9日(金)。読売日響から11月19日の「第603回定期演奏会 出演者・曲目変更のお知らせ」が届きました 通知ハガキによると、当日出演を予定していた指揮者アレホ・ペレス氏とチェロ奏者イサン・エンダース氏はコロナ禍の影響により来日不能となったため、指揮者を鈴木優人に代え、プログラムも次のように変更するとしています
【変更前】
①メシアン「忘れられた捧げもの」
②エトヴェシュ「チェロ合奏協奏曲」
③ショスタコーヴィチ「交響曲第12番ニ短調”1917年”」
【変更後】
①シャリーノ「夜の自画像」
②シューベルト「交響曲第4番”悲劇的”」
③ベリオ「レンダリング ~ シューベルトの未完の断片を用いて」
なお、政府による客席数の緩和措置を受け、手持ちのチケットで入場できるとしています また、欠席の場合は払い戻しに応じるとしています 私としては、ショスタコーヴィチの「1917年」が聴けなくなったのは 払い戻しに値する変更だと思いますが、オーケストラの窮状を鑑みて変更後のプログラムで聴くことにします
また、別のハガキにより11月30日開催の「第27回読響アンサンブル・シリーズ」は、手元のチケットで聴けるとの案内が届きました プログラム(「鈴木優人プロデュース『四季』&ケージ」)に変更はないとのことです
ということで、わが家に来てから今日で2199日目を迎え、賭けサイトのプレディクトイットによると、7日のバイデン氏の(勝利確率)レートは9月中は50セント台後半で推移していたが、トランプ氏がコロナ感染後に急上昇、トランプ氏が5日に退院してからも上昇し67セントとなった一方、トランプ氏のレートは37セントまで下がった というニュースを見て感想を述べるモコタロです
感染への同情票を狙って早期に退院したけど 世間はトランプの正体を見極めてる
昨日、夕食に「豚もやし炒めのおろしポン酢かけ」「生野菜サラダ」「冷奴」を作りました 「豚もやし~」はコスパ抜群で美味しいです
望月衣塑子 ✕ 佐高信「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」(講談社+α 新書)を読み終わりました 望月衣塑子 (もちづき・いそこ)さんは1975年 東京生まれ、慶應義塾大学法学部卒。東京新聞社会部記者。安倍政権時代、記者会見で菅官房長官に何度も食い下がって質問攻めにして一躍有名になった記者です 一方、佐高信(さたか・まこと)氏は1945年山形県生まれ、慶應義塾大学法学部卒。高校教師、経済誌編集者を経て評論家になり現在に至る。4月12日のTBS系の「サンデーモーニング」で「安倍が首相になったこと、あるいは首相であること自体が日本にとっての緊急事態だ」とコメントして物議を醸した、「安倍政権の天敵」です
本当はこの本を安倍政権時代に読むつもりで購入したのですが、予期しない時期に首相を辞任してしまったので面食らいました しかし、当時、官房長官だった菅義偉氏が「安倍政権を継承する」として首相となり、日本学術会議が推薦した会員候補6人を「総合的・俯瞰的」観点から任命しないなど、しっかり安倍政権を継承しているので、同じようなものだと思い 読み進めました
この本は次の各章から構成されています
〇序章に代えての往復書簡
①望月衣塑子より いまこの国を蝕んでいる本当の病根
②佐高信より 官主主義と分断と
第1章「芸能と政治が切り結ぶ 映画『新聞記者』の衝撃」
第2章「告発と報道 権力中枢に斬り込むために」
第3章「権力と新聞の危険な関係 記者の存在意義とは何か」
第4章「隠蔽と沈黙をぶち破れ 森友問題の新たな核心」
第5章「命と生活を懸けて コロナがジャーナリズムに突きつける」
〇あとがきにかえて 望月衣塑子というひと(佐高信)
〇あとがき ジャーナリズムの危機と光明と(望月衣塑子)
この本の中で二人の論客が主張したいと思っていることは、最後の「あとがき」で望月さんが分かり易く要約しています
「既存のマスメディアが、問題だらけなのは言うまでもない 賭けマージャン問題は、起こるべくして起きた問題だ。記者クラブ制度の中で、長年にわたって育まれてきた権力とメディアの『癒着』は、SNSが発達してきた現在、世論から厳しい批判の目にさらされていることを、メディアに携わる私たちはもっと自覚しなければいけない (内閣記者会は)長年、安倍政権のメディアコントロールを許してきた。首相会見も官房長官会見も、時間制限や指名の偏りに抗議の声を上げず、司会進行の主導権を奪われても抵抗せず、会見のあり方を改革しようとしてこなかった 内閣記者会は世間からも見放されつつある オフレコ取材を重視し、会見が形骸化すれば、会見も記者クラブも存在の意義がなくなる。このままでは日本のジャーナリズムは完全に崩壊することになる。政治部記者はもっと危機感を持つべきだろう」
また、特に首相や政権幹部に対する取材は、普段から相手の懐に飛び込んで信頼関係を築く必要性から、”嫌われて本音を引き出すことが出来なくなる”ことを恐れて、時に書くべきことを書かなくなるという記者(特に政治部の”番記者”)の立ち位置については、次のように語っています
「相手の懐にまで深く入り込む取材は、時にスクープや深い解説記事を書くためには必要だ しかし、権力の内側を描けないようではただのなれ合いにしか見られない なぜ、私たち記者が、懐に入り込む必要があるのか。権力の内側に潜む問題を、内部をよく知る記者として世に出し、その問題を問うためではないのか 心が通じた相手を、最終的にはペンの力で斬らなければならないときもある」
望月さんは現代の新聞記者の特徴を次のように語っています
「いまの記者は、みな揃っておとなしく、サラリーマン化が進んでいる。型にはまったこと以上の行動をするのを極端に恐れるあまり、取材相手を追及し、本音を吐き出させようとする気迫が感じられない」
昨日の朝日朝刊「オピニオン欄」は「官房長官は裏方か」というテーマで3人の論客が語っていますが、そのうちの一人、元内閣官房長官・藤村修氏が記者会見について次のように語っています
「米国の記者会見だと、ベテランの記者が質問しますよね。日本では、官邸の記者は若手が多い。質問が少し稚拙に感じることもありました キャリアを積んだ記者が厳しい質問を浴びせ、官房長官も逃げずに相対するようになれば、歯止めにつながるのではないでしょうか」
たしかに新聞社は、”首相番”や”官房長官番”など、いわゆる”番記者”には若手の記者を当てるケースが多いと思います しかし、ベテラン記者が厳しい質問を浴びせても、望月記者のように官邸側から「あなたに答える必要はない」と言われたり、質問回数を制限されたり、コロナ禍を理由に各新聞社の出席人数を1社1人と限定されて出席できなくなったりすると、手の施しようがありません ただ、新聞記者の皆さんに忘れないでほしいのは、皆さんは政府の代弁者ではなく国民の知る権利を守るために真実を報道するのが仕事だということです
なお、第1章「芸能と政治が切り結ぶ 映画『新聞記者』の衝撃」のタイトルにある映画『新聞記者』は、望月記者が書いた内閣官房と女性記者の闘いを描いたエンタメ小説が原本になっています 藤井道人監督、シム・ウンギョンと松坂桃季の主演により2019年に映画化(113分)され、第43回日本アカデミー賞の作品賞、主演男優賞、主演女優賞の3部門を独占しました 内容は加計学園問題を彷彿とさせるエンターテインメントです 興味のある方は2019年7月25日付toraブログをご覧ください
また、望月記者の日常の取材活動を追った森達也監督によるドキュメンタリー映画『 i 新聞記者ドキュメント』(2019年製作:120分)は、同年12月20日付toraブログをご覧ください
どちらの映画も予想外に多くの人々が映画館に来ていて意外な感じがしましたが、みんな政治に対して不満があるのだと思います