9日(火)。わが家に来てから今日で2322日目を迎え、中国で新型コロナウイルスの感染拡大にいち早く警鐘を鳴らして処分され、自らも感染した湖北省武漢市の医師・李文亮氏がなくなって7日で1年となったが、世界保健機関の調査団が1月14日に武漢市に入った後、新型コロナで家族を亡くした武漢市の遺族らが参加するSNSのチャットグループが閉鎖されたと遺族の一人が日本経済新聞に明らかにした という記事を読んで感想を述べるモコタロです
独裁主義者による覇権主義国家は 言論弾圧によって政権を維持する傾向があるよね
昨日は、今日の葬儀のために鶴岡から帰京した息子が、夕食に「豚肉と野菜のオイスターソース炒め」「トマトと大根のサラダ」「野菜と玉子スープ」を作ってくれました やっぱりわが家で一番料理が上手いのは息子だと思います
柳美里著「JR上野駅公園口」(河出文庫)を読み終わりました 柳美里(ゆう・みり)は1968年生まれ。高校中退後、東由多加率いる「東京キッドブラザース」に入団。役者、演出助手を経て、86年に演劇ユニット「青春五月党」を結成。93年「魚の祭」で岸田國士戯曲賞を最年少で受賞。97年「家族シネマ」で芥川賞を受賞 全米図書賞(翻訳文学部門)を受賞した本書をはじめ著書多数
本書は1933年、昭和天皇と同じ日に福島県相馬郡(現・南相馬市)に生まれた一人の男の生涯を通じて、日本社会の光と闇に迫った物語です 主人公の男性は、相馬郡鹿島町で生まれ育ち、結婚して所帯を持ちながら、出稼ぎ労働者として上京して20年余りを東京で暮らし、その間、21歳の息子と自分の両親を相次いで亡くし、地元に戻り妻と一緒に暮らしたものの その妻も亡くし、孫娘に世話をかけたくないという思いで、あてもなく上京し上野公園でホームレスとして暮らしています
上野公園ではホームレスの間で「山狩り」と呼ばれる「特別清掃」が行われていました 天皇家の方々が博物館や美術館を観覧する前に、ホームレスは段ボールやブルーシートで設えた小屋を畳み、公園の外に出なければなりませんでした その風景を描いた一節に次のような文章があります
「JR上野駅公園口から、リュックサックや楽器のケースを背負った若者たちが歩いてくる 傘の中でヘッドホンで音楽を聴いたり、傘を近づけて談笑したり・・・、上野公園の目抜き通りを直進して東京都美術館脇を抜けたところにある東京藝術大学の学生だろう」
著者がこの小説を構想したのは2006年だということですが、たしかにその頃、上野公園の東京都美術館の裏手辺りを中心にブルーシートや段ボールで設えた小屋がありました それらを横に見ながら藝大の学生たちや、私を含めて芸大奏楽堂にコンサートを聴きに行く人たちが通り抜けていきました この文章を読んで私が感じたのは、親の潤沢な資金力で高価な楽器を買い与えられて毎日レッスンに励むことのできる藝大生の恵まれた環境と、碌に住む家も定職もないホームレスの人たちの悲惨な環境とのギャップです
著者はその後、2014年に再び上野公園を訪れていますが、「上野公園は、最初に『山狩り』を取材した2006年から比べると、劇的にきれいになり、ホームレスの方々は限られたエリアに追いやられていました」と単行本の「あとがき」に書いています さらに、「昨年、2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催が決定しました」と書き、「オリンピック関連の土木工事には、震災と原発事故で家や職を失った一家の父親や息子たちも従事するのではないかと思います」と続け、「多くの人々が、希望のレンズを通して6年後の東京オリンピックを見ているからこそ、わたしはそのレンズではピントが合わないものを見てしまいます。『感動』や『熱狂』の後先を」と書いています
本書は、一人のホームレスの姿を描いていますが、一口にホームレスと言っても、一人ひとりにそうなった事情があり、それぞれの人生があるのだということを教えてくれます われわれは帰る家があるだけでも幸せだと思わなければならないのかもしれません