14日(水)。わが家に来てから今日で2204日目を迎え、トランプ米大統領は12日、新型コロナウイルス感染を経て見合わせていた選挙集会を激戦州の一つ南部フロリダ州で開き「米国をかつてなく偉大にする」と呼びかけ、ツイッターに「バイデンのオハイオでの集会にはほどんど誰も来なかった。わたしは2016年よりもはるかに多くの支持と熱狂を得ている」と書き込んだ というニュースを見て感想を述べるモコタロです
「はるかに多くの支持と熱狂を得ている」と思っているのはトランプだけだと思う
昨日は私の誕生日だったので、ちょうど仕事休みだった娘が「ハンバーグ」と「オニオンスープ」を作ってくれました 娘が料理を作ってくれたのは何年ぶりだろうか? とても美味しかったので2個いただきました。満腹です
手ごろなホール・ケーキが売り切れていたので、バースディ・ケーキはカットした苺ショートケーキになりました ロウソクは諸般の事情により割愛しました フォークの位置が変です
昨日、日比谷のTOHOシネマズ シャンテで、バーツラフ・マルホウル監督による2019年製作チェコ・スロヴァキア・ウクライナ合作映画「異端の鳥」(モノクロ・169分)を観ました
舞台は、第2次世界大戦でナチスドイツとソ連が戦う東欧のどこか。ホロコーストを逃れて独り田舎に疎開した少年(ペトル・コラール)は、預かり先である一人暮らしの叔母が病死した上に火事で家が消失したため身寄りを無くし、たった一人で旅に出ることになる 少年は東欧のスラブ系の農民たちとは異なった外見をしていたため、行く先々で彼を「異物」と看做す人間たちから酷い仕打ちを受けながらも、なんとか生き延びようと必死でもがき続ける
この映画は、ポーランドの作家イェジー・コシンスキが1965年に発表した同名小説を原作に、チェコ出身のバーツラフ・マルホウル監督が11年の歳月をかけて映画化した作品です
この映画を観ようと思ったのは、10月9日付の日経夕刊「シネマ万華鏡」で映画評論家の中条省平氏がこの作品を取り上げ、絶賛していたからです
この作品は、少年の出会う人物の名前を付けた9つのエピソードから構成されています 「マルタの章」「オルガの章」「ミレルの章」「レッフとルドミラの章」「ハンスの章」「司祭とガルボスの章」「ラビ―ナの章」「ミートカの章」「二コデムとヨスカの章」です
少年は呪術師の女オルガの助手となった時、感染病に冒されて高熱を出し、地面に埋められる療法を受けるが、カラスの群れに襲われる からくも災難を逃れて川に流されて辿り着いた粉屋では、嫉妬深い主人のミレルが妻と使用人の男との不倫を疑い、男の両目をスプーンで抉り出すところを目撃する 粉屋をそっと抜け出した少年はレッフという鳥売りの男と出会う。彼にはルドミラという恋人がいたが、奔放な彼女は不特定多数の男たちと関係を持っていた ある日、レッフは戯れに、小鳥の羽にペンキを塗って空に放す。鳥の群れに合流しようとした小鳥だったが、色を塗られた小鳥は”異質な存在”だった 小鳥は他の鳥たちから突かれ、羽をもがれて地面に墜落する。それはまさに少年の姿そのものだった
森の中で、コサックの男たちに目を付けられた少年は、「ユダヤ人」として無理やりドイツ軍の駐屯地に送られる 老いた兵士ハンスと共に線路を歩き、行き止まりまで行くと、兵士は銃を構えて空砲を撃つ。射殺されるはずの少年は老兵士に助けられたのだった その後、少年は心優しい司祭に拾われ侍者として教会に仕えるようになる 司祭は病に侵されて余命いくばくもないことから、少年を信者のガルボスに預ける。しかし、彼は性的虐待者だった 少年は山の中でナイフを拾い隠し持っていたが、それがガルボスに見つかり、拾った場所まで案内するよう命令される ガルボスに殺意を感じた少年は一計を案じて、彼を無数のネズミがうごめく深い穴倉に落とし入れる
少年はいつしか口がきけなくなっていた 雪原を彷徨う少年はラビーナという若い女に拾われる。彼女は年老いた男と一緒に暮らしていたが、やがて老人は死んでしまう ラビーナの欲望は少年に向かう。彼は彼女を受け入れるが、次第に彼を邪見に扱うようになる 反感を持った少年はラビーナの山羊を殺し、その頭部を窓から投げ入れる その後、彼は山道で老人に追いはぎを働く。彼はもはや、やられっ放しの少年ではなく、自分の身を守るためには人を襲うまでになっていた
少年は戦災孤児としてソ連軍の駐屯地で保護される。寡黙な狙撃兵のミートカは言葉を話せない少年に親近感を覚え、別れ際に拳銃をプレゼントしてくれる 街で物売りから「ユダヤ人」と罵倒された少年は、彼の後をつけていき銃殺する 彼は自分を攻撃する者に対しては躊躇なく反撃を加える強い人間に変身していた ある日、見知らぬ男が少年を迎えにきた。彼は少年にこう言う。「一緒に帰ろう。母さんが待っている」。父親とバスの座席に座った少年は窓ガラスに「ヨスカ」と書く。それは両親が付けた彼の名前だった
この映画の原題は「The Painted Bird」(色を塗られた鳥)です 少年は「オリーブ色の肌に黒髪」で、「白い肌で金髪」の東欧系の農民たちとは異なった外見をしていたため、「ジプシーかユダヤ人の浮浪者」と看做されていました 「色を塗られた鳥」は「少年」の比喩なのです。単に肌や髪の毛の色が違うという理由だけで残酷な仕打ちを受けるのです。これを映像で表したのが「レッフとルドミラの章」です
日本でも戦争中、都会から田舎に疎開した子どもが「言葉が違う」という理由でイジメに遭っていたということは、様々な小説やエッセイで描かれています この映画は「人間というものは自分たちのグループと違う種類の他人=異物がコミュニティーに入ってくると徹底的に排斥しようとするものだ。それは人間の本性であり国や時代を問わない」ということを訴えているようです コロナ禍における現代の日本に置き換えれば、感染者数の多い東京から地方に行った東京ナンバーの車が「〇〇県に来るな!」といたずら書きされたり、白い目で見られたりするのと似ているかもしれません
この映画の大きな特徴は、第一に35ミリ・モノクロフィルムによる「リアリティー」の創出です デジタルにない独特の質感が見事です 次に、台詞が極端に少なく、話される言葉はスラヴ諸民族の間の人工共通語である「インタースラヴィック」という言語を使用していることです これは、物語の舞台が「東欧のどこか」であり、チェコでも、スロヴァキアでも、ポーランドでも、どこでもないことを表したかったからです さらに、映像に被せるBGMが一切ないということです 冒頭のシーンで、少年が老婆の家にある古いピアノでベートーヴェンの「エリーゼのために」を弾くシーンがありますが、決してBGMとして使われているわけではありません 最後の特徴は、少年を演じたペトル・コトラールの存在感です 彼は俳優ではなく 普通の少年とのことですが、その澄んだ目が印象的です いずれにしても、ごく普通の少年に これでもか と残酷な苦難が次々と襲いかかりますが、最後に希望の光が差すのがせめてもの救いです
この映画ではBGMが使われていない、と書きましたが、エンディング・テーマは流れます イスラエルの作曲家ナオミ・シュメルによる「ユーカリの木立」という歌で、ルドミラ役のイトカ・チュヴァンチャロヴァ―によって歌われています 1963年にヘブライ語で作詞・作曲されたこの歌の内容は「昔々、ヨルダン川のほとりにあるユーカリの森のそばで、父と母は家庭を持った。時は過ぎて、美しかった母の髪は白くなった。けれど、川の流れは今も変わらず、ユーカリの森とともに、静かにそこに佇んでいる」というものです 抒情的な歌を聴きながら、われわれは少年の苛酷な半生を振り返ることになります
この映画を観終わって思い出したのは、昨年10月に渋谷のシアター・イメージフォーラムで観たタル・ベーラ監督「サタン・タンゴ」です 1994年製作のこの映画は上映時間=7時間18分の超長尺作品ですが、やはりモノクロ映像で台詞が少ない映画でした 興味のある方は2019年10月4日付toraブログをご覧ください 「異端の鳥」との大きな違いは「サタン・タンゴ」が長時間ワンカット映像が特徴だったのに対し、「異端の鳥」はカット割りが細かいということですが、映像のリアリティーについては共通しています 「異端の鳥」は「サタン・タンゴ」とともに不朽の名作として映画史に残ることでしょう