人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

「全米図書賞」受賞作、柳美里著「JR上野駅公園口」を読む ~ 福島県から上京した一人のホームレスを通して描いた日本の光と闇

2021年02月09日 07時16分20秒 | 日記

9日(火)。わが家に来てから今日で2322日目を迎え、中国で新型コロナウイルスの感染拡大にいち早く警鐘を鳴らして処分され、自らも感染した湖北省武漢市の医師・李文亮氏がなくなって7日で1年となったが、世界保健機関の調査団が1月14日に武漢市に入った後、新型コロナで家族を亡くした武漢市の遺族らが参加するSNSのチャットグループが閉鎖されたと遺族の一人が日本経済新聞に明らかにした  という記事を読んで感想を述べるモコタロです

 

     

     独裁主義者による覇権主義国家は 言論弾圧によって政権を維持する傾向があるよね

 

         

 

昨日は、今日の葬儀のために鶴岡から帰京した息子が、夕食に「豚肉と野菜のオイスターソース炒め」「トマトと大根のサラダ」「野菜と玉子スープ」を作ってくれました やっぱりわが家で一番料理が上手いのは息子だと思います

 

     

 

         

 

柳美里著「JR上野駅公園口」(河出文庫)を読み終わりました 柳美里(ゆう・みり)は1968年生まれ。高校中退後、東由多加率いる「東京キッドブラザース」に入団。役者、演出助手を経て、86年に演劇ユニット「青春五月党」を結成。93年「魚の祭」で岸田國士戯曲賞を最年少で受賞。97年「家族シネマ」で芥川賞を受賞 全米図書賞(翻訳文学部門)を受賞した本書をはじめ著書多数

 

     

 

本書は1933年、昭和天皇と同じ日に福島県相馬郡(現・南相馬市)に生まれた一人の男の生涯を通じて、日本社会の光と闇に迫った物語です 主人公の男性は、相馬郡鹿島町で生まれ育ち、結婚して所帯を持ちながら、出稼ぎ労働者として上京して20年余りを東京で暮らし、その間、21歳の息子と自分の両親を相次いで亡くし、地元に戻り妻と一緒に暮らしたものの その妻も亡くし、孫娘に世話をかけたくないという思いで、あてもなく上京し上野公園でホームレスとして暮らしています

上野公園ではホームレスの間で「山狩り」と呼ばれる「特別清掃」が行われていました 天皇家の方々が博物館や美術館を観覧する前に、ホームレスは段ボールやブルーシートで設えた小屋を畳み、公園の外に出なければなりませんでした その風景を描いた一節に次のような文章があります

「JR上野駅公園口から、リュックサックや楽器のケースを背負った若者たちが歩いてくる 傘の中でヘッドホンで音楽を聴いたり、傘を近づけて談笑したり・・・、上野公園の目抜き通りを直進して東京都美術館脇を抜けたところにある東京藝術大学の学生だろう

著者がこの小説を構想したのは2006年だということですが、たしかにその頃、上野公園の東京都美術館の裏手辺りを中心にブルーシートや段ボールで設えた小屋がありました それらを横に見ながら藝大の学生たちや、私を含めて芸大奏楽堂にコンサートを聴きに行く人たちが通り抜けていきました この文章を読んで私が感じたのは、親の潤沢な資金力で高価な楽器を買い与えられて毎日レッスンに励むことのできる藝大生の恵まれた環境と、碌に住む家も定職もないホームレスの人たちの悲惨な環境とのギャップです

著者はその後、2014年に再び上野公園を訪れていますが、「上野公園は、最初に『山狩り』を取材した2006年から比べると、劇的にきれいになり、ホームレスの方々は限られたエリアに追いやられていました」と単行本の「あとがき」に書いています さらに、「昨年、2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催が決定しました」と書き、「オリンピック関連の土木工事には、震災と原発事故で家や職を失った一家の父親や息子たちも従事するのではないかと思います」と続け、「多くの人々が、希望のレンズを通して6年後の東京オリンピックを見ているからこそ、わたしはそのレンズではピントが合わないものを見てしまいます。『感動』や『熱狂』の後先を」と書いています

本書は、一人のホームレスの姿を描いていますが、一口にホームレスと言っても、一人ひとりにそうなった事情があり、それぞれの人生があるのだということを教えてくれます われわれは帰る家があるだけでも幸せだと思わなければならないのかもしれません

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新国立オペラでモーツァルト「フィガロの結婚」を観る 〜 ヴィート・プリアンテ、大隅智佳子、ダリオ・ソラーリ、臼木あい、脇園彩、妻屋秀和、吉原圭子にブラボー! / 岩波ホール再開

2021年02月08日 07時19分51秒 | 日記

8日(月)。昨日の朝日朝刊 東京面「コロナ禍の首都を歩く 19  @神保町」は「改修し再開 岩波ホール満席」という見出しで、6日に上映を再開した岩波ホールを紹介していました 超訳すると、

「岩波ホールは老朽化で改修する予定だったところにコロナ禍があり、昨年は半年近く休館した 4か月余りの改修工事を経て今月6日に上映を再開した。改修後、座席の間隔を広げて見やすくした 192席あるが、感染症対策のため105席で再出発した。同ホールは創立53周年。国内外の優れた映画の紹介に力を入れ、日本の映画文化を牽引してきた 基本的に1つの映画を6,7週間続けてじっくり上映する。『これが岩波ホールが推す映画』と明確に打ち出す姿勢が、国内外から尊敬を集めてきた 現在、北海道室蘭市を舞台にした坪川拓史監督『モル二エの霧の中』(214分)を上映中だ。支配人の岩波律子さんはロビーで観客を見送り、『体に食べ物が必要なように、心には文化が必要です。これからもみなさまなの心の支えになるような映画を上映したい』と力を込めた

岩波ホールは1年以上行っていないと思います 近いうちに 行ってみようかな

ということで、わが家に来てから今日で2321日目を迎え、池江璃花子が、競泳ジャパン・オープン50メートル自由形決勝で24秒91を記録し第2位に入り、白血病からの復帰以来初の表彰台に上がった  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

       コロナ禍で気が滅入っている日本で 久々に明るいニュースだ  頑張れ 池江選手!

 

         

 

昨日、新国立劇場「オペラパレス」で新国立オペラ、モーツァルト「フィガロの結婚」の初日公演を観ました キャストは、アルマヴィーヴァ伯爵=ヴィート・プリアンテ、伯爵夫人=大隅智佳子、フィガロ=ダリオ・ソラーリ、スザンナ=臼木あい、ケルビーノ=脇園彩、マルチェリーナ=竹本節子、バルトロ=妻屋秀和、バジリオ=青地英幸、ドン・クルツィオ=糸賀修平、アントーニオ=大久保光哉、バリバリ―ナ=吉原圭子ほか。合唱=新国立歌劇場合唱団、管弦楽=東京交響楽団、指揮=沼尻竜典、演出=アンドレアス・ホモキです

私が新国立オペラの「フィガロの結婚」を観るのは、2003年、2005年、2007年、2010年、2013年、2017年に次いで今回が7回目(演出はすべてアンドレアス・ホモキ)です ステージ上は衣装ダンスと引っ越し用の段ボール箱が数個だけのシンプルな舞台ですが、それが反ってロングランに繋がっているのかもしれません 私は素直ではないので、余計な舞台経費が掛からないから安上がりの舞台で助かっているのではないか、と思ってしまいます

今回、新国立劇場から送られてきたチケットは2階3列15番、センターブロック左通路側のA席です 初日公演とはいえ、同じ演出の7回目、コロナ禍による緊急事態宣言下の公演ということでか、満席までは遠い客入りですが、それでも結構入っている方だと思います

 

     

 

元理髪師で今はアルマヴィーヴァ伯爵の召使いフィガロは、伯爵夫人の小間使いスザンナとの結婚を控えている 初夜権を一旦放棄したもののスザンナに気がある伯爵は その権利の復活を企んでいる  一方、夫の愛が冷めていくことを嘆く伯爵夫人は、フィガロ、スザンナと結託し、思春期の小姓ケルビーノを巻き込んで伯爵の鼻を明かそうと企む    伯爵はまんまと策略にかかり、夫人に平謝りして大団円を迎える

 

     

 

2階席の3列目なのでオーケストラピット内が良く見えます コンマスはグレブ・二キティンです。あれっ?と思ったのは、フルートに見たことのある白髪の紳士がスタンバイしていたからです。数年前まで新日本フィルの首席を務めていた白尾彰氏です 他のオケのOBでも実力があれば声がかかるのでしょう

沼尻竜典の指揮で序曲の演奏に入ります 終始 軽快なテンポで進み「ラ・フォル・ジュルネ(狂おしき1日)」の幕が開きます

アルマヴィーヴァ伯爵を歌ったヴィート・プリアンテは、ナポリ生まれのバリトンですが、長身で威厳があり余裕のある歌唱力と相まって伯爵に相応しい役柄だと思いました が、もう少し色気があっても良かったかもしれません

伯爵夫人を歌った大隅智佳子は、コロナ禍の影響で来日出来なくなったセレーナ・ガンベロ―二の代演として起用されましたが、第2幕冒頭の「カヴァティーナ」、第3幕の「レチタティーヴォとアリア」をはじめ、美しくも力のあるソプラノを披露し聴衆を魅了しました

フィガロを歌ったウルグアイ出身のダリオ・ソラーリは、前回の新国立オペラ「トスカ」でスカルピアを好演し、今回は来日できなかったフィリッポ・モラーチェの代演として急きょ出演が決まりました これが悪役スカルピアを歌った同じ歌手か!と思うほど演技の切り替えが見事で、第1幕のアリア「もう飛ぶまいぞこの蝶々」、第4幕のレチタティーヴォとアリア「女の邪悪な正体を見極めろ」をはじめ、よく通るバリトンで歌い上げました

スザンナを歌った臼木あいは、2019年「紫苑物語」で千草を歌って以来の新国立オペラへの登場ですが、独特の美しい声質で、演技力にもそつがなく、聡明なスザンナにピッタリのソプラノでした

ケルビーノを歌った脇園彩は、新国立オペラの2019年「ドン・ジョバンニ」ドンナ・エルヴィーラで好演し、2020年「セヴィリアの理髪師」ロジーナで絶賛されたメゾソプラノですが、今回はズボン役で、第1幕のアリア「自分で自分が分からない」、第2幕のアリア「恋とはどんなものかしら」をはじめ、思春期の少年の揺れるを想いを見事に歌い上げました

マルチェリーナを歌った竹本節子は、もうこの役はこの人しかいない、というほど板に着いた演技力です

バルトロを歌った妻屋秀和は、新国立オペラを代表するバスと言っても良いほど、どんな役柄もそつなく歌い演じる歌手ですが、この公演でも存在力が抜群でした

バリバリ―ナを歌った吉原圭子は、小柄なこともありこの役柄がピッタリで、第4幕冒頭のカヴァティーナ「ピンをなくしてしまった」は、少女の不安な心理を見事に歌い上げていました

沼尻竜典指揮東京交響楽団は、歌手に寄り添いながら、モーツアルトの目まぐるしく変化する世界を描き出していました 特に 伯爵夫人の「カヴァティーナ」と「レチタティーヴォとアリア」の傷心に寄り添った荒木奏美のオーボエは特質に値します

 

     

 

このオペラを観ていて、いつもワクワクするのは第2幕の約20分もの間 音楽が途切れないフィナーレです 隣室(本公演では衣装ダンス)からケルビーノと入れ替わったスザンナが登場すると、伯爵は夫人を疑ったことを夫人とスザンナに責められる(伯爵=不利) ⇒  そこに事情を知らないフィガロが現れ、さらに庭師のアントーニオが「窓から人が飛び降りた」と言いつけに来る(フィガロ=不利) ⇒  フィガロは機転を利かせて言い逃れる(伯爵=不利) ⇒  今度はマルチェリーナがバルトロとバジリオを連れて現れ、貸金契約に基づくフィガロとの結婚を要求する(フィガロ=不利)。ここで舞台上の登場人物は8人(本公演では7人)になり、この間 重唱に次ぐ重唱が歌われ、ステージ上は混とんのまま幕が降りる・・・という超ロング・フィナーレです

2人が3人になり、3人が4人になり、4人が7人になり、と登場人物が次々と増えていき、「フィガロ・スザンナ・伯爵夫人グループ」 対「伯爵・マルチェリーナ・バルトログループ」の形勢が目まぐるしく変わっていきます オペラ史上これほど複雑で興奮に満ちたフィナーレがあっただろうか

今回はコロナ禍の下での公演ということで、同じ演出家による公演とはいえ これまでの6回の公演とは異なる点がありました それは歌手同士のソーシャルディスタンスを取る必要から、本来笑いをとれるシーンで笑いが起こらないといった事象に表れていました 例えば、①第1幕のスザンナとマルチェリーナが慇懃無礼な挨拶や嫌味なお世辞を歌にのせて交わすシーン、②同じ第1幕のスザンナを口説きに来た伯爵と、ケルビーノを隠そうとするスザンナと、傍観者的なバジリオが入り乱れてあたふたするシーン等です しかし、これは今回限りのことだと思います

前述の通り、今回の公演は歌手陣のパフォーマンスが押しなべて良かったので、初日公演としては大成功だったのではないかと思います

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キム・スンウ監督「ブリング・ミー・ホーム 尋ね人」を観る 〜 必死で息子を探す母親を好演するイ・ヨンエ / アメリカで国民にマスク配布 〜 バイデノマスクを推奨します

2021年02月07日 07時20分05秒 | 日記

7日(日)。昨日の日経夕刊によると、米政府は新型コロナウイルスの感染対策として、国民にマスクの配布を検討していることが5日わかったとのことです 鼻や顎が出てしまう小さめサイズの「アベノマスク」を反面教師として、バイデン大統領にはサイズ倍での「バイデノマスク」を推奨したいと思います

ということで、わが家に来てから今日で2320日目を迎え、2019年7月の参院選をめぐって公職選挙法違反(買収)の罪に問われ、参院議員を辞職した河井安里被告に対する懲役1年4か月執行猶予5年の東京地裁判決が5日確定したことを受け、過去に遡って安里氏の当選は無効になるが、国会法の規定により選挙後の議員活動や給与・交通通信費等(合計4942万円)は有効として扱われる  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     まったくふざけた話だ 有罪判決を受けたら給与等は返還すると国会法を改正すべき

 

         

 

新文芸坐でキム・スンウ監督による2019年製作韓国映画「ブリング・ミー・ホーム 尋ね人」を観ました

看護師として働くジョンヨン(イ・ヨンエ)と夫のミョングクは、6年前に行方不明になった息子ユンスを捜し続けていた 捜索途中に夫が悲劇的な自動車事故に遭い、憔悴しきった彼女の元に「ユンスに似た子を郊外の漁村で見た」という情報が寄せられる その情報をもとにジョンヨンは漁村に向かうが、彼女の前に立ちはだかったのは釣り場を営む怪しげな一家と、そこに出入りする警察官だった

 

     

 

主人公のジョンヨンを演じたイ・ヨンエは、かつて大ヒットしたドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」でお馴染みの女優さんとのことですが、残念ながら私は観たことがありません

カメラはジョンヨンの絶望した顔、必死に息子を探し求める母親の顔、釣り場経営者一家や警察官に対する怒りの顔、亡き息子と対面した時の涙にくれる顔・・・様々な表情を映し出しますが、その時々のイ・ヨンエの演技力が光ります

正直言って先の展開が読めない点が一番の魅力と言っても良いかもしれません ジョンヨンは息子ユンスと再会を果たしたものの、目の前でユンスは海に呑まれて死んでしまいます このままだと何の希望も残らないので、監督は最後に ジョンヨンが釣り場経営者一家の男の子(実は誘拐されてきた)を救い出して、自分の子供として育てるという結論を用意します

ジョンヨンを海に沈めようとして、反抗にあい 逆に自分が沈む羽目に陥った警察官が死の間際に叫んだ言葉が印象的です

「だれも働いている子ども(ユンス)に注意を払わなかったじゃないか。見て見ないふりをしていたじゃないか

これは、釣り場にきたお客はこき使われているユンスを見たはずなのに、見て見ぬふりをしている人たちばかりだったことを表しています 人々の無関心が誘拐事件を引き起こすのだということを暗示しているように思えます

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カリン・クサマ監督「ストレイ・ドッグ」を観る 〜 ニコール・キッドマンが汚れた刑事役に初挑戦 /  昨年のマイベスト1映画「異端の鳥」鑑賞のお薦め 〜 新文芸坐

2021年02月06日 07時20分52秒 | 日記

6日(土)。わが家に来てから今日で2319日目を迎え、菅義偉首相は4日の衆院予算委員会で、新型コロナウイルスの感染者と濃厚接触した可能性を通知するスマートフォン向けアプリのうちアンドロイド端末では4か月間、陽性の登録があっても通知されない状態になっていたことについて「お粗末だ」と述べた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     内閣支持率が下落する菅内閣の政策がこれ以上「お粗末」と言われないように祈る

 

         

 

昨日、夕食に「チキンステーキ」を作りました お酒はやっぱりワインでしょう

 

     

 

         

 

昨日、新文芸坐でカリン・クサマ監督による2018年製作アメリカ映画「ストレイ・ドッグ」(121分)を観ました

ロサンゼルス市警の女性刑事エリン・ベル(ニコール・キッドマン)は、酒におぼれ、同僚や別れた夫、16歳の娘からも疎まれる人生を送っている 17年前、FBI捜査官クリスとともに犯罪組織に潜入捜査をしていたエリンは、そこで取り返しのつかない過ちを犯して捜査に失敗し、今なおその罪悪感に苛まれていた そんな彼女のもとに、ある日、差出人不明の封筒が届く 中には紫色に染まった1ドル紙幣が入っており、それは行方をくらませた17年前の事件の主犯からの挑戦状だった

 

     

 

この映画は日系女性監督カリン・クサマが、オスカー女優のニコール・キッドマンを刑事役に抜擢し、過去の失敗で心を蝕まれた女刑事が忌まわしい過去と向き合う姿を描いたサスペンス・ノワールです

この映画は、ニコール・キッドマンという女優のこれまでのイメージを覆す作品です 彼女は17年前と現在のヒロインを演じ分けていますが、特殊メイクも手伝って現在のエリンを”野良犬”(Stray Dog)のような眼光鋭い顔付きにしています 今まで、これほどまでに無頼漢的な女性刑事を主人公にした映画はあっただろうか とにかく彼女の体当たり演技が凄い

【以下、ネタバレ注意】

17年前、エリンとクリスは犯罪組織の仲間入りしたフリをして、彼らと共に銀行強盗を実行しますが、その時に、クリスが銃で撃たれて死んでしまい、エリンは彼を救うことができなかったのです 実は、エリンは刑事であるにも関わらず、クリスに銀行強盗で得た金を犯罪組織の仲間と山分けして上司にもバレないようにしようと持ちかけていたのです この映画の原題は「Destroyer」(破壊者)です。これまで男性の”汚れた刑事”はいくらでも例がありましたが、エリンは女性刑事の常識を覆えす「Destroyer」なのでしょう

 

         

 

昨年観た映画でマイベスト1に挙げた「異端の鳥」が池袋の新文芸坐でリバイバル上映されます これはバーツラフ・マルホウル監督による2019年製作チェコ、スロヴァキア、ウクライナ合作映画(モノクロ・169分)です

 

     

 

物語は、第二次世界大戦中の東欧のどこかで、ホロコーストを逃れた少年が一人で旅に出て、行く先々で「異物」と看做す人々から酷い仕打ちを受けながらも、何とか生き延びていくという内容です

新文芸坐での上映は次の通りです

2月7日(日)開場=10:40、開映=11:00、終映=13:50

〃11日(木)開場=19:10,開映=19:30、終映=22:20

全席指定で一般=1600円、学生・友の会・シニア=1200円です

上映前日の10:00からオンラインと現地窓口で販売(オンラインは+50円)されます

当日でも指定席は取れると思いますが、空席状況その他の詳細は  03-3971-9422  新文芸坐まで

映画の概要と感想については2020年10月14日付toraブログをご参照ください

 

     

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沼尻竜典 ✕ 小山実稚恵 ✕ 読売日響でチャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番」、メンデルゾーン「交響曲第4番”イタリア”」、ワーグナー「さまよえるオランダ人」序曲を聴く

2021年02月05日 07時19分39秒 | 日記

5日(金)。4回目の修理に出していた小型CDプレーヤー、DENON DCD50の修理が完了したというメールが入ったので池袋のBカメラに引き取りに行きました 今回はケルテスのドヴォルザーク「第8番」のCDと共に、修理依頼から9日目に回収しました 前回までは修理完了報告書に「CDの少しの汚れでも動作が鈍くなりますので、ご使用前に両面を清掃してから使用してください」という、まるでLPレコードを扱う時のような お願いごとが書かれていましたが、今回はさずがに「ご迷惑をおかけしました」というシンプルな謝罪が書かれていました Bカメラではアフターサービスに関するアンケートを実施中とのことで、協力を求められたので、店側にではなくメーカー側へとして、「もう2度と修理依頼に出すのはごめんだ」とコメントしておきました

ということで、わが家に来てから今日で2318日目を迎え、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が3日、「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」などと発言した問題で、海外メディアが女性蔑視発言だと批判的に取り上げる中、森会長は4日 陳謝した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     男女平等ランキングで過去最低の121位という日本を象徴する発言だ 許せない!

 

         

 

昨日、夕食に「ひき肉と野菜のドライカレー」を作りました 私の定番料理ですが、作るのは久しぶりでした。何回食べても飽きない味です

 

     

 

         

 

昨夕、東京芸術劇場コンサートホールで2021都民芸術フェスティバル参加公演「読売日本交響楽団」のコンサートを聴きました プログラムは①ワーグナー:歌劇「さまよえるオランダ人」序曲、②チャイコフスキー「ピアノ協奏曲 第1番 変ロ長調 作品23 」、③メンデルスゾーン「交響曲第4番 イ長調 作品90 ”イタリア” 」です 演奏は②のピアノ独奏=小山実稚恵、指揮=沼尻竜典です

自席は1階H列22番、センターブロック右から3つ目です 会場は1階後方が空いていますが、2階席は結構埋まっています 緊急事態宣言が1か月延長されたことにより自粛する人が増えたことと、小山実稚恵の演奏目当ての聴衆が多かったことが複雑に絡み合って、こういう客入りになったということでしょうか

オケは左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという いつもの読響の並び    コンマスは長原幸太。隣席には1年程前に退団した元コンマス・伝田氏がスタンバイしています。首席は第2ヴァイオリン=瀧村依里、チェロ=遠藤真理と富岡廉太郎のダブル、ヴィオラ=鈴木康浩という盤石の態勢です また、オーボエには2月末で退団する蠣崎耕三の顔が見えます。コロナ対策のため弦楽奏者を含め、譜面台は1人1台を使用します また、演奏をする時はマスクを着用せず、入退場時にマスクをするのが読響のスタイルです

 

     

 

1曲目はワーグナー:歌劇「さまよえるオランダ人」序曲です この曲はリヒャルト・ワーグナー(1813‐1883)が1841年に作曲、1843年にドレスデン宮廷歌劇場で自身のタクトにより初演した歌劇の序曲です

沼尻の指揮で演奏に入りますが、冒頭の日橋辰朗率いるホルンの素晴らしい演奏が幕開けを告げます この曲では、ホルン、トロンボーンといった金管楽器が大迫力で迫り、弦が渾身の演奏で海の波のうねりを表現します 沼尻は、芸術監督を務める びわ湖ホールにおける「びわ湖リング」でワーグナーの「指輪4部作」を完奏し話題を呼びましたが、今回もスケールの大きな演奏で聴衆を魅了しました

2曲目はチャイコフスキー「ピアノ協奏曲 第1番 変ロ長調 作品23 」です この曲はピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840‐1893)が1874年から75年にかけて作曲、1875年10月にボストンでハンス・フォン・ビューローのピアノ独奏、ベンジャミン・ラングの指揮により初演されました この曲は、モスクワ音楽院の院長ニコライ・ルビンシュタインの前で試演しましたが、「陳腐だ。書き直すなら演奏してもよい」と酷評されたというエピソードは有名です チャイコフスキーといえば、ヴァイオリン協奏曲も、当時の名ヴァイオリニスト、レオポルド・アウアーに「演奏不可能」と初演を拒否されています どうやらチャイコフスキーは時代を先取りしすぎて理解を得られなかったようです 第1楽章「アレグロ・ノン・トロッポ・エ・モルト・マエストーソ」、第2楽章「アンダンティーノ・センプリーチェ」、第3楽章「アレグロ・コン・フォーコ」の3楽章から成ります

ソリストの小山実稚恵がブロンズ系の衣装で登場、ピアノに向かいます 沼尻の指揮で力強い第1楽章が開始されます センターブロックでも右寄りの席なのでソリストの指使いは見えませんが、8列目なのでソリストの顔の表情や腕の筋肉の動きは良く見えます 彼女の表情を見ていると、この曲を弾くには頑強な肉体と精神力が必要なのではないか、と感じます 第2楽章では、CDで予習していた時は気付かなかったフレーズが浮かび上がってきたりして、この曲はこういう作品だったのか、と新鮮な気持ちになりました やっぱり、名曲は名演奏で聴かないとだめだな、とあらためて思いました この楽章では、オーボエ、フルートをはじめとする木管楽器が素晴らしい演奏を展開し、チェロの首席二人が叙情的な演奏で聴衆を魅了しました

第3楽章に入ると、途端にテンポアップし、さながら競争曲の様相を呈しました 独奏ピアノとオケとの丁々発止のやり取りが素晴らしく、圧倒的なフィナーレを迎えました

素晴らしい演奏にカーテンコールが繰り返されましたが、緊急事態宣言下で「アンコールはしない」ことが暗黙の了解となっているのか、アンコールの演奏はありませんでした

 

     

 

プログラム後半はメンデルスゾーン「交響曲第4番 イ長調 作品90 ”イタリア” 」です この曲はフェリックス・メンデルスゾーン(1809‐1847)が1831年から33年にかけて作曲、1833年にロンドンで初演されました 彼は1830年から翌年にかけてイタリア旅行を行っていますが、この曲はその時の印象をもとに書かれています 第1楽章「アレグロ・ヴィヴァーチェ~ピゥ・アニマート」、第2楽章「アンダンテ・コン・モート」、第3楽章「コン・モート・モデラート」、第4楽章「サルタレッロ:プレスト」の4楽章から成ります

沼尻の指揮で第1楽章の演奏に入ります 太陽が燦燦と輝き 澄み切った青空が広がるイタリアを思い浮かべる爽やかな演奏です    第2楽章は、チェロの刻みにのってヴァイオリンや木管が歌いますが、チェロの演奏が印象的です 第4楽章はタランテラのリズムが心地よく響きます これはメンデルスゾーン特有のスケルツォ的なリズムです 実に爽快な演奏でした

帰りがけに、時差退場の協力依頼のアナウンスが入りましたが、東京芸術劇場で聞いたのは初めてのような気がします 東京都から何らかの要請があったのでしょうか

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リー・ワネル監督「透明人間」、クレイグ・ソベル監督「ザ・ハント」を観る 〜 マーラー「交響曲第6番」、モーツァルト「ピアノ協奏曲第23番」も流れる

2021年02月04日 07時15分07秒 | 日記

4日(木)。わが家に来てから今日で2317日目を迎え、2019年の参院選広島選挙区をめぐり、公職選挙法違反(買収)の罪で有罪判決を受けた参院議員の河井安里被告が3日、山東昭子参院議長あてに議員辞職願を提出した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     当然だ! いつまでも国民の税金で養っている訳にはいかない! もう一人いたよね

 

         

 

昨日、夕食に「牛肉と玉ねぎの甘辛炒め」と「生野菜とアボカドのサラダ」を作りました お酒はワインですね

 

     

 

         

 

昨日、新文芸坐で「透明人間」と「ザ・ハント」の2本立てを観ました

「透明人間」はリー・ワネル監督による2020年製作アメリカ映画(122分)です

富豪の天才科学者エイドリアン(オリバー・ジャクソン・コーエン)に束縛された生活を送るセシリア(エリザベス・モス)は、ある夜、計画的に彼の豪邸から脱出を図る 悲しみに暮れるエイドリアンは手首を切って自殺し、莫大な財産の一部を彼女に残す しかし、セシリアは彼の死を疑っていた やがて彼女の周囲で偶然とは思えない不可解な出来事が次々と起こり、命まで脅かされるようになる 見えない何かに襲われていることを証明しようとするセシリアだが、やがて正気を失っていく

 

     

 

光学研究の第一人者であるエイドリアンは、姿を消すことができる”透明人間スーツ”を発明し、それを使って自分の元から逃げ出したセシリアに恐怖を与え、元の生活を取り戻そうとするサイコ・スリラーですが、観ている側が恐怖を感じるのは、画面に映っていない何者かがすぐそばにいるという恐怖と、おどろおどろしい音楽のせいです

この映画を観て、凄いと思ったのはセシリア役のエリザベス・モスの演技力です    見えない相手から精神的にも肉体的にも追い詰められ、憔悴しきって行くセシリアと、最後に勇気を出して 生きているエイドリアンに会いに行き、相手の武器を逆手にとって復讐を遂げた時の勝ち誇ったセシリアと、同じ女優とは思えないほどの落差があります

製作者の力の入れようが窺える見応えのある2時間でしたが、エンドロールが長すぎます

 

         

 

「ザ・ハント」はクレイグ・ソベル監督による2020年製作アメリカ映画(90分)です

12人の男女が広大な森の中で目を覚ます そこがどこなのか、どうやってそこにきたのか、誰にも分らない 目の前には巨大な木箱があり、中には1匹の豚と多数の武器が収められていた すると突然、周囲に銃声が鳴り響く。何者かに命を狙われていることが分かった彼らは、目の前の武器を手に取り、逃げ惑う やがて彼らは、ネット上の噂に過ぎないと思われていた、セレブが娯楽目的で一般市民を狩る「マナーゲート」と呼ばれる”人間狩り計画”が存在することを知る 絶望的な状況の中、狩られる側の人間であるクリステル(ベティ・ギルピン)が思わぬ反撃に出たことで、事態は予想外の方向へと動き始める そして、狩る側のセレブの女アシーナ・スト―ン(ヒラリー・スワンク)らによる「マナーゲート」の全容が明らかになる

 

     

 

この映画は、上流階級と下流階級との格差が、狩る側と狩られる側として置き換えられ、ネット上で根拠もないのに拡散する”陰謀論”などをテーマとして取り込みながら、アメリカ社会における階層の分断が描かれています クリステル役のベティ・ギルピンが冷酷で強い女性を好演しています

ところで、この映画における音楽の使い方には度肝を抜かれました 冒頭の「ユニバーサル」映画のクレジット映像から本編へと続けて入っていきますが、その音楽が何とマーラー「交響曲 第6番 イ短調 ”悲劇的” 」の第1楽章 冒頭の行進曲風の音楽なのです     映画を観終わってから振り返ると、アメリカ社会の分断の悲劇を皮肉っていたのかな、と思ったりしました

また、最後に狩る側のアシーナと狩られる側のクリステルが対峙するシーンでは、モーツアルト「ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488」の第2楽章「アンダンテ」の美しい音楽が流れ、二人の取っ組み合いシーンに移ると第3楽章「プレスト」の歓喜の音楽が流れます まさか、「人間狩り」の映画でモーツァルトが使われるなんて思ってもみませんでした 第2楽章は良いとしても、第3楽章の使用は 選曲ミスとしか思えません   しかし、同じ曲が楽章を変えて流れるところに意図があるとすれば、そもそもこの曲の使用自体が選曲ミスだと思います

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原田慶太楼 ✕ 前橋汀子 ✕ 東京交響楽団でブルッフ「ヴァイオリン協奏曲第1番」、ベートーヴェン「交響曲第3番”英雄”」、グリンカ「ルスランとリュドミラ」序曲を聴く

2021年02月03日 07時23分58秒 | 日記

3日(水)。わが家に来てから今日で2316日目を迎え、美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長らによる愛知県の大村秀章知事へのリコール署名活動で、県選挙管理委員会は1日、提出された署名43万5千筆のうち約83%が、同一筆跡などの無効の疑いがある署名だったと発表した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

       フェイクはトランプの専売特許じゃなかったんだね?  イエス 高須クリニック!

 

 

  昨日は諸般の事情により夕食作りはお休みしました  

 

         

 

昨夕、東京芸術劇場コンサートホールで2021都民芸術フェスティバル参加公演「東京交響楽団」のコンサートを聴きました プログラムは①グリンカ:歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲、②ブルッフ「ヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調 作品26」、③ベートーヴェン「交響曲第3番 変ホ長調 作品55 ”英雄” 」です 演奏は②のヴァイオリン独奏=前橋汀子、指揮=原田慶太楼です

自席は1階H列24番、センターブロック右通路側です    会場は市松模様を取らない通常配置ですが、結構聴衆が入っています

拍手の中、楽団員が登場し配置に着きます 弦は左奥にコントラバス、前に左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対向配置をとります コンマスはグレブ・二キティン。弦楽奏者は全員マスクを着用しています

 

     

 

1曲目はグリンカ:歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲です この曲はミハイル・グリンカ(1804‐1857)が1838年から42年にかけて作曲した5幕8場からなるオペラの序曲です

物語の舞台は古代キエフ公国。キエフ大公の娘リュドミラは悪魔チェルノモールに連れ去られますが、3人の求婚者がリュドミラを助け出そうと競争し、ルスランが救出に成功、二人は結ばれるというストーリーです 序曲は、ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルの超高速演奏と比べてどっちが速いか、と思わず比較してしまう趣が強い傾向にあります

指揮者を迎える拍手が起こるや否や、コンマスの二キティンはじめ楽団員が即、演奏する構えを見せたので、原田はやるな と思っていると、予想通りやってくれました 原田は 指揮台に上るや否や、拍手が鳴りやまないうちにタクトを振り下ろし、演奏に入りました     若き日の小澤征爾がよくやった棒さばきです     東響のメンバーは、原田の求める超高速演奏に応え、爽快な演奏を展開しました

2曲目はブルッフ「ヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調 作品26」です この曲はマックス・ブルッフ(1838ー1920)が名ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムの助言を受けて1866年に作曲した作品です 第1楽章「前奏曲:アレグロ・モデラート」、第2楽章「アダージョ」、第3楽章「終曲:アレグロ・エネルジコ」の3楽章から成ります

前橋汀子が赤(むしろ朱色か)の鮮やかな衣装で登場、原田の指揮で第1楽章に入ります     両足を少し開いてヴァイオリンを大きく振りかぶる前橋の姿を見て、歌謡界の女王・美空ひばりを思い浮かべました    美空ひばりにヴァイオリンを持たせたら前橋汀子になります(ならないか)。演奏は、第1楽章で原田がソリストに合わせにくそうに見えましたが、第2楽章以降は息が合ってきました 全体的にゆったりしたテンポで、ソリストもオケも堂々たる演奏でした

演奏後のカーテンコールの際、すぐ前の席の高齢男性がケータイで写メを始めました この人「許可のない写真撮影はお断りします」という場内アナウンスを聞いていないのか?  あるいは耳が悪いのか・・・と首を傾げました すると、休憩後のベートーヴェンが始まると、なぜか耳に手を当てて音を聴こうとする仕草を見せたので、本当に耳が悪いのかもしれないと思い、気の毒になりました だが待てよ、プログラムには「撮影禁止」の注意書きが書かれているぞ、と思い直しましたが、そうか 目も悪いのか と再び気の毒になりました が、「じゃあどうやってこの会場まで来たのか?」とまたまた疑問に思いました それにしても、サントリーホールだったら、すぐにレセプショニストの女性が飛んできて「写真は ✕ 」と注意されます その点、芸劇はおおらかなのか、あるいは職務怠慢なのか

 

     

 

プログラム後半はベートーヴェン「交響曲第3番 変ホ長調 作品55 ”英雄” 」です この曲はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770ー1827)が1803年から翌04年にかけて作曲、1804年にウィーンのロブコヴィツ男爵邸で私的に初演され、1805年4月にアン・デア・ウィーン劇場で公開初演されました 第1楽章「アレグロ・コン・ブリオ」、第2楽章「葬送行進曲:アダージョ・アッサイ」、第3楽章「スケルツォ:アレグロ・ヴィヴァーチェ」、第4楽章「フィナーレ:アレグロ・モルト」の4楽章から成ります

この曲は当初、ナポレオン・ボナパルトに献呈するつもりでしたが、彼が皇帝に即位したことで「彼は民衆を裏切った」と激怒し、献呈を取り止めたというのは有名な話です

原田の指揮で第1楽章に入りますが、原田はこの曲でも高速テンポで音楽を進めます オーボエの荒木奏美、フルートの相澤政宏、クラリネットの吉野亜希菜の演奏が素晴らしい 原田はここぞ、というところでティンパニの強打を求めます これが良いアクセントになり、メリハリのある演奏が展開します 第2楽章は冒頭の荒木奏美のソロが冴えわたります 第3楽章ではホルン3重奏が力強く、いかにも「英雄」に相応しい演奏でした そして第4楽章ではオケ総力による渾身の演奏が展開しました

原田は第2楽章から第4楽章までを、間を空けることなく、ほとんど続けて演奏しました もしかして、第5交響曲のように「苦悩から歓喜へ」というベートーヴェンの哲学を、この曲の演奏に反映させようとしたのかもしれません 個性のない演奏が多い昨今のコンサートの中で、この日の原田 ✕ 東響の演奏は「ベートーヴェンの演奏はかくあるべき」という刺激に溢れたパフォーマンスでした

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北マケドニア映画「ハニーランド 永遠の谷」を観る 〜 北マケドニアで養蜂業を営む女性の哲学「半分は自分に、半分は蜂に」 / 今日は節分

2021年02月02日 07時21分30秒 | 日記

2日(火)。昨日の朝日朝刊第1面コラム「天声人語」は節分について書いていました

「今年の節分はおなじみの3日でなく、2日。1年が365日ぴったりではなく6時間ほど長いため、立春の前日である節分もずれる年がある 前回、2日になったのは明治30年。実に124年ぶりのことだ

そして、秋田県の ある町の節分の日の豆まきのかけ声を紹介していました 「鬼は外 福は内 天に花咲け 地に実なれ」というものです これ、いいと思いませんか 

ということで、わが家に来てから今日で2315日目を迎え、ミャンマー国軍は政府トップで国民民主党党首のアウン・サン・スーチー国家顧問兼外相とウィン・ミン大統領を拘束し、1日 クーデターを実行したが、米ホワイトハウスはスーチー氏らの解放を求め「選挙結果の変更や、民主化移行を妨害するいかなる試みにも反対する。これらの措置が取り消されなければ、責任者に行動を起こす」という声明を発表、一方、国連のグテレス事務総長は「スーチー氏らの拘束を強く非難する」と表明した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     クーデターをやっても  世界が認めなければ  国は孤立し 国民は路頭に迷うだけだ

     

         

 

昨日の夕食は「みそ鍋」にしました どうやら月曜日は鍋料理が定着した感があります 長ネギを入れましたが、娘は食べません

 

     

     

 

         

 

昨日、新文芸坐でリューボ・ステファノフ&タマラ・コテフスカ監督による2019年製作北マケドニア映画「ハニーランド 永遠の谷」(86分)を観ました

この映画は北マケドニアに暮らす自然養蜂家の女性を追ったドキュメンタリーです

北マケドニアの首都スコピエから20キロほど離れた、電気も水道もない谷で、目が不自由で寝たきりの85歳の老母と暮らす自然養蜂家の女性は、持続可能な生活と自然を守るため「半分は自分に、半分は蜂に」を信条として養蜂を続けていた ある日、何十頭もの牛を飼う子だくさん夫婦が隣にやってきて交流が始まる 生計を立てるため その夫婦も養蜂を始める。女性は「蜂蜜を収穫するときは半分は残しておくように。そうしないと蜂が怒るから」とアドヴァイスをする しかし、高値で買うという業者に説得されすべてを収穫してしまう 行き場を失った蜂たちは女性の家で大切に育てていた蜂の巣に攻撃をしかけてきて全滅してしまう 老婆は「いつか彼らには罰が当たる」という。すると、夫婦の飼育していた牛が(たぶん疫病で)50頭も死んでしまう そして彼らは土地を去っていく やがて母親が死に、彼女は一人取り残される

 

     

 

この映画を観て、最初に思ったのは「世界にはこんな辺鄙な所で生活し、それでも自分の哲学を実践しながら生きている人がいるんだな」ということです    養蜂は生きている蜂が相手なので、野菜や果物を収穫するのとはわけが違います。そこに、「半分は自分に、半分は蜂に」という哲学が生まれます そうすることによって、自然との共存を図ろうとするわけです

女性の真似をして養蜂を始めた隣家の夫婦と子どもたちは、フェイスネットも着けずに蜂の巣を取り出したりするので、顔や頭を蜂に刺されて悲鳴をあげますが、ずいぶん杜撰な養蜂業だな、と思います また、隣家の牛の出産シーンでは、子どもが一人で、親牛から子牛を引っ張り出して、「なんだオスか」と言ってがっかりするところは、ずいぶんワイルドだな、と思います

とても印象的だったのは、死んだ母親を土に埋めて、祈りを捧げていると上空から「ゴー」という音が聴こえてきて、女性が空を見上げるシーンです それはジェット旅客機の飛行の音なのですが、この時に感じたのは「文明の落差」です

この映画の良いところは、余計なBGMを流さず、音楽は最小限にとどめ、自然の音を大切にしているところです

3年の歳月をかけて撮影したこの映画は、第92回アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞と国際映画賞に同時にノミネートされた初の作品となったとのことですが、よく分かります 静かな感動を呼ぶ映画です

帰りがけにポストカードを買ってきました

Half  for  me ,  Half  for  you.

と書かれています

 

     

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高橋源一郎「『読む』って、どんなこと?」を読む / 柳美里「JR上野駅公園口」、中山七里「能面検事」、萩原浩「海馬の尻尾」、アーチャー「レンブラントを取り返せ」、ルメートル「監禁面接」を買う

2021年02月01日 07時26分47秒 | 日記

1日(月)。今日から「2月は逃げる」の2月です 先月ツキがなかった人は月が変わったので 良い方に変わるといいですね

ということで、わが家に来てから今日で2314日目を迎え、国家安全維持法で香港の自由が脅かされるなか、旧宗主国の英国政府が31日、香港からの移民を受け入れる特別ビザの申請受け付けを始める  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      中国の傀儡政権による警察の監視が厳しくて 身の危険を感じる人が多いそうだよ

 

         

 

高橋源一郎著「『読む』って、どんなこと?」(NHK出版)を読み終わりました 高橋源一郎は1951年、広島県生まれ。1981年「さようなら、ギャングたち」で第4回群像新人長編小説賞を受賞しデビュー。1988年「優雅で感傷的な日本野球」で第1回三島由紀夫賞を受賞したのをはじめ数々の文学賞を受賞

 

     

 

本書は次のような構成になっています

はじめに:誰でも読むことはできる、って、ほんとうなんだろうか

1時間目:簡単な文章を読む

2時間目:もうひとつ簡単な文章を読む

3時間目:(絶対に)学校では教えない文章を読む

4時間目:(たぶん)学校では教えない文章を読む

5時間目:学校で教えてくれる(はずの)文章を読む

6時間目:個人の文章を読む

おわりに:最後に書かれた文章を最後に読む

この本(わずか116ページ)の大きな特徴は、著者がまるで小学生に語りかけるような平易な文体で「本を読むとはどんなことか」について書いていることです 「はじめに」の冒頭で高橋先生は次のように語りかけます

「みなさん、こんにちは。この本は『読む』って、どんなことなのかを、考える本です わたしがそう書くと、みなさんは、いや、『読む』っていうのは、要するに、いま、みなさんがやりつつあるこれ、『このこと』だといいたくなるかもしれません。考える必要なんかあるでしょうか 誰だって、とりあえず、『読む』ことくらいはできるわけなんですから。(中略)考えなくたって、誰だって『読む』ことはできる、のかな?  ほんとに。もちろん、字を『読む』ことができる能力は必要ですし、いくつかのことばの意味を知っている必要はあります。それだけでもう十分、『読む』ことはできる、のだって

そして、「わかりました。じゃあ、ちょっと、次の詩を『読む』ことに挑戦してください」と書いて、

「1891-1944」

というタイトルで、タイトルしかない詩を紹介します 高橋先生は「これをどう読めばいいのでしょう」と読者に問いかけます そして、実はこれは1891年に生まれて1944年に死んだロンメル将軍の生年と没年であり、墓碑銘であることを明かします。読者の私は、数値の並びとしては読めますが、その意味については読めていないことに気が付きます

次の「1時間目:簡単な文章を読む」では、高橋先生は何と小学校1年生で最初に「読む」、国語の教科書を紹介します 俎上にあげるのは「あたらしいこくご 1 上 」(東京書籍)です。先生は解説します

動物と子どもたちが描かれている表紙をめくると、最初のページに、6人の子どもたちが遊んでいる風景。それから、ちいさな文字で、

「みんなの せかい」

そして,おおきな文字で、

「おや なにかな」

次の現れるのは、

「みんな ともだち」

「さあ いこう」

なるほど。この、ほんとにみじかい文章を、みなさんは、どう読みましたか。わたしは、ニッポンの子どもたちは、いきなり「みんな」ということばを2回も読まされるんだ!って、びっくりしました 「ぼく」とか「わたし」じゃなく「みんな」なんですね っていうのが、子どもたちが読んでいる文章を、横から読んでみた、ぼくの感想です うーん、こんなに単純な文章なのに、いろいろ考えさせれられると思いませんか

先生にこういう風に指摘されると、私は文章を「読んでいる」ようで、実は何の疑問も感じないまま「読み飛ばしている」ことに気が付きます

次に「あたらしいこくご 1 下 」に出てくる長めの文章を紹介して、教科書では文章の後に「てびき」として「読み方」が書いてあることを指摘します それは、

「だれが、どんな ことを したかを かんがえて よむ」

「おはなしの すきな ところを 見つける」

「せつめいの 文しょうを よむ」

というような内容です 学年が上がるにしたがって教科書の「手引き」も「文章に対する自分の考えを持つ」「自分の考えを広げ、深める」などと高度になっていきます 高橋先生は、「このようにして、私たちは学校で『読む』ということを習うときに教えられてきた。こうしてきちんと習った上で、試験を受け、社会のことばを立派に使いこなせるようになる」と語ります。その上で、「ところが、学校で習ってくると、『読めない』ものが出てくる」と書きます。そして、やっと「1時間目:簡単な文章を読む」に入っていきます

1時間目以降、高橋先生は、オノ・ヨーコ「グレープフルーツ・ジュース」、鶴見俊輔「もうろく帖 後編」、坂口安吾「天皇陛下にささぐる言葉」、武田泰淳「審判」、藤井貞和「雪、nobody」などをテキストにしながら、それぞれ独特な文章の読み方を語っていきます

しかし、分かり易い言葉で丁寧に書いているからといって、油断していると途中で大きな落とし穴が待ち受けています それは「3時間目:(絶対に)学校では教えない文章を読む」に登場します ここに登場するのは、高橋先生が大学で教えている間ずっと教材として使っていたという永沢光雄(作家・インタビュアー)の「AV女優」(文春文庫)です あるAV女優の赤裸々な発言(いわゆる”放送禁止用語”)が文書として収められていますが、この授業のタイトル通り「(絶対に)学校では教えない文章」です この授業で重要なのは、「いい文章」に対する高橋先生の原則が披瀝されていることです 先生は書きます

「たくさん問題を産み出せば産み出すほど、別のいいかたをするなら、問題山積みの文章こそ、『いい文章』だ、ということです つまり、その文章は、問題山積みのために、それを読む読者をずっと考えつづけさせることができるのです (中略)誰だって、いいといいそうな文章ではなく、それを読んでいると、不安になったり、それを読んでいることを隠したくなったりする、つまり問題山積みで、できたら近づきたくないような文章、そういうものこそ、『いい文章』だ、とわたしは考えています 素晴らしい比喩がたくさん使われていても、ボキャブラリーが豊富でも、精密な論理で構築されていても、ワクワクドキドキするようなお話が満載でも、読んだことのない、聞いたことのない知識や情報がいっぱいあっても、そんな「文章」は、それを「読む」読者を、ほとんど変えないからです 問題山積みの文章だけが、『危険!近づくな!』と標識が出ているような文章だけが、それを「読む」読者、つまりわたしやあなたたちを変える力を持っている、わたしは、そうかんがえています。そして、残念なことですが、『学校で教える文章』には、そういうものは、ほとんどでてこないのです。その理由?簡単ですよね。それを『読む』読者、つまり、わたしやあなたたちを変えてしまうような力を持った『文章』は、教室に置いてはいけないからです だって、『変わって』しまった生徒たちは、どうなるか。『そこ』にはいられなくなる。だって、もう『変わって』しまったのだから。なにもかもちがって見えるし、なんだか落ちつかないはずです。だとするなら、彼らはどうするでしょうか。教室の『外』へ出て、なにか新しいものを発見しようとするに決まっているからです

読んだ後に「人を変える」文章こそ「いい文章」という理論は、理屈では解りますが、「言葉が力を持たない時代」といわれる現代において、「放送禁止用語」以外で「人を変える」文章を書くことは実際には難しいと思います しかし、文章を書く限りは、それを目標にしたいものです

 

          

 

手元の本をすべて読み終わったので新たに本を5冊買いました 1冊目は柳美里著「JR上野駅公園口」(河出文庫)です この作品は「全米図書賞」を受賞したことで話題を呼びました

 

     

 

2冊目は中山七里著「能面検事」(光文社文庫)です 当ブログの読者の方にはお馴染みの「中山七里は7人いる」と言われる多作家の最新文庫本です

 

     

 

3冊目は萩原浩著「海馬の尻尾」(光文社文庫)です この人の作品も文庫化するたびにご紹介してきました

 

     

 

4冊目はジェフリー・アーチャー著「レンブラントを取り返せ」(新潮文庫)です 彼の作品は文庫で発売されるたびに購入していますが、久しぶりの発売です

 

     

 

5冊目はピエール・ルメートル著「監禁面接」(新潮文庫)です 有名な「その女アレックス」以来、彼の作品はほとんど読んでいます

 

     

 

いずれも、読み終わり次第、当ブログでご紹介していきます

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