人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

「コロナ禍 音楽との新しい関係」~ 金子三勇士 ✕ 水野蒼生による対談:朝日の記事から / 門馬直美著「ベートーヴェン 巨匠への道」を読む ~ 知られざるベートーヴェンも

2020年10月03日 07時17分01秒 | 日記

3日(土)。昨日、池袋の新文芸坐で今敏監督によるアニメーション映画「PERFECT  BLUE」と「千年女優」の2本立てを観るつもりで開演40前に行ったのですが、「前売りで完売し、当日券はありません」と冷たく言われました 間近、いや、マジか!と思いましたが、ネット予約ですべて売り切れたとのこと また、本日上映の同監督による「東京ゴッドファーザーズ」と「パプリカ」も、残席は最前列左右の端だけという状況とのことでした ただ5日(月)の「東京~」と「パプリカ」はまだ余裕があるというので座席指定を取っておきました アニメ映画ということで、余裕で当日券が買えると甘く見ていたのが間違いでした アニメ映画にはヲタク的な熱烈なファンが大勢いると考えるべきでした アニメ・ファン 恐るべし

ということで、わが家に来てから今日で2193日目を迎え、トランプ米大統領は2日、自身とメラニア夫人が新型コロナウイルスの感染検査で陽性だったとツイッターで表明した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     自身の管理能力も 国の管理能力も 微塵もないことが露呈した  誰が選んだんだ!?

 

         

 

昨日、夕食に「チキンステーキ」と「キャベツの中華スープ」を作りました やっぱりワインが合いますね

 

     

 

         

 

昨日の朝日朝刊「第2東京面」に「コロナ禍 音楽との新しい関係」と題する対談が載っていました 対談しているのは、日本人の父とハンガリー人の母のもとに1989年に生まれたピアニスト・金子三勇士氏と、1994年生まれで ザルツブルク・モーツアルテウム大学を首席で卒業し、クラシカルDJとして2018年にドイツの名門レーベル・グラモフォンから初のクラシック・ミックスアルバムをリリース、今年3月に2枚目の「BEETHOVEN」を発表した指揮者・水野蒼生氏です

二人の対談で興味を引かれたのは、「生演奏とライブ配信」の問題です 金子氏は次のように語ります

「6月に信州上田の野外ステージでコンサートを開いた オンラインで音楽番組風のライブ配信も始めた トーク番組のように司会をしてゲストを招いて演奏する 客が書き込んだコメントにその場で答えるライブ感。ふたを開けてみたら自分の負担がかなり大きかったが 会場で演奏するだけがライブなのか、ということに辿り着く オンラインで聴く機会があれば『やっぱり生も聴きたい』となるし、オンラインだからできる挑戦をしたい

一方、水野氏は次のように語ります

「5月の大型連休の『ラ・フォル・ジュルネ音楽祭』が中止になり、代わりにインスタグラムでのDJライブを3日間、自室から送ったが、いつもとは違う緊張感があった ライブ配信の方が客とのコミュニケーションが活発。これまでステージと客席に二分されていたのが、ネットを介しおしゃべりできて存在がとても近い 客の声をガッツリ聞ける機会は貴重だ。コロナ後も生かせるツールだと思う 一方で、『何をもってリアル、ライブというのか』というのが分からなくなってきた ネットなら地球の裏側にいる人とだって、その瞬間を共有できるし

次に「欧州で音楽教育を修めた二人に、東京の音楽シーンはどう映るか」について、水野氏は次のように語ります

「都内にプロのオーケストラが9つもある。そんな街は世界中ない。クラシックをモチーフにした『蜜蜂と遠雷』とか『のだめカンタービレ』とか、ドラマ、映画にも大きな影響を受けた なのに本来のエネルギーを発揮できていない 見せ方や方向を少し変えれば、もっと力を持つはず 恩返しをしたい、もっと楽しもう、とクラシカルDJを試みている

一方、金子氏は次のように語ります

「世界中のアーティストを生で見られ、刺激にあふれる街 でも、まだ出会えていない人も多い。ハンガリーでは、学生証があれば無料で劇場の空いている席に座らせてくれた

最後に「アフターコロナ、音楽はどうなるか」に関して、水野氏は次のように語ります

「今までのスタイルに戻すのではなく、インスタライブも生の演奏会も、うまくすみ分ける時代になっていく 両方の価値を認知してもらう活動をしなくては

一方、金子氏は次のように語ります

「広島で久しぶりの公演後、サイン会ができない代わりにツイッターで感想を募集したら、率直で面白かった 客は生のコンサートとオンラインとを自然に分けて楽しんでいる 我々は一人でも多くの人に良い音楽を届ける。そこは変わらない

この対談を読んで、二人に共通しているのは「クラシックの演奏を会場で聴くだけがライブではない。オンラインによるライブ配信は世界中の人に同時に音楽を届けることが出来る。この双方を共存させながらクラシック音楽の普及を図るべきではないか」ということだと思います

私の考えは、「ライブはあくまでもコンサート会場で、演奏家と聴衆とが同じ空間の中で音楽を共有する”体験”である」と思っているので、「ライブ配信は生演奏を聴く間接的な手段に過ぎない」と思っていますが、実際にはコンサート会場で生で演奏を聴ける人の数は限られているし、近くにコンサート会場がないとか、あってもクラシック音楽が演奏されないとか、物理的に聴けない状況下にある人が多数いらっしゃることは意識しなければならないと思います そうは言うものの、私が東京から離れられないのは、複数のコンサート会場、映画館、大型書店が比較的近くにあるからです

 

         

 

 門馬直美著「ベートーヴェン 巨匠への道」(講談社学術文庫)を読み終わりました   本書は1987年に春秋社から刊行された「ザ・ベートーヴェン」を2020年8月に文庫化したものです 門馬直美氏は1924年、東京生まれ。東京大学理学部卒業。放送局勤務の後、常葉女子短期大学教授、洗足学園音楽学部教授、サントリー音楽財団顧問などを務める。音楽評論家として活動。2001年死去。門馬直美氏と言えば、私にとっては月刊誌「レコード芸術」のレコード評でお馴染みの音楽評論家でした

 

     

 

著者の門馬直美氏は「あとがき」の中で次のように書いています

「この本は、『ベートーヴェンに関することども』といった内容を持ち、ベートーヴェンの人間性とその音楽を多面的・多角的にとらえてみようという意図で書かれた したがってこれは、ベートーヴェンのたんなる伝記でもないし、その作品の解説書でもない。ひとつのテーマを設定し、それを掘り下げてゆくというスタイルで、本書の各章は構成されている

門馬氏の解説どおり、本書は次の各章と途中の「インテルメッツォ」から構成されています

《プロローグ》  波乱の生涯・スケッチ

第1話「ベートーヴェン以前のボン」

第2話「ボンの人々」

第3話「青春のボン」

《インテルメッツォ》  ベートーヴェンの愛 ~ 婚約説をめぐって

第4話「第十交響曲のゆくえ」

第5話「『シンフォニア・エロイカ』の謎」

第6話「メルツェルさん、さようなら」 ~ メトロノーム考

第7話「『ウェリントンの勝利』の顛末」

《インテルメッツォ》 ベートーヴェンと宗教 ~ フリーメーソンだったのか?

第8話「イギリスへの夢」 ~ ニートとの交際をめぐって

第9話「あるパトロンの末路」 ~ ラズモフスキー伯爵の場合

第10話「オペラのライヴァル」 ~ 同時代人ウェーバー

第11話「奇妙な交友関係」 ~ 肥満チスト・シュパンツィヒ

《インテルメッツォ》 ベートーヴェンの生活

第12話「『第3の故郷』ボヘミア」

第13話「ヴァイオリン・コンプレックス」

第14話「コントラバスとマンドリン」

第15話「ダンス音楽への愛着」

《エピローグ》「『歓喜』の背景~日本人とベートーヴェン」

まず最初の「《プロローグ》  波乱の生涯・スケッチ」を読むと、ベートーヴェンの生い立ちから、ボンでの少年時代、ウィーンでの青年時代、”傑作の森”の充実期、後期の時代、晩年の孤高の時代までを概観することができます

「生い立ち」を読んで私が初めて知ったのは、ベートーヴェンの祖父のことです 門馬氏の解説によると、

「ベートーヴェンの祖父(ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン:巨匠と同じ名前)は1733年にリエージュからボンに移住してきた。もともと歌手で、ボンの宮廷楽団に加わり、61年には楽長になったほどの人である ドイツの女性と結婚して3人の子どもをもうけたが、そのうちただの一人、次男のヨーハンだけが成長した。このヨーハンがベートーヴェンの父親である。祖父はベートーヴェンが3歳のときに死去しているが、ベートーヴェン家では祖父のことがしばしば話題になり、幼いベートーヴェンの心に出世の目標となっていたことは充分に考えられる 祖母は、酒の商売を内職にしていたことから、やがてアルコール依存になってしまった。父ヨーハンは、祖父の口利きで宮廷のテノール歌手となったが、才能も祖父ほどにはなく、忍耐力にも乏しくて、祖母と同じように酒の魔力に惹かれて、ついには酒なしでは生活できないようになってしまう

父親のアル中は知っていましたが、祖父も立派な音楽家だったことは初めて知りました

内容的に興味深かったのは第6話「メルツェルさん、さようなら」 ~ メトロノーム考です。

ヨーハン・ネーポムク・メルツェルは、1808年に「宮廷室内機械技師」という称号を受けたほどの優れた技術者で、「メトロノーム」の発明者として有名です しかし、この本によると、実際の発明者はオランダ人技師ヴィンケルだというのです メルツェルはヴィンケルの発明した機械のアイディアをパクって、振子の長さを示す段階の数値を記入し「メトロノーム」と命名して特許申請したというのが真相のようです ヴィンケルはメルツェルを相手取って訴訟を起こしますが、メルツェル勝訴の判決が下された時には、すでに「メトロノーム」は売れに売れ、メルツェルは莫大な利益を上げていたそうです 実にしたたかな男です 彼にはレーオナルト・メルツェルという弟がいましたが、彼も「宮廷室内機械技師」の称号を持つ優秀な技術者でした ベートーヴェンは難聴に苦しんでいましたが、この弟レーオナルト・メルツェルが彼のために補聴器を作りました 「メトロノーム」で一儲けした兄ヨーハンが補聴器も作ったと勘違いされることが多いそうです

また「《インテルメッツォ》 ベートーヴェンと宗教 ~ フリーメーソンだったのか?」も興味深いものがあります 門馬氏によると、ベートーヴェンがボンにいた時には、フリーメーソンへの加入が一種の流行ともいえる現象になっていたといいます その上で次のように書いています

「ボン時代にベートーヴェンがフリーメーソンに加入していた可能性は充分にある ベートーヴェンが1792年にボンでシラー『歓喜に寄す』に共鳴して作曲を企てたことも、すでにフリーメーソンの思想を抱いていたからではないかと考えられてくる シラーは、この詩を1785年にドレスデンでフリーメーソンのために書いたのだった そして、当時のドイツのフリーメーソンの会員たちは、この詩を自分たちの思想を歌ったものとして愛唱していたという ベートーヴェンがこの詩を気に入っていたことも事実である。いうまでもなく、このシラーの頌歌は、のちに第九交響曲に使われることになった この時期においても、フリーメーソンの自由・平等・博愛の精神が胸中にあった、とみるのは考えすぎだろうか とにかく、ベートーヴェンが自由・平等・博愛を求め、憧れていたことは、周知の通りである

門馬氏は、「ベートーヴェンが現実にフリーメーソンの会員だったと ここで断定しているわけではない」と付言していますが、相当その考えに傾いていることは確かなようです

「《インテルメッツォ》 ベートーヴェンの生活」を読むと、ベートーヴェンがビールよりもワインを好み、料理では魚料理が大好物だったことなどが分かります

270ページほどの文庫本ですが、活字が小さいので内容的にはかなりの文章量になっています しかし、章立てに従って読む必要もないので、時間がある時に興味のある章を読むなど自由に読み進むことが出来ます ベートーヴェン・イヤーの今、読んでみてはいかがでしょうか

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