人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

太田光著「向田邦子の陽射し」を読む~モーツアルト「フィガロの結婚」を思い出しながら

2014年03月30日 21時01分14秒 | 日記

30日(日)。その2。太田光著「向田邦子の陽射し」(文春文庫)を読み終わりました 太田光はご存知、漫才コンビ”爆笑問題”の芸人です つい最近まで太田光が向田邦子の信仰者であることをちっとも知りませんでした

この本はⅠ.ぼくはこんなふうに向田邦子を読んできた、Ⅱ.向田邦子が書いた女と男の情景、を本編として、「読む向田邦子」ベスト10、「観る向田邦子」ベスト10を間に挟んでいます

 

          

 

この本を通じて、久しぶりに向田邦子のエッセイや小説などに接しましたが、「この本にはこんなことが書いてあったのか」と思うことがしばしばでした

私が向田邦子を読むきっかけになったのは、長女が実践女子高校に入学した時です。向田邦子は実践女子専門学校国語科を卒業しているからです。彼女の作品はその頃片っ端から読みました しかし、時間が経つと内容はあまり覚えていないことに愕然とします。それを「向田邦子の陽射し」は思い出させてくれました

この本の中で、なかなか鋭いと思ったところがあります。それは「生への”沈黙”-向田邦子の恋文 向田邦子の遺言」です

「向田邦子は”沈黙”の作家だと思う。今回、こうして向田邦子作品を読み返し、やはり改めて思い知ったのは、向田さんの”沈黙”の凄まじさだ。『思い出トランプ』でも、『あ・うん』でも、多くのエッセイでも、いつも感じ、感動し、恐ろしく思うのは向田さんの”黙っている姿”だ 読者にはそれが伝わる。”黙っている”というのは、”言葉を発しない”ということではない。言葉を、言葉以外のことを伝える為にその道具とする、ということだ。例えば音楽は、無音の状態がなければ生まれないし、生む意味もない。音と音との間に無音がある。また、音の後ろにも無音がある。我々は音を聞きながら、実は必ずその後ろにある無音を目指している

それから、もう一つ、向田文学の特徴をよく言い表している言葉があります

「向田さんの作品には、人間というのは愚かで、未熟で、自然も破壊するし、戦争も起こす。大変なことが起こっているのに、登場人物が飯を食ったりする。そんなやつらだけれど、それがいとおしいじゃないかというメッセージがある

向田作品を読んでいると、確かに指摘されているような”目”が感じ取れます

それから、1979年にNHKで放送された「阿修羅のごとく」の「女正月」の台本を取り上げた部分で、太田光は次のように書いています

「四姉妹がぺちゃくちゃ話している。話の核心は親父の浮気なのに、脇道にそれながら、ぺちゃくちゃ話をする。揚げ餅を頬張りながら、またぺちゃくちゃ。男は次女の旦那ひとり。そのうち長女のさし歯がとれて、「やだ」と言ってハンカチを口で隠す。普通のコメディとしてもおもしろいし、それが人物紹介にもなっている シナリオの教科書みたいなシーン。でも誰も真似できない。これを手本にして書け、とシナリオセンターで言われてもできない。こんなアクロバットは向田さんにしかできない

これを読んでいて、なぜか、モーツアルトの歌劇「フィガロの結婚」を思い出しました この歌劇の台本はフランスの喜劇作家ボーマルシェの原作を基にイタリア出身の台本作家ロレンツォ・ダ・ポンテが書き、それにモーツアルトが音楽を付けた訳ですが、時に、ソロが二重唱に、二重唱が三重唱に、三重唱が四重唱にと、どんどん歌が拡大していきます。こういうところは「阿修羅のごとく」のいくつかのシーンによく似ているな、と思いました さしずめ、向田邦子は日本のダ・ポンテか

 

          

 

太田光は「読むベスト10」の一つに「あ・うん」を挙げています。「あ・うん」の最初の「狛犬」を途中まで紹介して「以下略」としています。この先はどうだったか、気になって、文春文庫「あ・うん」を引っ張り出して「狛犬」の続きを読みました。向田作品にはそういう魅力があります

 

          

 

太田光はエッセイでは「水羊羹」をベスト1に挙げています。向田邦子は、水羊羹を食べる時にかける音楽はミリー・ヴァ―ノンの「スプリング・イズ・ヒア」が一番合うと書いています これを初めて読んだ時は、普段は行かないCDショップのジャズのコーナーに行って買い求めました。「スプリング・イズ・ヒア」を聴いてみて、そうか、向田邦子はこういう音楽が好きなのか、と感心したのを覚えてます ちなみにCDの曲目解説によると「春が来たけど、心は弾まない。恋人が居ないから」という春の憂鬱を歌ったもの、とありました 「スプリング・イズ・ヒア」は当時の向田邦子の心象風景を歌ったものだったのでしょうか

 

          

          

 

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スダーン最後の音楽監督公演を聴く~東響第618回サントリー定期でシューベルト「第2交響曲」再び!

2014年03月30日 09時07分03秒 | 日記

30日(日)。昨夕、サントリーホールで東京交響楽団の第618回サントリーシリーズ定期演奏会を聴きました。プログラムは①ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第5番”皇帝”」、②シューベルト「交響曲第2番変ロ長調」で、①のピアノ独奏はゲルハルト・オピッツです。指揮は3月いっぱいで東響の音楽監督を退任し4月から桂冠指揮者に就任するユベール・スダーンです 3月22日に東京オペラシティコンサートホールでオール・ハイドン・プログラムを指揮しましたが、昨日のコンサートは実質的に東京での東響・音楽監督として最後の演奏会です

 

          

 

サントリー定期はいつも9割位は入っているのですが、昨夕は残席ゼロではないかと思うほど文字通り満席の状況でした コンマスはグレブ・ニキティン。チューニングが終わり、ソリストのオピッツがスダーンとともに登場します ピアノの前に座るオピッツを見ていたら、まるでベートーヴェンの音楽に向き合うブラームスのような風貌です 彼はドイツの巨匠ウィルヘルム・ケンプの直弟子で、ケンプの音楽的な伝統を受け継ぐピアニストです

ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第5番」は『皇帝』の標題で親しまれています。この呼び方は出版社のクラマーが、この作品に相応しいものとして付したものですが、ベートーヴェンのスケッチ帳にも「戦闘へ、歓喜の歌」「攻撃」「勝利」などの言葉が書きこまれているように、『皇帝』の名に値する最高峰の作品です

第1楽章の「アレグロ」は、オーケストラの総奏に導かれて、勇壮なピアノ独奏が入ってきます オピッツは終始、頭や身体を大きく揺らすことなく自然体でピアノに対峙します。これは冷静沈着な演奏をしていた師匠ケンプの演奏スタイルと同じではないか、と思いました

終盤にはカデンツァが置かれていますが、この作品のカデンツァはベートーヴェン自身が作曲したものです。それまではピアノ奏者の創意に委ねられていたのですが、この作品の楽譜には「演奏者によるカデンツァ不要」という指示が書きこまれています。難聴が進行していたベートーヴェンにとって、「勝手な解釈をして演奏してもらっては困る」という気持ちが強かったのではないか、と思います

オピッツのピアノは一音一音が粒立っていてとても綺麗です 特に高音部の輝きが美しく響きます。力強く、また、抒情的です。スダーンは東響をコントロールし、しっかりとサポートします

終演後、スダーンと握手をしてオケにも頭を下げ、聴衆の拍手に応えます。ニコニコ顔のブラームスを見ているような気がしました

 

          

              (終演後、プログラムにサインをもらいました)

 

休憩時間にチラシを見ていたら、スダーン+東響のシューベルト「交響曲第2番・第3番」のCDが1,000円で売っていることが分かり、ロビーのCD売り場に行くと「サイン会あり」の文字が目に入ったので、躊躇なく買い求めました。絶対サインもらわねば後で後悔するぞ

 

          

 

ピアノがステージ左サイドに片付けられ、オケは約50人ほどに縮小します。いよいよ東京における最後の演奏曲目・シューベルト「交響曲第2番変ロ長調」です この曲を含めて、スダーン+東響が2008年に演奏した「シューベルト・チクルス」は「第21回ミュージック・ペンクラブ賞」を受賞するなど音楽界で大きな話題を呼びました 私は2008年に78回コンサートを聴きましたが、今振り返ってみてその年のベスト・コンサートだったと確信します

交響曲第2番は1814年から15年にかけて作曲されましたが、公開初演として記録に残っているのは1877年のロンドンにおける演奏会とのことですから、何と62年後のことです。シューベルト、可哀そう

スダーンの指揮で第1楽章「ラルゴ~アレグロ・ヴィヴァーチェ」が始まります。冒頭はモーツアルトの交響曲第39番に曲想がよく似ています。ゆったりしたメロディーが続いていたかと思うと、一転、躍動感に溢れたアレグロ・ヴィヴァーチェに移ります ひとことで言えば「疾走する青春」とでも表現したらよいでしょうか 前へ前へと前進する音楽が心地よく響きます。第2楽章「アンダンテ」の冒頭は、ロザムンデの音楽にちょっと似ています。主題と5つの変奏なのですが、主題の輪郭を留めながら変奏していくので「シューベルト特有の、同じメロディーの繰り返しか」と思ってしまいます しかし、美しいメロディーです

第3楽章「メヌエット」を経て、第4楽章「プレスト・ヴィヴァーチェ」に移ります。冒頭部分はロッシーニ風のメロディーです。再び「疾走する青春」のような溌剌としてリズミカルなメロディーが展開され、フィナーレを迎えます

終演後、スダーンは会場一杯の拍手とブラボーに何度も頭を下げ、オーボエの池田肇、フルートの甲藤さち、クラリネットの吉野亜希菜、ファゴットの福士マリ子を立たせ、次いでオケ全体を立たせて聴衆の声援に応えます スダーンは深く頭を下げて涙をぬぐい、頭を上げて、拍手を制してお別れの挨拶をしました。マイクなしで英語だったので、よく分かりませんでした ここに紹介できず残念です。どなたか、分かった方は教えてください。今日、同じプログラムの演奏会がミューザ川崎で開かれるので、その時、同じ挨拶をされるかもしれません

アンコールに、シューベルトの「ロザムンデ」間奏曲第3番を穏やかに感動的に演奏しました 東京での公演はこれで終わりです。もちろん、これからも桂冠指揮者として何度か東響を振りますが、これまでの10年間、素晴らしい演奏を聴かせてくれたことに心から感謝したいと思います

 

          

 

終演後、サインをもらおうとロビーのCD売り場に行くと、だれも並んでいないので、訊いてみると、サイン会場は通路の奥のスペースでやるとのことだったので、出口に向かう聴衆の波に逆らって、通路の奥に進みました すでに20人近くの人がサインを求めて並んでいました。後ろを振り返ると通路の突き当りまで列が続いていました。20分ほど待たされ、やっとサイン会が始まりました。向かって左にスダーン、右にオピッツが並んでサインするようです

私はCDジャケットの表紙部分を抜き出して、そこにスダーンにサインしてもらいました 隣のオピッツにはプログラムにある彼の写真のところにサインをもらいました。CDにサインをもらうのはほとんどがスダーンで、オピッツはプログラムばかりだったので、ちょっと気の毒に思いました まあ、しかたないですね。スダーンは東京での”有終の美”ですから

あらためて、スダーンにお礼を言います。長い間お疲れ様でした。ありがとう 素晴らしい演奏の数々、決して忘れません。これからも桂冠指揮者としてわれわれ聴衆を楽しませてください

 

          

          

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