリン・セクションを左右に振り分ける”対向配置”を採った理由だったのです
ここでハタと考えます。ブラームスの生きていた頃は、オケの配置は”対向配置”だったはずだ 現在多くのオケで採っている配置(左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後方にコントラバス)は、ディズニー映画「オーケストラの少女」や「ファンタジア」で有名なレオポルド・ストコフスキーが始めたと言われています 当時は録音方式がモノーラルからステレオに移る時期に当たり、「左からは高音が、右からは低音が」出てくるようにというレコード会社の要請に応じて楽器編成を変えたのです。つまり、左サイドに高音部のヴァイオリン・セクションを集め、右サイドに低音部のヴィオラ、チェロ、コントラバスを集めてステレオで演奏を収録したのです このことからすれば、”対向配置”こそ、本来あるべきオケの配置ではないか、ジークハルトの選択は正しいのではないか、と思うのです
ジークハルトは第1楽章が終わってもタクトを下ろさず、そのまま第2楽章に移ります。私は何回となくこの曲を生で聴いてきましたが、こういう解釈は初めてです。緊張感を持続させるという意図があるのかも知れませんが、本当の根拠を訊いてみたいものです
力強い第3楽章に続いてパッサカリアによる第4楽章です。終盤フルートのソロがありますが、甲藤さちのフルートが音一つない会場の隅々まで浸みわたります そして、フィナーレではオケ総動員による演奏の振動が、座席の足元まで届いて身体が震えているのが分かります。東京交響楽団の熱演が直接伝わってきました
ところで、ブラームスがこの曲を書き上げたとき、彼が滞在する建物の別室が火事になり、ブラームスは荷物は二の次で消火活動に参加しました。しかし、彼の部屋に火の手が迫りそうになり、友人がブラームスの部屋に飛び込んで交響曲第4番の楽譜を救ったということです プログラムの曲目解説に榊原律子という人が書いていました。モーツアルトのホルン協奏曲第4番の楽譜の解説といい、このブラームスのこのエピソードといい、実に冴えています。個人的にはこういう解説を求めています 某オーケストラのプログラムの解説のようにコムズカシイ解説はいりません
この日は大好きなモーツアルトとブラームスが、最高の演奏で聴けてとても幸せでした